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俺たち4人で「家族」をやってみている。

サイゼリヤからの帰り道、ひと駅先あたりにあるので、15分ほど歩く帰り道だ。4人の男女が静かに歩いていた。

夏の暑い夜だった。

麦わら帽子をかぶり、細くスラッとしていて、黒いワンピースを身に纏い、グッチのハンドバックを片手に歩く母親。

彼女の1m後ろ、スマートフォンを耳にあて、友人と爆笑しながら会話する弟がいる。長い髪がぬるい風に揺られ、ぶっといピアスが見え隠れする。

割腹がよく色黒な父は、何も言わずどこかへ消えてしまった。西武ライオンズの会員限定キャップを被ったり脱いだりしながら、真っ白な頭髪を撫でたりもして、あちこちに目を向けていた。

家に帰ると、父は既に自分の部屋にいた。父は経営者であり、怪談蒐集家である。業界人とゴルフをしながら、怪談を集め、新宿にある小さな箱で怪談師をしている。暗い部屋の中、デスクライトだけをつけ、ウイスキー片手に柳田國男を読み進める。

母はリビングの電気をつけると、大きなソファにグッチのバッグを投げ捨て、夜だというのにスピーカーから音楽を流し、女性とは思えないほど低く太い声でカンツォーネを歌い始める。

弟はいつの間にかビデオ通話に切り替えたようで、画面上にいる黒髪のギャルと猥談を始めていた。適当に手を洗った後、アイコスとスマホを左手に持ち、右手にはいつ買ったのか分からないカフェオレのペットボトル。

夜が始まる。見かけは一軒家、内実は4人のシェアハウスが如き、仮初の「家族」生活は続く。


「家族」とは何だ。

俺たちは制度上「家族」だ。

人が「家族」という言葉から想像する内容には、文字にできない、もやもやとした温かみのある雲のような曖昧さがある。

そこには機能を超えた、代えがたい何かがある。

俺たち4人に、果たしてそれはあるのか。
答えは出ていない。

俺は家族社会学の専門家ではなく、生物学者でもない。
徹底して具体的で、ミクロな男だ。
偉そうな結論は出せない。

小さく具体的な話を幾つか挙げるしかない。


俺も弟も生まれておらず、父と母が大学で出会って数ヶ月の時。

父は母に言った。
「結婚というのは、非常に便利である」
母は答えた。
「未婚というだけで、あまりに動きにくい」

彼らは共謀した。
親族や友人、職場の人間、その他知人たちが、自分たちの進みたい道を邪魔するノイズと化す前に、対策を講じる。
それ即ち、「婚約」である。

父と母は自らが最も長けている分野で、気長に金を作った。
それぞれの生業が軌道に乗り始めた段階で、「挙式」を行った。

父は書類の内容を見もせずに印鑑をバンバン押すだけの時間を過ごし、
母は声優養成所の臨時講師として、発声のなっていない若者を叱咤し、
それぞれ欠伸をしながらタクシーを捕まえ、
式場の近くにあるホテルで落ち合った。
夕食をとりながら式の段取りを確認し、それぞれの部屋に戻って寝た。

父と母は祝福された。招待された人々は、彼らの輝かしい未来をあれこれ妄想した。父と母は落ち着いていた。特に何も変わらない。
「婚約」は「既婚者」というフィルターを関係者各位の眼球に貼り付けるための作戦行動だった。
彼ら2人は、また自らの進みたい方向へ、何の足枷もなく駆け出していく。

つい最近、父の会社がプレスリリースを更新した。介護請求に関するソフトウェア開発企業を買収したらしい。主幹事業は証券や保険なので関係ないのだが、子会社として介護サービスもやっていたからか。

母は主催する劇団で全国ホールツアーを敢行すると言い出し、業界関係者と会うのに大忙しだった。ツアーは初めての試みであったため、収支の面でかなり無理をすることになったらしいが、母は夜中まで鬼女が如き形相で書類に向き合っていた。

お互いが何をしているのか、ほとんど知らない様子だった。
俺が「こんなことやってるらしいよ」と言ったら、どちらも「ふぅん」と興味なさげだった。


東北にある児童養護施設Gは由緒「正しき」ヤクザがバックにいるからか、かなりの規模だった。

5歳の俺は施設の奥にある書庫で、「注文の多い料理店」の絵本を何度も何度も読み返していた。
死んだと思われた犬(狼だったか)が猫のシェフを食い殺し、料理店が消えてなくなる終盤の展開が、見開きのページを使って美しく、迫力満点で描かれていた。俺はそのページを読むときの興奮が癖になり、何度も何度も読み返していた。

その日も俺は、暗い書庫の中でそれを読み返していた。
いつもの大好きなシーンに差し掛かり、胸の中がざわざわと心地よく、くすぐったくなっていく。
すると、ページを一筋の光が裂いた。
見上げると、書庫の入り口の扉が開いており、2つの人影があった。

「先生、彼がそうです。ずっとここにいて、同じ本を読んでいるんです」
「いや暗いね、電気をつけよう」

急に明るくなり、俺は眉間にしわを寄せながら、目を細めた。
狭くなった視界に、こちらへ歩いてくる男性の姿が見える。

「少年、ここが好きなのか」

がっしりした体型で、肌は浅黒く、サングラスをかけている。身長はそこまで高くない。口もとに微笑。
俺はとりあえず頷いた。

「本を読むのが好きなのか」
「本を読むことしか、好きじゃない」

そう答えると男性はしゃがみ、「ちょっと見せてくれ」と言ってきた。俺は「注文の多い料理店」を差し出した。

「宮沢賢治か、懐かしいな。俺も小学生で読んだ。一番好きなのはグスコーブドリだが」
「ぐすこーぶどり」
「そうだぜ、宮沢賢治の精神を最も端的に表しているのが雨ニモ負ケズだとするなら、グスコーブドリはそれを物語として形にした傑作だろうな。セロ弾きのゴーシュ、どんぐり何とか辺りは単純な趣味だろうな。銀河鉄道の夜は…まぁあれはかなり精神的にやられちゃってた時に書いてるよ。やまなしだっけ、あれはよく分からん」

『注文の多い料理店』以外読んだことがない俺は、口をあけてぽかんとしていた。そんな俺を見て、男は笑った。

「お前、今俺が言った話、読んだことないだろ」

馬鹿にするような表情だった。だが俺は素直に頷いた。
男はまた笑い、俺の頭をわしゃわしゃ撫でた。力が強く、髪がひっかかり、痛かった。

「お前、なんで本読んでるんだ」
「…わかんない」
「はぁん、外で走ったりボール投げるのより、本読むのが好きか」

また頷く。

「ふふぅん、よし、決めた。お前、俺が生きてるうちは好きなだけ読みたい本を読ませてやる」

突然の提案。
うしろにいたもう一人の男に向かって、

「おい、この子を連れていく」
「はぁ、この子」
「あぁ、おい少年、名前は」

俺は名乗った。すると男はもう一度俺の頭を撫でた。
また力が強い。頭を潰されるんじゃないかってくらい。

「いいか、お前に死ぬほど本を読ませてやる。好きなだけ読んでいいし、買っていい。そのうえでだ、俺が死ぬ直前に、本を読むことだけをしてきた1人の人間として、思ったこと、感じたことを全部喋ってもらう」

何を言っているのか、幼い俺にはよく分からなかった。
ただ俺はさっきまでと同じように、ただ頷き、男の表情をずっと見ていた。

「なんで、買ってくれるんですか?」
素朴な疑問。

「少年、大人が他人に対して求める唯一のものってなんだと思う」

「…難しい」

男は急に真顔になり「成果だよ」と言った。
俺はビクッと体を震わせた気がする。

その後、すぐに男は笑顔になり「忘れんなよぉ」と言いながら立ち上がった。よく笑う。声が大きい。

『注文の多い料理店』の奥に控えていたのは、この男だったかも。

俺の手を引き、男は「よろしくな、我が息子」と言った。
黒い車の助手席に乗せられた。


Kが俺の弟になったのは4年前だった。
Kは定時制高校を卒業後、歌舞伎町にあるキャバクラでボーイをしていた。
嬢たちにはあだ名で呼ばれ、可愛がられていたそうだ。
天涯孤独で、キャバクラの近くにあるスナックのママが、店の上にある部屋に住まわせていたそうだ。

そのスナックのママと母は大学時代の同期で、Kの話も母は以前から聞いていた。ただKは出勤時間以外基本的に寝ており、母と顔を合わせる機会がなかったそうだ。

ゴールデンウィークでキャバクラが休みになった時、スナックの人手が足りず、Kは店の手伝いをさせられた。その時たまたま、母が客として遊びに行っており、Kと話した。

母はKの声を絶賛したそうだ。

つい最近、ワインを飲んで酔った母が、リビングで向かい合わせの俺に対して言っていた。

「素朴で、幼さが残っているけど、同時にどこまでも冷めていて、諦観の念すら感じられる不思議な声だった。歌はそこまで上手くなかったけど、よく通る声だった。顔も可愛かったしね、ほら、最近不倫して山籠もりした俳優いたじゃない。彼の声に近いかな。でもKの方がずっと奥深い声質よ。なんていうんだろう、どんなにつまらないことを喋っていても、そこに文脈があるなって感じさせてしまう声っていうのかなぁ」

母はKを引き取り、養子縁組をした。
試しに母の知り合いがやっている劇団や朗読教室に入れてみたが、Kはすぐレッスンに行かなくなってしまった。

だが母は言っていた。
「別にいいのよ、どうせ見つかっちゃうわ、あの子。才能を持つ人間は呑気に社会で生きられない。餓えた大人がすぐ見つけちゃうのよ。いいことか、わかんないけど」

今日サイゼリヤに弟も行けたのは偶々だった。
普段は女とばかり遊んでいて、家には帰ってこない。


父と母が奔放にエゴイスティックに生きた結果、雑草のように生えてきた資産は林となり森となり、この一戸建てができていた。

それを見上げながら、煙草を一服。

父の部屋は暗い。母の歌声は外まで響く。弟は、

突然ドアが開き「おぅ、謙介」と目を丸くする弟がいた。

「よぅ」
「ちょっと彼女の部屋行ってくるわ、泣き出しちゃった」
「電車あるか?」
「あー…タクシーで行こうかな。わりぃ、多分しばらく帰んない」
「おっけ」
「美紀さんと社長にもよろしくって、さっき声かけられなかったからさ」
「うん」

弟は手を振りながら、足早に行ってしまった。
4年経ったら、そろそろ「母さん」とか呼び始めるかと思ったけど。
てかよく考えたら、父のことを「社長」って。

俺はひとりでくすりと笑い、携帯用灰皿に煙草を入れて圧し潰した。
まだ熱が残っている感じがした。


※リア友へ:脚色あり

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