アラブの春直後のエジプト カイロ
【海外写真放浪記】Turkey - Egypt 1 カイロ
Turkey
ブルガリアからイスタンブールへ戻った僕は、いつもの常宿ツリーオフライフへ戻りアザーンを聞きながら1週間近く旅のルートを考えていた。
以前もお話した通り、アラブの春以降シリアを通りぬけ出来なかったのでヨルダン、イスラエルをどうするか悩んでいたのだ。
ヨルダンと言えば小学生の頃何度も金曜ロードショーで見たインディージョーンズのロケ地で、ペトラ遺跡が有名。ただそれ以外にはあまり見所も無いのがネックだった。
そしてイスラエルだが、入国から滞在まで意外とめんどくさい。
イスラエルの入国スタンプをパスポートへ押されただけで入国できない国があるし、宿があまり無いらしい。またイスラエルからエジプトへは抜けられなかった為どうしてもヨルダンかイスタンブールへ戻って来なければならないと言う理由から今回は泣く泣くエジプトまで直行する事となった。
その準備中、一人の老人が宿を訪ねて来たのだが、この方、何と齢70で海外を一人旅している方だった。そして何より驚いたのが耳が全く聞こえていないのだ。
僕らとコミュニケーションを取るときも筆談で会話し、現地の人達とも筆談でコミュニケーションを取ってここまで旅をして来たらしいのだが、こんな旅人に出会ったのはこの時だけだった。
僕がこの年齢で耳が聞こえなくなっても一人で旅に出る事が出来るだろうか?
歳の問題もあるが、何より耳が聞こえないと言うのは想像以上に怖いと思う。
それがどうだろう。その老人は生き生きとしていて、楽しそうにトルコを旅行し、大学生やトルコ人と筆談で会話をしていたのだ。
障害や年齢など好奇心でいくらでも乗り越えられる実例を見せて貰え、トルコのいい思い出となった。
トルコは親日家も多く、文化も最高に面白い国だったのでまた必ず訪れたい国の一つ。それまでにいいスポットをもっと勉強してまた行けたらと思う。
Egypt Cairo
イスタンブールからエジプトのカイロまでは飛行機で2時間とあっという間に着いてしまう。
空港から街中まではバスで1時間程度なのだが、空港のローカルバスが凄い事になっていた。まず番号がアラビア文字なので分からない上に、こっちが走り寄らないと乗せてくれない。
何よりも扉のギリギリまで満車の状態で全てのバスが来るので乗るに乗れないと言うカオスから僕のエジプトはスタートすることになる。
親切なエジプシャンが同じバスに乗るからと、バックパックを担いで一緒に乗ってくれ、何とかバスに乗り込み目的地付近のメトロ駅まで行くと、そこは思っていたエジプトの光景とは少し違っていた。
そもそもエジプトについてのイメージが、砂漠とピラミッド以外僕の中に存在しなかったと言うのが正しいのだろう。
観光大国であるし、街並みや建物は綺麗なイメージしかなかったのだが、どちらかと言えばインドに近い。そこら中の路地には露店が並び人集りが出来ている辺りがアジアやインドを彷彿とさせる。
建物は5階建てくらいのビルなのだが、老朽化が進み痛み始めている物がほとんどだ。もちろん経済区のビルは目新しく立派なのだが、人影が少なく、どこか活気が無かった。
2011年の10月にエジプトを訪れたのだが、同年1月に1981年より続いたムバラク大統領政権をSNS発信で退陣させたアラブの春があり、僕が訪れた時は暫定の軍事政権下で国は運営されていた。日本語の喋れるエジプシャンの友達曰く、選挙になってもまた同じ事がまた繰り返されるだけだと落胆した様子だった。
ツタンカーメンが飾られている国営博物館周辺は当時デモの中心となっていて、政府系のビルが全焼していたり、車が燃えていたりと、ものすごい事になっていたのだが、10月には街も落ち着きを取り戻し、普通の生活を取り戻そうとしている様にも見えた。
僕が出会った人達が良い人ばかりだったのかも知れないが、エジプト人は朗らかな人が多い。男性は割と写真を撮らせてくれるし、話も長くしてくれた。だが、やっぱりイスラム圏なので女性を写真に撮る事はなかなか難しかった。
エジプトは忘れがちだがアフリカ圏になる。僕にとって初めてのアフリカだったのだが、思ったよりも黒人の方が少なかった。
ただイスタンブールに比べるとやはり顔立ちも濃くなり、クルクルの天然パーマの人が圧倒的に多かった印象だ。
また新しい文化圏に入り、色々な事が面白くて仕方がなかったエジプト。まずは1週間程度、国に慣れるためにカイロの街を散策し、ピラミッドへと向かう事になる。
次回【海外写真放浪記】Egypt 2 カイロ
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