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【要約】学校教育とジェンダー(著:鶴田敦子)

本文は、『ジェンダーの発達科学』より、第9章。

はじめに

 世界経済フォーラムによる日本のジェンダーギャップ指数は156か国中120位であり、経済・政治・教育・医療の4分野において、教育と医療はほぼ平等に近いが経済と政治が著しく不平等である。学校における教育内容が経済・政治へのジェンダー平等へと影響を与えていないのではないだろうか。
(この序文は名文だと感じたので、是非みなさん手に取って本文を読んでいただきたいです!僭越ながら要約させていただきました。)

ジェンダー平等を避けてきた日本の教育行政

 戦後、ジェンダー平等を後退させた3つのエポックがある。

① 経済の高度経済成長政策が必要とした男女別教育課程・性別特性論
 冷戦の激化や高度経済成長といった時代背景に応えることを目的として、1958年以降、中学校における教育を男子は「技術」、女子は「家庭」に変更するなど、様々な性別役割分業の教育施策が取られた。その後、男女同一の教育課程に戻るのは1990年代になってからだった。背景としては、ジェンダー平等を求める市民運動との連動があった。

②ジェンダー平等に反対する復古的国家主義派の擁護
 戦前の天皇を頂点とする国家への回帰を願う復古的国家主義派は日本会議を設立し、2000年前後からジェンダー平等教育への批判を強めるようになった。政治家と内閣府及び文部科学省の連携により、義務教育の全ての教科書からジェンダーフリーという単語が消えることになり、ジェンダー平等教育は大きく後退した。

③能力主義と道徳を抱き合わせる新自由主義教育の推進
 新自由主義において、社会の構造的な問題を個人の至らなさに求め、道徳の名の下に個人に反省を促し不満を抑え込ませることは有名である。1990年代以降グローバル経済化と共に日本においても新自由主義政治が台頭することになり、能力主義による差別の容認的な考え方や、男女平等ではなく男女協力といった文言が教育施策に取り入れられるようになった。

ジェンダー平等教育が依拠する「公共性」「政治」

民主的な公共性

 市民が、自発的に話し合い意見の違いを乗り越えて合意を得たら社会に発信することを、「公共性」という。昨今の傾向としては、親密な間柄の人としか話さないようなごく個人的な事柄(「親密圏」の事柄)が、「公共性」のある問題として取り入れられている。例:選択的夫婦別性、不同意性交の問題など。

「個人的なことは政治的なこと」

 第二波フェミニズムは「個人的なことは政治的なこと」と発信した。私的なトラブルは公共的な問題と地続きであるという認識である。一方で日本の政治教育においては政治的中立が求められ、政治への無関心・忌避的態度を作っている。ジェンダー平等教育を達成するために、政治的中立の通念は克服されなくてはならない。

ジェンダー平等教育が依拠する民主主義の学習

 「公共性」に参加し、民主主義を通じて社会の変革を実現することへの市民の教育をシティズンシップ教育という。ジェンダー平等教育は、ジェンダー視点で取り組む民主主義の学習のプロセスの経験ということが出来る。生徒会活動等が例である。

ジェンダー平等教育が展開する学校教育の創出へ

 ジェンダー平等教育の一環として民主主義により社会を変革することを経験学習できるような実践例を挙げる。教育実践「青春悩み相談室」による悩みのアウトプット、生活の中での違和感や差異の探求、教科教育の中で多様な意見を討議することなどがある。
 またドイツでは民主主義教育を目的とした教科を設置することで、自分たちの問題を自分たちで解決していく自治の経験させている。こうした教育環境において教師の役割は、民主主義の学びのプロセス経験の場を作り出すファシリテーターとしての役割が大きくなる。
 ジェンダー平等教育は今や、ジェンダーに留まらず、様々な差異を理由にする差別をなくし、差異ある者の間の対等・平等な関係を築く社会のあり方にも切り込む教育である。


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