進撃のパッション
いつの間にか ☆夏休み☆ の季節になっておりまして……。私ごとですが、楽しく、刺激的な日々を過ごさせていただいているようで……。気づいたらnoteを5ヶ月更新していない! 余計なことを考える暇もないほどに、最近は充実しているのだなと。
4月から、ご縁があってアナザー・ジャパンというプロジェクトに関わらせていただいています。毎日、学びと気づきの連続で、心底楽しい。今後、自分次第ではやりたいことがやれそう。そんな恵まれた環境に身を置けています。ただ、まだまだ力不足。もっともっと、コミットできるようになりたいと強く思います。そのために、知り、学び、チャレンジし続けなければ! と、語り出したらキリがなさそうなので割愛。こちらについては、そのうち、超パッションでnoteを書き殴ります。
今回テーマにしたいことは、このパッションについて。なぜ捻くれ者の私が、朝早く起きて、本を読み、日々のタスクをこなし、人々や物事とポジティブに関わり、夜は自炊をし、自分の勉強ができているのか。
自慢とかではなく、気づいたらこういう生活になっていた。疑いようもなく、この得体の知れない 〈パッション=衝動〉 に出会うことができ、共存できているおかげだ。「何も成していないお前が何を言ってんだ」と思うかもしれないが、何も持たない普通の学生である私にとっては、前代未聞の出来事であり、変化である。この現象を、自分なりに紐解いていこうと思う。
「将来やりたいことはなんですか?」 「やりたいこととかあるの?」
誰しも、一度は聞かれたことがあるのではないだろうか。私は、学生時代、特に高校生の頃は、先生、親、友人からこの言葉を浴びせられ続けてきた。当時、やりたいことがあると言って、将来に向かって突き進んでいる人を見て、早計だと思っていた。ただ、本音は羨ましかった。迷いなく突き進む友人たちを見て、なぜ自分はやりたいことがないのだろう、と。同じ悩みを持っている友人もたくさんいた。ただし、残酷なのか救いなのか、時間が経てば、半ば強制的に、それぞれの道に進むことになる。
結局私は、第一志望校に落ち、だったら大学に行かなくても良いと思い、パート就職。1年後、やっぱり大学入学という、やりたいことが定まっていないムーブだ。このような私だったのだから、今の自分がどれだけ異常な状態なのかが分かる。
冒頭で述べたように、私は今、得体の知れない衝動に突き動かされ、楽しいと感じている。きっかけは、あらゆる物事に対して、前向きに、忍耐強く、学び、行動し続けるようになったからだ。
それまで、捻くれていた私の姿勢として、物事はこういうものだと勝手に決めつけていた節がある。例えば、「数学は社会に出たら役に立たない」 「政治を知っても意味がないから、興味がない」などである。
少し文脈とは違うが、私はまさに、勝手に決めつけ、単純化し、尊重する態度を示さなかった。この姿勢が、自分の知見を広げる可能性を大きく妨げていたことは言うまでもない。解像度、ピントのお話だ。
こうして、物事に対する態度を改め、前向きに行動することで、更なる知識欲が芽生え、それに伴い、アクティブに行動できるようになっていった。
これはある種の愛であると思う。物事に対する愛だ。それらに対して、アクションし続ける姿勢が、〈パッション=衝動=愛〉を生み出すのではないだろうか。そして、これらを貫き通し続けるには、強靭なメンタルと体力が必要だ。なぜなら、周囲から見ると、異常な行動に見えるからだ。
衝動に突き動かされた人は破茶滅茶になる。それは周囲の人にとってそう映るのであり、自分にとっては自然で、必然的な態度だ。自信を持つことが大切である。
恐れることなく、勇気を持って前向きに物事を見ていくこと。そうすることで、自然にアクションが生まれ、自分が思っても見ない方向にのめり込んでいくことができる。こうして、パッションと共に突き進むことができるのだ。
あとがき
書いていて、自分でも何を偉そうに語っているのかと思っちゃったのですが、どうでも良いですね! このnoteもやることほっぽって、深夜に衝動的に書いてます! パッション!
最後に引用!
エレンも、あることがきっかけで、自分の知らない世界を知り、衝動に駆られ、行動し続けていました。
参考
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