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これは僕が持つ、料理に対する考えです。

いくつがあるのですが、持論として大きいものを。
最近、それに変化があったのでここに綴ります。

普段料理を作る方には、ぜひ読んでいただきたい。

18歳の頃

当時の僕の持論は
「料理は人の心に訴えかける1つのツールである」

これはとあるエピソードがキーになってます。

高校3年の時、自分の道に対する大人たちからの反対意見が多く
メンタルがぶれて学校にいけなくなった時期がありました。

それでも毎朝早起きして弁当を用意してくれる母。

僕も朝は起きて学校に行く準備は万全なのですが、やっぱり一歩でないことが大半でした。

とある日、自分のやりたい料理の道っていうことについて母と話しました。
内容はもう覚えてないですが、
その後のことは鮮明に覚えています。

僕が学校に持っていくはずだった弁当を盛り直して、お子様プレートのようなものを出してくれました。

真ん中にはこんもりときれいな楕円形のケチャップライス。
そのてっぺんに刺さる旗。そこにはただ一言。

「がんばれ」

当時の僕にはとても刺さりました。
涙を流しながらいただきますと言ったのを覚えています。

そして、ケチャップライスを頬張りました。
ボソボソだし、めっちゃ冷たいです。

でもなんですかね、不思議とあたたかい。

「これが料理か」

また僕が料理にどっぷりハマったきっかけになりました。
そして、このときから

「料理は人の心に訴えかける1つのツールである」

と考えるようになりました。

そして、今

料理をプロとして体現していく中で、
また新たに見えてきたものがあります。

仕事で学生達にキャリア教育の一貫で、自分の職について語る機会があるのですが、これは毎回言っていることです。

それは、

「料理は自分の心の映し鏡」

これはふと思いましたね。
じゃあ、具体的にどういうことなのか?

①普段、日常的に作る料理。
②気分が沈み、体調が悪いときに作る料理。
③大切なあの人に食べてもらう料理。

さぁ、これはもう見るだけで美味しさの優劣が明確だと思います。

美味しい順に並べ替えると、

美味しい






物足りない

じゃあ順に見ていきます。

①の場合

これはまぁ美味しいものが出来上がるでしょう。
自分が美味しいと思う最低限のレベルで。
これはまあノーマルな位置なので、詳しくは話しません。

②の場合

これは自分が体調を崩してるとき、
主にメンタルが不調のときです。

僕の経験上、このときに作る料理は
いつも作る得意料理でも、美味しくないです。

食べてから「なんでやろ?」と思い返すと、
やっぱり疲労が溜まってるときに、
この現象が起きやすいなと思いました。

心がブレてると、自ずと味にも出てしまうということです。

③の場合

これは前述の2つとは違い、
明確に食べ手が自分以外です。

どうですか皆さん!こんな経験はありますか?

・バレンタインに好きな人にお菓子を作る。
・初めてパートナーに手料理を振る舞う。

「美味しく作るぞ!」
「喜んでもらいたい!」

この時の心の高ぶりは誰しも最高潮!!!

その気持ちがのる料理は、
いわずとも絶対に美味しいんですよね。

食べ手に寄り添う心

現場を離れたので、
誰かに料理を振る舞う機会がほぼゼロになりました。

でも、改めて誰かに作るってなる時は
気合が入るので、自ずと心も高ぶります。
そして、自分に作るものより美味しくなりますね。

今になって、ひしひしと感じます笑

またディナーイベントでもやりたいですね。
まぁ実は裏で準備中なんですが🤭


というわけで、僕の料理に対する考えの変化でした。
拙い文章で失礼しました!!

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