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一年前の今日、過去を辿る旅

早くも4月が終わるんだなと考えていると、ちょうど一年前の今日、過去を辿る旅に出たことに気付く。

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30年以上も昔、初めての留学生活を送ったフランスの小さな街。8ヶ月の語学講座を終えるとすぐにパリに引っ越して以来、一度も足を踏み入れていなかった。

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なぜ30年以上もあの街に戻らなかったのか。いくらでも機会はあったが、「いつでも行ける」と思っているうちにこれほどの年月が経ってしまった。


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当時の日記を見つけることがなければ、実際に行こうという気にはなれなかっただろう。

その日記のことは忘れてはいなかった。これまで20回近くも引っ越しを繰り返してきたのに紛失もせず、棚の奥深くにしまってあったのは、自分にとって大切なものだという意識があったからだ。

子供たちが大学に進み、大変だった仕事もひと段落ついて、初めて自分の過去に気持ちが向いた。不要な書類の整理をしていて出てきた日記を30年ぶりに開いてみて、感傷旅行に出かけたい思いが抑えられなくなった。


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その街から遠くない都市の大学で勉強する娘が、この感傷旅行に付き合ってくれた。Airbnbの安い部屋に荷物を置いてすぐ、かつて暮らしたアパルトマンに向かう。宿から歩いて2、3分、赤い扉の前に立った。

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やたら教会の多い中世の古都だからか、そのアパルトマンは当時と変わらずそこにあった。周りの建物も通りもほとんど変わっていない。しかし、もともと記憶に残っていた断片的な情景以上のものは何も蘇ってこない。当時の私とほぼ同じ年齢に育った自分の娘が、30年以上経って同じ場所に立っているということが、妙に非現実的なものに思えた。


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旧市街の中心にある教会、商店街、大学、市庁舎、大聖堂などメインのスポットを娘と歩いた。

「何もないけどかわいい街だね。ここなら住んでみたい」と娘が言う。


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真っ白く修復された歴史的建造物も、車両進入禁止となった通路や広場も明るく清潔で、記憶の中の印象とはまるで違う。あの黒ずんだ沈んだ小さな古い街はどこにもなくて、ディズニーランドのような可愛らしい白い街並みが続くばかりだ。


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当時の写真を頼りに、街外れの坂を延々と上り、古都の全体像を見渡せる高台まで歩いた。撮影ポイントがわかっても、いつ誰とどのような状況でその写真を撮ったのか何も思い出せない。川に囲まれるようにそびえる古い街は、ただ美しかった。

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バスで10分くらいの郊外の大学に向かった。アジアからアフリカ、南米・北米、中東まで様々な国籍の学生たちとサッカーに興じたり、デュラスやコレット、サン=テグジュペリを学んだ授業も楽しかったことはよく覚えているが、キャンパスを見渡してもやはり何の感慨も湧いてこない。


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広大な敷地にはいくつか学生寮があり、そこで生活する学生たちといつもたむろしていたものだ。その寮はまだあったが建て直したのか、記憶を呼び起こすきっかけにはならなかった。


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ちょうどお昼時で学食に行くと、支払いは学生証と連携したICカード払いになっていて現金もクレジットカードも使えないが、現役の大学生である娘のおかげで食事をすることができた。当時学食の食券は10枚綴りのチケット制で、学生証を発行してもらうまでは通りかかった学生に声をかけて1枚ずつ譲ってもらっていた。そんな小さなことにどれほどの勇気をふるい起こさねばならなかったか。向かい合ってデザートを頬張る娘の屈託のない笑顔を見ながら、ようやく当時の感情がうっすらと立ち上ってきた。


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夕食をとった小さなレストランは、当時住んでいたアパルトマンのすぐ裏にある。15人も入れば一杯になりそうな郷土料理の店だ。フランスで初めて男性に夕食に招待されたのはここだった。その人のことはこの街で過ごした8ヶ月で最も鮮やかな思い出だったはずなのに、日記を再び開くまでほとんど忘れ去ってしまっていたことに我ながら驚いている。


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教会という教会を巡り、内部の装飾やステンドグラスをじっくりと鑑賞した。長い時間をかけて醸し出される美の重み。教会にほとんど興味のなかったあの頃、中に入ったかどうかも定かではないが、娘は写真を撮るのに夢中になっている。何の前触れもなく始まったパイプオルガンの演奏が素晴らしく、中世そのものの世界にしばし浸った。


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最終日、出発間際の小一時間を独り歩きに費やした。教会、商店街、広場、彼の住んでいたアパルトマン。自分でも何を探しているのかわからなかった。何かを探し当てなくてはならない気がして、ただただ歩いた。


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「もうここですることは何もない」

「今度いつ来る?わからない」

そう日記に書いた時の感情はよく覚えている。前だけを見て、パリでの新生活に昂りを感じていたのだ。


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なぜ今またここに来たのか?わかったのは、あの頃の街も自分も、もうどこにもない、ということだ。いくつも撮った写真を見返すと、初めて見るような明るい白い街、笑顔の娘が写っている。過去を探しに行った旅の後に残ったものは、現在と未来のたしかな感触だった。


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やはり旅に出て良かった。思いもかけないコロナ禍で今年は無理だったろうし、機会を逃せば二度と行くことはなかったかもしれない。自分の立っている場所から過去を振り返り、現在と未来をゆっくり考えてみたい。










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