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担当医からの今後の治療方針説明【大学病院血液内科25日目】

父はここ数ヶ月の急性期が嘘だったかのように順調に回復しているように見えた。リハビリでは(支えてもらいながらではあるが)座ったり、立ったり、歩いてみたりしている。体に繋がれていた管がどんどん外れていく。もしかしてほんとうにこのまま順調に進んで、桜が咲く頃にはリハビリのための転院もあるんじゃない?と希望が持てるようになっていた。

ただ、父はいつも言う。『あまり期待をさせるなよ』と。たぶん裏切られて苦しい思いをするのが嫌なのだ。この辺のバランスが難しい。現実ばかり見ていたら気が滅入るし、かと言って希望的観測ばかりでは何の心の支えにもならない。希望と現実。思うようにならない疾患との戦いのひとつなのかもしれない。

この日20時ごろに病院からの着信と父からLINEが入っていたのだが、仕事ですぐには気づかなかった。

『仕事、終わりましたか?先生が明日の夕方お話があるみたいで、あとで電話がいくと思います』

父のLINEがなかったら、私はまた心臓バクバク胸はドキドキになっていたと思う。病院からの着信、相変わらず免疫がないのよね。父に何かあったんじゃないかとビクビクしてしまう。

折り返し病院に電話をかけると、初めて聞く名前の先生(正確にはベッドのネームプレートに書いてあったけど)と代わられた。『お父さんの担当をしています』と軽く自己紹介してくださった後、父からのLINEどおりの要件を私に話してくださった。内容は今後の治療方針について。

こうして翌日、血液内科に移ってからはじめての担当医との面談が実現することになった。

担当医「ワイルド先生」

ちょうど妹が来てくれていた。今回は病院側からの提案で面談が実現したが、父が入院して以来ずっと妹は「先生からの説明」を大切に考えているようだった。本当は待っているだけでなく、こちらから「先生からお話を聞きたい」と提案しなければならなかったのかもしれない。待ちの姿勢で悠長に構えている姉に、妹は多少なりとも焦りを感じていただろうな…とは思っている。

先生との面談は16時半からだった。「少しリッチなランチ味わいたくない?」と妹に提案し、ディナーならば通常1人8,000円くらいはするであろうお店のリーズナブルなお肉ランチを選んだ。

豪華なランチセットが運ばれてくるとすぐスマホで写真を撮る。そしてすかさず家族LINEに送信。娘たちのご飯写真を楽しみにしてくれている父とのやりとり。これまではご飯ができたらすぐにがっついていた。お腹が空いた、早く食べたい、己の欲のままに生きていたような気がする。「美味しいものはまず画像で父と共有する」という新たな習慣は、煩悩だらけのひとりの人間からほんのちょっとだけ自分を成長させてくれるもののように思えた。

ランチを終え、お茶を飲みながら妹と時間を過ごし(潰し…笑)、夕方病院に向かった。父の病室に行って顔を合わせるとすぐ看護師さんが呼びにくる。

『じゃあ、先生の話聞いてくるね』と父に伝え、妹と一緒に面談室に向かう。同席してくれる担当看護師さんとともにやってきたのが、初めてお会いする先生だった。あれ、なんていう名前なんだろう?病院の先生が白衣の下に着る制服のような着衣。Vネックの胸元からチラリと覗く立派な胸毛にちょっと面食らう。決まりだ、この先生は「ワイルド先生」と呼ばせていただこう。

ワイルド先生は早口で、専門用語バリバリで、今まで出会ってきたグレイ先生、スター先生のような親しみやすさやわかりやすさがあまりない。「ザ・大学病院の医師」という感じがする。ただ、説明がとても丁寧で細かい。時折質問を挟みながら、質問に早口で答えてくれる先生の話を集中して聞き、なんとか付いていく感じ。

なんといってもつい胸毛に釘付けになってしまう。頭の中で「いかん、いかん」と必死に言い聞かせ、話に意識を集中させようとしている不真面目な長女さん。視線の動き、先生に気づかれていないといいんだけど…

これまでの経緯の説明

ワイルド先生は救命病棟を出る前から現在までの血液数値推移を見せ、診療内容説明書に手書きしながら説明をしてくださった。

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とくに、クレアチニン(腎臓)・PLT(血小板)・CRP(炎症反応)の推移を中心に丁寧に話してくださる。

当初は3つとも「LL」や「L」や「H」のマークがついて異常値を示していた。血小板については「輸血をしても」この数値だったのだ。

1ヶ月経過してその値は随分と改善されてきた。クレアチニンやCRPは正常範囲にまで回復し、救命を出てから1度も輸血をしていないことを考えると、血小板も「自力で」ここまで上げることができたということ。

数値は回復傾向を表している。ワイルド先生はそこを強調してくださった。血液数値を踏まえた上でTAFRO症候群の血小板減少と腎不全の症状についてはほぼ解決と言っていい、とも。家族としてはすごく心強い説明だった。

そして現状、まだ残っている症状は、胸腹水・腹部症状(下痢や腹痛など)、そして廃用症候群(日常生活機能ADLの低下)ということも付け加えられた。

今後の治療方針

今ある症状についてどのように治療していくか?ワイルド先生は続ける。

『まず胸腹水のコントロールについては引き続きアクテムラとプレドニン(ステロイド)を続け、利尿剤で排出できるようにしていきます。プレドニンについては順調に減らしていけているのですが、アクテムラはまだ週1回間隔のままでこれは大量の投与と言える。アクテムラは中止するのは難しいのでできるだけ減量し継続できるまで減らすことがひとつの課題です』

スター先生に説明していただいた時と同じ内容だった。アクテムラは週2から月1、もしくは自己注射に切り替えるなど減薬をすることで今後も(一生)続けていく薬。これから2週に1回、3週に1回と間隔をあけていくというのが方針になる。

そしてワイルド先生は『もしも間隔をあけるのがうまくいかなければ、シクロスポリン(ネオーラル)という免疫抑制剤を使う可能性あり』と説明をしてくださった。

Twitterで繋がっている方たちからの情報、ネットに載っているTAFROの治療論文などでその薬の名前は知っていた。またスター先生が一番最初に説明してくださった治療法の「第3の道」が免疫抑制剤だった。「まだ道(可能性)は残されている」そう強く思ったのを覚えている。

次が腹部症状。これは下痢やガスが溜まるなど腸の動きに関するものだ。こちらも腸の動きを調整する薬を使っていくこと、そしてリハビリで少しずつ体を動かすことでも腸の動きを活発にできることなども教えてもらった。

TAFRO症候群という疾患の直接的な概念ではないのだけど、お腹の調子が悪くなるというのは症例としてわりと多いと以前スター先生が教えてくださった。父の場合ももう3ヶ月も下痢や腹痛に悩まされている。体感としては腹水の苦しさの次に辛いと父は言う。

水状の下痢で夜中も排泄処理が必要になり寝不足が続く。おしりはただれ、少し動くだけで擦れて痛みを伴う。水や食事も「下痢が怖いから」と摂取が消極的になる。見えないところで父は戦い続けていたのだ。

最後が廃用症候群の改善。これはリハビリを頑張ってもらうということに他ならないのだが、寝たきりの状態が長く日常生活は要全介助にまで低下しているため、「リハビリ転院」の可能性が濃厚だと以前から言われていた。

お正月に救命病棟を出る時、スター先生から「どの拠点で転院を希望するか」を尋ねられていた。父は地元を離れて今の大学病院に転院している。地元に戻りたいと言う希望があるのなら、なんとかその方向で進めたいけれども…(地元に戻るにはさまざまな障害が多い)という話だった。

今回ワイルド先生からも同じ質問をされた。

お正月明けに家族会議を開き、今後の父の拠点について【大学病院のある地域に住所を移し、転院も外来もここで治療をしていく】とみんなで決めていた。

ワイルド先生にそのことを話すと、ずっとしかめっ面をしていた先生の表情が少しだけ和らいだのを感じた。案の定『あぁ、それはよかったです。地元に戻って治療をするのはだいぶ困難だと思っていたので』とおっしゃる。

まず、TAFRO症候群に対しアクテムラを扱える(投与・処方できる)病院が地元にないかもしれないという可能性、調子が悪くなった時に適切な処置や治療をしてくれるTAFRO症候群を診ることができる専門医(専門科)の存在など、総じて今の治療環境を維持できる状態にすることが望ましいと先生はお考えのようだった。

いろいろ思うことはあったけど、私の自宅近くに引っ越し、外来になっても大学病院に通えるようにするのがベスト。リハビリ転院についてもこの地域ならば大学病院と提携している病院があるので、そこへの転院に向けてやっていきましょう、ということになった。

治療は一生だし、日常生活全介助の状態からどこまで回復できるのか?など、先の不安はもちろんある。でも今、目の前の父は以前と比べて目覚ましい回復を見せてくれている。

細かく丁寧に説明してくれるワイルド先生を信じ、父の回復力を信じ、前に進むしかないのだ。


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