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治療の第3選択、免疫抑制剤追加【大学病院血液内科43日目】

アクテムラ投与を週1から2週に1回の間隔にあけたことで、父の体に再び炎症が起こっていることがわかって2日。相変わらず発熱はなく、多少のだるさ(これはもうずっと続いているので感覚として慢性化しているみたい)くらいしか父は訴えていない。

ちょっと語弊があるかもしれないけど、私は父の訴えをあんまり信じていなかった。だって、救急搬送された時も、ICUにいた頃も『いや、体がだるいだけなんだよ』と何度も口にして、そして突如意識が薄れていく…みたいなことを何度も繰り返してたからね。

完全にビビってもいたけど、慣れたのかなぁ…半分くらいはなんだか少し余裕を持って「来る(悪化する)なら来いや」と構えている自分もいた。一進一退を繰り返しながらもここまで回復してきた父と医療(先生)の力を信じているというのもあったかもしれない。

信じたり信じなかったり、忙しいなおい。

炎症が起きても変わらない父

CRPが上がっていることがわかった翌日も、面会に行くとベッドに父の姿がなく、いつも通りリハビリに行っていた。

1日2回になったリハビリに新たなメニューも追加され、何事もなかったようにトレーニングが続けられている。

急遽、アクテムラの投与をすることになって、鼠径部のラインを外した父の腕には血管が弱って刺しにくくなった注射痕がたくさん残されていた。

今日も痛かった!来週もまた刺し直しだよ…と、子供みたいに凹んでいる。結構重篤な炎症反応を叩き出しているのに普通にリハビリをやり、注射が痛くて嫌だと言っているだけのこのギャップがものすごく不思議でしょうがない。

けれど、免疫の病気というのは何かをきっかけにして体内で炎症を起こすというのがわりと頻繁に起こるのかもしれない。そして炎症が起こったら都度、対処をしていくという方法でしか治療ができない、というのが現状なのかもしれない。

そのことは、翌日の薬の処方でハッキリとわかった気がしている。

ネオーラル200mg/日追加

この日、面会に行くとベッドテーブルの上にある薬のケースに見慣れない薬が入っていた。手にとって見ると「ネオーラル」と書いてある。

・この薬の作用
リンパ球に特異的・可逆的な免疫抑制作用を示し、主にヘルパーT細胞の活性化を抑え、異常な免疫反応を抑えます。
・この薬の効果
通常、臓器移植(腎臓、肝臓、心臓、肺、膵臓、小腸)後の拒絶反応、骨髄移植後の拒絶反応や移植片対宿主病を抑制するために使用されます。
引用-くすり辞典

知ってる。免疫抑制剤シクロスポリン。父がまだTAFRO症候群の診断をされる前、地元の病院で主治医のグレイ先生からTAFRO症候群の可能性があると言われて調べた症例論文で見かけたのが最初だった。

そして大学病院に転院し、救急の主治医スター先生からTAFRO症候群と診断され、父のケースでの治療として、①アクテムラ、②ステロイド(プレドニン)、そのあとは免疫抑制剤・抗癌剤・血漿交換などの選択肢が示されていた。

Twitterで繋がることができた仲間の処方にもよく出てきていたネオーラル。現在の主治医ワイルド先生との前回の面談でも『アクテムラの減薬の影響が出た場合には免疫抑制剤などを使っていく可能性があります』と言われていたし、いよいよ治療の第3選択が始まるんだなぁ…と思っていたところに、チーム先生方の回診がやってくる。

『免疫抑制剤が追加になりました。これで明日、再度検査をしてみて炎症反応の変化を見てみることにします』とのこと。

これは父の治療を見てきてずっと思ってきたことだけれども「次に打つ手がある」というのはめちゃくちゃ心強いんだよね。まだやれることがある、これでダメなら次は…と考えられるということが随分と私のメンタルバランスを保つ助けになってくれていた。

「今」を大事にしている父

私が脳内で「第三の選択肢か…」「これでダメなら次は…」「ネオーラルの副作用ってどんなんだっけ?」などといろんな(余計な)ことを思い巡らしている時、父は回診に来てくれた先生に『粒がデカい(飲みにくい)んだよな…』と訴えていた。

じゃあ小さくして数を増やしましょうかと提案され、速攻却下する。父と先生のコントみたいなやりとりをボーッと見ながら、どうして父はここまで【目の前のことだけ】に集中できるのだろう?と思った。

よくわからない体の異常、聞いたこともない疾患の名前。先の不安があって当然。何度かは「どうなるかわからないから」とか「何が原因なんだろう」というセリフを父の口から聞いたことはあるけれど、常々口にするのはどちらかと言えば今現在のことの方が多い。

注射が怖い(あ、痛くて嫌だ、だ。笑)とか、粒が大きい薬は飲みにくい、とかもそう。しんどいリハビリも自分の終の住処(実家の転居)を決めるのもなんでも「今」を大事にしていることがすごく伝わってくるのだ。

先の不安を考えたって仕方ないだろう。父はこれまでもそう私に言い続けてきた。父の言う「どうなるかわからない」はもしかしたら「(不安があるのは当たり前)だから”今”だけを考えろ」ということの裏返しだったのかもしれないな。

正直言えば不安だらけだわよ。
考え出したらキリがない。
病気の不安、治療費の不安、介護、再発…「もしも○○になったら?」みたいな疑問ばかりが山のように浮かんできてしまう。

もちろん先のことなんか一切考えずに、とは言っていない。どちらかと言えば父もいろんな(最悪の)想定をして、それにできる限り備えるという意味での「今」を見ようとするタイプだ。

父についていけば、自然にそういう思考ができる。未来へのいろんな不安や疑問が湧いてきても「じゃあ、今なにすんの?こうするしかないでしょう」という着地ができている。

結局、そうやってひとつひとつ「今」を積み重ねていくしかないんだもんね。

ADL(日常生活動作)機能が低下してしまう廃用症候群。父の場合は疾患での寝たきりにより発症したわけだけど、見た目以上に「思うように動かない体」を引きずりながら父はリハビリに励んでいるのだと思う。

それだって「このまま体が動かなかったら」とか「握力が6しかないなんて…」と途方に暮れるのが普通だけど、父はそこで終わらない。「じゃあ今どうすんの?」と自分に問いかけ「やるしかないでしょう」と奮い立たせているのだと思う。

炎症反応にビビること自体は仕方ないことだ。でもそこで終わらせないで「じゃあ、今なにをする?」と考えていったら、父と先生の力を信じてじたばたせずに待つしかないのよ。

自分自身が感じた「来るなら来いや」の心構えも、ちょっとは信じてあげてもいいんじゃないの?

長女さん、いろんな人のおかげで、ちったぁ大人になってきたじゃんか。


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