父が、ベッドに座った日【大学病院血液内科15日目】
父が大学病院に転院してから、私は月に1〜2度実家に帰って郵便物の整理や部屋の換気や軽い掃除をしている。それまで父とは年に数度は会っていたけれど、私が実家に帰るのは年に1回とかだったから比べたらかなりの頻度だ。
面会もあるためいつもは日帰りで実家に行ってたけど、久しぶりに友人と会うことになりこの週末は1泊することにした。面会して、実家に帰り、友人と飲んで、泊まり、戻ってきてそのまま病院へ。弾丸ツアーではあったけど心の息抜きになった。体はまぁそれなりにくたばってたが。そろそろお年かしらね。
話すだけで楽になる。私は仕事上「誰かに話を聞いてもらうこと」の大事さを痛感している。さらにフラットに聞いてもらえたり、気持ちや吐き出す言葉に寄り添ってもらえたりしたらその効果は劇的に跳ね上がる。
これまでの父の経緯をただ話すだけ。友人も『そうだったんだ。大変だったね…それで?それで?』と聞いてくれるだけ。アドバイスも否定もない、こちらも何も求めない。ただこれだけのことで「あぁ、なんかスッキリしたなぁ」と思えるんだからすごいよ。
でもその「ただこれだけのこと」が、なかなかできないんだけどね。
『スリッパを持ってきてくれる?』
週が明けて月曜日。
午後から面会に行く予定だったんだけど、午前中に父からLINE。私と妹もいる家族LINEだった。
『リハビリで、初めてベッドに座れたよ!』
絵文字のびっくりマークからは、父の興奮した様子が読み取れた。なんだこれ、めっちゃ嬉しいぞ。ヤバイ…テンション上がる!!
『のっぽ先生から、ご家族にスリッパを持ってきてもらってと言われたのでお願いできる?』と続く。
(持ってく持ってく、今日すぐ持ってく!)
大きなお腹の苦しさと背筋や腕の筋力や腰の関節の衰えなどが原因で、父はベッドを起こして食事をすることはできるが、自分の体重を支えて座ることはできなかった。食事をしている間もちょっと気を抜くとずり下がってしまうため、胸のあたりに机があるといった変な姿勢でいることも多かった。
ベッドを起こせるようになった時も嬉しかったけど、座れるようになったのはもっと嬉しい。一体どんなリハビリだったんだろう?どうやって父は座れる感動を、興奮を味わったんだろう?
以前、E-ICUの看護師さんから『今は使わないので持って帰ってください』とピシャリ言われていた父のサンダル。車のトランクに積んでいつでも使えるように準備していた。いよいよその日が来たんだ。早く午後の面会に行きたくてウズウズした。
あの父が、地に足をつけた
スリッパを手に、意気揚々と病棟へ上がる。受付でのいつものルーティンがまどろっこしく感じる。父の病室は受付カウンターのすぐ脇。早く父に会いたい。
カーテンを開けると笑顔の父。そうだね、思わず笑っちゃうよね。私も第一声は『よかったね〜お父さん!』になった。
『どうだった?座ってみた感想は?』と改めて訊く。
『うん。先生が支えてくれて、両足をベッドの下に降ろしてみたんだ。靴がないから先生の靴の上に足を置かせてもらった。すんげークラクラしてさ。だけど、座れた喜びの方が大きくて、本当に嬉しかったな』
興奮気味に話す父を、ちょっと泣きそうになりながら見ていた。
救急搬送から8週間と3日。顔色は真っ黒、足の指は紫色で身体中パンパンに膨れ上がる。透析やら輸血やら点滴やら、人工呼吸器も、たくさんの管に繋がれてうわ言を言い、呂律も回っていなかったあの頃の父が、今は先生に抱えられながらも座ってベッドから足を降ろしたんだ。ようやく、地に(正確にはのっぽ先生の靴の上に)足をつけたのだ。
自分でもびっくりするほど感動しちゃってね。ただベッドに座っただけなんだけど、これまでの経緯を考えたら込み上げてくるものがあったんだよね。
サンダルを袋から出し、父に見せた。『ん?それ、買ったのか?』と父。いやいや、これはアナタ様が救急車に乗るときに履いてきたサンダルでございます。浮腫で靴が入らなくて、このサンダルを履いて行ったんでしょう?
『あれ?そうだっけか…』まだ、認知や記憶が曖昧な部分があるようだ。
PTのっぽ先生の励まし
私にそう口に出して言ったことは一度もないが、父は少なからず「以前と比べてできないことばかり」と感じていたはずだ。それでも「できること」「できたこと」を心から喜び感動する気持ちを持ってくれている。それが何より嬉しかった。もう長い期間入院しているし、体力や筋力だけでなく気力まで落ちてしまってもおかしくない。
私なんかでは到底想像もつかないリハビリ患者の心情をのっぽ先生は理解してくださっているのだろう。父にこんな言葉をかけてくださったそう。
「自分はできる」父もそう思えたのではないだろうか。たとえ以前と比べたらできないことばかりに思えたとしても「できることがある」「できるようになる」ことが増える喜びを父はずっと覚えていてくれるだろうか。
そして「明日が楽しみになる」父がこんな風に感じてくれたら最高だ。食事でもいいし飯テロ写メでもいい。テレビ番組でも気の合う看護師さんでも、どんなことでも構わない。「明日はこれがあるから楽しみだ」と感じてもらうには、家族に何ができるだろう?
患者本人のつらさは全然わかってあげられない。想像力だけを働かせて、ちょっとでも「もしかしてこれは希望につながるんじゃないか?」と思うことを父に投げかけ、父をよく観察し、対話をする。
あとはもう、父の底力を信じるのみ。
父にはこれからもいろいろな困難が降りかかるかもしれない。「やっぱりできないことばかり」と落ち込むこともあるのかも。そんな時には父に伝えようかな。「初めてベッドから足を降ろした時のこと、覚えてる?」って。
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