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親子の意地の張り合いも悪い面ばかりじゃないかもよ?【大学病院血液内科18日目】

この頃の父の回復は目覚ましいものがあった。救命病棟を出てからは1度も輸血をしていないけど、血小板は3〜4万台を推移し安定している。また溜まった腹水で90kg近くあった体重も78kgまで減った。たった2週間、透析や腹水を抜く処置をするわけでもなく利尿剤で尿として排出させているだけなのだ。

プレドニンを40mg/1日、週1のアクテムラでの治療を続けているが、先生曰くプレドニンの量は順調に減らしていけているそう。腹水が減り始めたとはいえ水を飲んだり食事を取るとお腹が苦しいのには変わらないようで、1回4錠(5mg×4=20mg/1回)のプレドニン服薬が苦しいと話すと、点滴投与に変えるなどの対応をしてもらえているそうだ。

「昭和のオトコ」の意地

リハビリってどういう判断基準で進めていくのだろう?前日ベッドに座ったばかりの父が、この日は抱えてもらいながら立ち上がる訓練をしたそうだ。そしてさらに翌日には車椅子に乗せてもらったらしい。

なにぶん、これまでリハビリを身近に感じたことのない素人は、その展開めっちゃ早過ぎる!と感じる。

それでも『全然膝の力が入らないんだ。でも立てたのは本当に嬉しかったなぁ』『今まで寝たきりだった自分のベッドを車椅子から眺める時の景色の違いに感動した』と話す父を見ていると、のっぽ先生は父の様子を見ながら進めてくださっているのがわかる。そりゃそうだ、先生はプロなんだから。

そして何より、父の前向きパワーには驚かされる。2ヶ月半も寝たきりの状態から、起き上がり、座り、立ち上がり、車椅子に乗り移る、というこの2日間のステップを『できることが増える喜び』で乗り越えている。実際、体はハンパなくしんどいはずだ。足に力が入らず血圧が下がってクラクラし息が上がりながら訓練している。

たぶん、昭和のオトコの根性。ポスト団塊世代の執念のようなものなんだろう。日本の高度経済成長を支えてきた親世代に育てられた父。多少のことでへこたれるようなタマではないのだ。

「ポスト団塊ジュニア」の意地

私はなんだかよくわからないけど「毎日、父に会いにいく」ことが当たり前だと思っていた。父のため…ううん、たぶん自分のためだ。父が救命を出てからは私も仕事を少しずつ入れるようになったので、夕方18時すぎとかに面会に行くこともあったけど、父に会いにいくのはもはや習慣になっていたのでまったく苦には感じなかった。

ところが父は私のことを気遣ってくれているのだろう、違う考えを言ってくるのだ。私は最初、その真意が読み取れなかった。

私、ほんとうに来れない時は『ごめん、行けないや』って言うタイプなんだけどなぁ…どうして遠慮や本心じゃない(本当は毎日来て欲しい)ことを言うんだろう?

けど父の真意は、Twitterで繋がっている人たちが教えてくれた。

自分の(病気の)ために家族が犠牲になっている、と感じるのが一番苦しいんだ。仕事を終えて面会に来る。私にとってそれは苦ではなくとも、父にとっては「負担になっていないか」と憂慮するような出来事なのだ。入院も2ヶ月が経とうとしている。自分のために負担をかけていると感じて苦しくなっていたのかもしれない。

私も父に似たのだろう、毎日会いにいくのは私自身の意地だし信念だった。しんどいリハビリを前向きにこなすのがポスト団塊の意地ならば、何があっても毎日面会に行くのはポスト団塊ジュニアの意地なのだ。

こう書いていて思う。意地ばっかり張ってアホだなぁ…って。辛い時はつらい、無理な時は無理って素直に言えばいいじゃん、って。今ではお互い歳を取ったのか、だいぶ緩和されてきたけど、ほんのひと昔前までは父も私もそれを口にすることができなかった。それが原因ですれ違っていたことも多くて、タチの悪い親子だったと思うよ、ほんと。

でも、なにかにつけ、この「意地」だけで乗り切ってきたこともある。あながち悪い側面ばかりではない。私も、そして父も、今のこの苦境を意地で乗り切ろうとしているところがある。

ただ、2020年。2人とも後に「あぁやっぱり、意地だけじゃ無理よね」と痛感することになるんだけど。そのきっかけのひとつがコレ↓

この頃はまだ、あんなに大ごとになるなんて思っていなかったけどさ。

病名を断定するのは難しいけど…

相変わらず、病室への回診は複数名の先生方がごそっと来てくれる。この頃になると「あぁ、この先生は結構よく来てくださるな」とわかるようになっていた。

『ステロイド量の調整を慎重に進めています』と1人の若い先生。この先生はよく来てくださる先生の1人で色白のイケメン先生だ。つるんとゆで卵のようなお肌をしておられるので「たまご先生」と呼ばせていただこう。

あまりガンガン減らすと血小板が4万→2万になったりするから、とのこと。ただ、今は体重も減り食欲もあってリハビリで体を動かせてもいる。CTを取って体液貯留の状態を確認しながら再び薬の量を調整しようと思う、と説明してくださった。

私はずっと気になっていることを、たまご先生に質問してみた。

『以前、救命の先生からPOEMS症候群寄りかもしれない、と言われていました。神経の炎症、障害があるかもしれないと聞いていたのですが、今はどうなのでしょうか』

救命病棟を出る直前、血液検査でMタンパクが陽性になり、電気を送る神経検査の結果もしかすると神経障害が出ているかもしれないとスター先生に言われていた。もしかして歩けなくなったりするのだろうか?と気になっていたのだ。

たまご先生は「う〜ん」と一言発した後、こう続けた。

『この病気は「病名はこうです」とズバッと診断するのが難しい類の疾患なんですよね。だからTAFRO症候群なのか、POEMS症候群なのか、今の断面でハッキリ言うことはできないです。ただ、現状お父さんはリハビリも順調に進んでいます。なのでそこまで不安にならなくても大丈夫かと』

ひと安心…なのかな?

正直「あぁ、そういうことならもう大丈夫だ」と思えるまでには至らなかったが、ひとまずリハビリが順調に進められているという事実だけを見ていこうと思った。

ホント、厄介な疾患だな。

リハビリも減薬も少しずつ前に進めている。それだけじゃなく、体に繋がっている点滴や酸素の管の類も、どうやら外すタイミングを狙っているような雰囲気だった。

とにかく、先はどうなるかまったくわからない。ただその先に「何かあったら」とか「最悪のケース」などを想定する時期でさえ父は乗り越えてきた。

大丈夫。これまでも今も、前に前に進んでいるのだから。

そう自分に言い聞かせていた。


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