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第1関門【E-ICU(救命病棟)を出る】突破までの24日間

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TAFRO症候群も人それぞれ病状が異なる病気です。急速に悪化する炎症が命を危険にさらすケースも。父の場合はその最重症と診断されました。発症から40日間の急性期、E-ICU(救命病… もっと読む
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TAFRO症候群最重症での急性期脱出時はこんな状態

TAFRO症候群最重症での急性期脱出時はこんな状態

救急搬送されてから40日、父は集中治療を終えて救命病棟を出ることができた。「何かあったらすぐ来れるように」と先生から呪文をかけられ、病院からの電話に怯え、「このまま意識がなくなってしまうんじゃないか」と焦る意識混濁を目の当たりにし、人工呼吸器や輸血・透析などのたくさんの管に繋がれていた状態を脱することができたのは、父の頑張りと医療スタッフの懸命な治療のおかげだと思っている。あとは少なからず運やタイ

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難病を患った父への感謝と死の淵から救ってくれた紅白歌合戦【大学病院ER23日目】

難病を患った父への感謝と死の淵から救ってくれた紅白歌合戦【大学病院ER23日目】

この日は大晦日。いつもは義実家に帰省していたので、自宅でオットと2人で過ごす年越しは久しぶりだった。『お節は無理だけど(笑)蕎麦とお雑煮くらい作るかね〜』なんて父とも話していたので、年越し用の買い物に出かけてから面会に向かった。

相変わらず、年末の救命外来は大賑わいだった。待合の椅子に座ることすらしんどくて、背もたれに倒れ込むようにして待っている患者さんやそのご家族が所狭しと。待合から離れたとこ

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「わからない不安」病に冒された長女さん、「ザ・昭和」な父に助けられる【大学病院ER22日目】

大学病院に来てからずっと、父のベッドはスタッフステーションの目の前だった。それは素人の私でも「急変に備える」「何かあってもすぐに来れる」そういう意味だということがわかっていた。

そして3週間経ち、この日父はスタッフがいるところから一番遠いベッドに移っていた。症状が落ち着いてきたことを示す良い兆候だった。

ところが父は少し不安そうにしていた。

『ドアは開いたままにしておいて』(実際はドアが閉め

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TAFRO症候群最重症の父、第一目標「救命を出る」ための条件【大学病院ER20日目】

TAFRO症候群最重症の父、第一目標「救命を出る」ための条件【大学病院ER20日目】

24時間持続透析から短時間、週3回の透析に変えて3日経った。看護師さんからは『少し体の怠さなどが出るかもしれません』と言われていたけど、父に聞く限り大丈夫そうだった。ベッドに寝たきりとは言え体が怠くなるのはしんどいはず。耐えられないほどじゃないということなのかもしれない。

意地悪オバさん事件でリスケになった先生とのお話。転院からちょうど20日目のこの日、通常の面会時間前にアポを取った私を、受付さ

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《後編》長女さん、底意地の悪いオバさんと化す【大学病院ER19日目】

《後編》長女さん、底意地の悪いオバさんと化す【大学病院ER19日目】

「ミスはそっちのせいでしょ?なんで私が動かなきゃいけないの?」

救命病棟の待合に潜む【闇】が私を意固地にさせ、負の感情に燃料を注ぎ、炎上しつつあった前編。

その後の顛末はまるで「いじわるばあさん」と化し、一気に老け込んだ自分の姿だった。

面会時間終了10分前《爆発》私は完全にイライラしながら、ただただ怒りを身体中に溜め込んで、じっと空の一点を見つめていた。トイレも行かず飲み物も取らず、時折脚

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《前編》長女さん、底意地の悪いオバさんと化す【大学病院ER19日目】

《前編》長女さん、底意地の悪いオバさんと化す【大学病院ER19日目】

その日、私は怒っていた。

怒りとか、不安とか、焦りとか、そういう「人を嫌な気持ちにさせる感情」は基本的に【ネタに変えるまで人に話さない】ように心がけている。人に向けて吐き出した結果、はじめは小さかった感情が自分の中で大きく炎上し、人に「共感」を求めたくなるのが嫌だからだ。負の感情の連鎖は作りたくない。自分との小さな約束ではあるが、私なりの感情コントロール術だと思っている。

だが、それと「感情を

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24時間持続透析からの離脱、ついに【大学病院ER18日目】

24時間持続透析からの離脱、ついに【大学病院ER18日目】

現実から目を背けようとしていた自分を恥じ、反省し、ちゃんと見つめようと決意した前日。父ともう一度やるべきことを確認した。私のやることは「父の想いを汲み取って粛々と必要な手続きをする」こと。年末年始に差し掛かっていたので、年明けすぐに動けるように準備を進めた。

辛くないか、って言うと正直ウソになる。すぐに気持ちを切り替えて…という風にはいかなかった。父が生きられない可能性を考えて進める手続きは、そ

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『お前たちに何かしら遺してやりたい』【大学病院ER17日目】

前日の腕の震えはぴたっと治まっていた。薬の影響か?筋肉や神経に何か起きたのか?寒かったのか?原因はわからない。

こんな感じの「よくわからない症状」みたいなものは本当に数え上げればキリがない。けど1日(ないし数日)で治まる症状なのであれば大丈夫、続くようなら相談だ。そう思えるようになって来たのは看護にも少し慣れて来たということなのだろうか。

ちょうどクリスマスだったこの日の面会は、私にとって忘れ

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1泊約13万円のベッドに震える腕【大学病院ER16日目】

1泊約13万円のベッドに震える腕【大学病院ER16日目】

ステロイドパルス開始日から5日経ち、アクテムラとのダブルアタックもあってか、転院16日目のこの日は今までに比べて少し調子が良いように思えた。それは軽快に喋る父の様子から窺い知れた。

ステロイドパルスがこんなに早く効果が見えるものなのか?それはわからない。アクテムラはすでに3回目だったし(つまり3週目)それなりに期間は経過しているわけだしね。

側で見ているこちらとしては、意識が朦朧とし呂律の回ら

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アクテムラとステロイドパルスのダブル処方でアタック【大学病院ER15日目】

アクテムラとステロイドパルスのダブル処方でアタック【大学病院ER15日目】

週が明けて。
スター先生の計画通り3日間のステロイドパルス療法を終え、3回目のアクテムラ投与が行われた。

アクテムラは投与の間隔が決まっている。この時の父は1週間に1回。だから金土日とステロイドを点滴して月曜日のアクテムラの日に合わせる形になっていた。

パルスの翌日にアクテムラを投与する意図は何かあったのだろうか?同じ日にステロイドとアクテムラを併用させないように…とか?

スター先生は『タイ

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ステロイドの効果と誕生日【大学病院ER14日目】

ステロイドの効果と誕生日【大学病院ER14日目】

救急搬送からちょうど4週間経過したこの日は私の誕生日だった。妹は今回、この日に照準を合わせ狙い撃ちでこちらに来てくれていた。自分の誕生日に家族3人が一緒にいるなんて、いったい何十年ぶりだろうか。

だからと言って特別何かが変わるわけではない。いつもと変わらず面会に行き、看護師さんに呼ばれるまで待合で過ごす。ステロイドパルス初日が明けて父の様子はどうなっているのか、不安と期待が入り混じった待ち時間だ

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待ちに待った”治療の第2選択”ステロイドパルス療法【大学病院ER12日目】

待ちに待った”治療の第2選択”ステロイドパルス療法【大学病院ER12日目】

前日の血圧急降下が気になっていたけど、最悪の想定(病院からの緊急連絡)は的外れに終わった。この日は10日振りに妹と一緒に面会に行くことになっていて、ひとまず「何もなかったはずだ」と信じ、家族3人の再会を楽しもうと思っていた。

この日はいろんなことがあった。
その一つは先日書いた《妹、病棟から締め出される事件》

そしてもう一つが、スター先生からの新たな治療方針の説明だった。

アクテムラの投与だ

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救命病棟《七不思議》

救命病棟《七不思議》

『ていうかさ、普段の待ち時間も本当に処置や検査中なのか怪しくなって来たよね?』

父と娘2人、家族全員の見解が一致した

これは私たち家族が体験した【救命病棟七不思議】の一つである

患者家族から見た救命病棟の厳戒態勢のしくみICUは急性期の患者さんが入院している。医療スタッフはいつ急変するかわからない状態の患者さんを24時間体制で診ていかなければならない。だから、体につけられたモニターの数値を集

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血圧65まで急降下…慌ただしい医療スタッフと茫然の娘【大学病院ER11日目】

血圧65まで急降下…慌ただしい医療スタッフと茫然の娘【大学病院ER11日目】

私はオットと共に事業を営んでいる。著しく大きな成長を遂げてきたわけではなく、やれお金だ、やれトラブルだ、と勤めていた頃に比べるといっろんなことが襲いかかってはくるけれど、ありがたいことに仕事をいただき、スタッフもいてくれて、もう5年近く続けることができている。

何より、時間に融通が効く。父が急に倒れた…となってすぐに駆けつけることができるのも、毎日面会に行けるのも、この仕事形態とオットやスタッフ

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