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「え」は英語のえ 其の二 ふたりの自分、そして広がる世界

前回、英語の学び始めがさも順調かのように
話を書いてしまったのですが、改めて思い返すと
実はそうでもなかったことに気づきました。

それは、英語を学ぶことによって引き起こされた、
私自身について認識、ちょっと難しくいえば
「アイデンティティ」(自分が自分であること、
さらにはそうした自分が、他者や社会から
認められているという感覚)の問題が
起きてしまったのです。

ずぶずぶの日本人がずぶずぶの日本の日常で
急激に英語に晒されて、考え方や行動様式が大いに
異なる世界が見えてしまったことで、1つの体で
ありながら複数のキャラクターが中に存在して
それが綱引きをするような状態になってしまいました。

それは、控えめで主張が薄く目立たないことを是とする、
日本的でとても田舎に合った価値観と、はっきりと自己主張し、
結果として目立ってしまうという英語を話した時の価値観、
そしてキャラクターのせめぎ合いです。

もともと私はふたご座だということもあって、
何かに熱中する自分をどこか冷ややかに見つめる
もう1人の自分というものに気づいてはいました。
英語を学ぶことによって、それがさらに
強くなったといえるかもしれません。

日々の生活は当然ながら日本語を話す日本人に
囲まれていますから、話す相手も高校にいる外国人の
先生くらいしかいませんでした。そうすると、おのずと
独り言が増えていくことになります。

さらに、まだ10代ですから家族とも同居しており、そんな
なかで毎日一人だけ英語漬けで、独り言や寝言まで
英語になっていたのですから、当然家族からも白い目で
見られていました。

もともと、私は家族の中でも一人どこか毛色が違っていて、
「浮いている」感じを味わうことが多かったように思います。
実家は5人家族ですが、私を除いて全員バリバリの理系で
数字に強く、さらには文書の読解能力や言語的な表現力にも
優れた人たちでした。

言語を学んでいながらにして、私は自分の意見を表現する、
というか自分の気持ちを言葉にすることすら、長いこと
とても苦手でした。

それが、英語を学んでから自分のことを英語で語れるように
なり、それが嬉しくてどんどん先に進むようになった、とも
いえます。とはいえ、書くことはまた別の話でした。

今はこうして文章を綴ることをしていますが、かつては
文章を書くことは苦痛でしかありませんでした。

何を書いたらいいのだろう、そもそもどういう風に言葉に
すればよいのだろうと、紙とペンを前に悩み、何一つ先に
進まないことが多かったのです。

それが、大学に入って顕著に表れてしまい、課題のレポートに
苦慮し続けて、最終的には卒論を書くときに行き詰ってしまった
のです。しかも英語で卒論を書くことを選んでしまったので、
なおのことそうでした。散々悩んだ末になんとかやり過ごしたのですが、
今に至るまであのときは本当にしんどかったことを思い出します。

言語と文化、習慣というのは密接に紐づいているものなので、
新しい言語を学ぶということは、新たな自分を獲得するような
ものにもなるのではと思います。

「英語話せる=かっこいい、おしゃれ」
そんな風に思っている方も多いかもしれません。

私も習い始めはどこかそう思っていたかもしれません。
でも、英語を使う当時者としては、実際のところ
かっこよくもおしゃれでもない、というのが実感です。

それは、日本語を話す私たちが日本語をおしゃれだとは
思わないのと、なにも変わらないのです。

その一方で、外国の方で、日本語が書かれたTシャツや
日本語らしきタトゥーを入れたりしている人を見ると、
日本語も外からみたらおしゃれな言語とみなされている
ことがわかります。

人は、本当に違っていることや自分のできないことを
すごいとかおしゃれとかかっこいいとか、そんな風に
思ってしまうのかもしれません。

でも、できてしまえばそう思わない。
だから、日本語をおしゃれだとは思わないんですよね。
実際は、ややこしい日本語を一から習得するのはひたすら
大変なことなのですが。

だから、英語の学び始めはかっこいいでもおしゃれでも
いいかもしれない。でも、できてみたらそうでもないですよ、
とは言っておきたいと思うんです。

ただ、英語ができたら入ってくる情報が変わるという
ことは確かです。

インターネット上の記事を引用すると
「Statistaの「ウェブサイトで利用されている言語の割合」 によると、1位は英語(54.4%)、2位がロシア語(5.9%)、3位ドイツ語(5.7%)と英語が突出しています。意外にも日本語が4位(5.0%)に入っています。英語の占める割合が圧倒的な一方、話者数でトップの中国語はわずか2.2%とその差は明らかです。同様に、5億人以上の人が母語として使っているヒンディー語、アラビア語またはベンガル語は、3言語を合わせても11.4%にしかなりません。」

(出典:https://www.crimsonjapan.co.jp/blog/most-popular-languages/#:~:text=%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%A7%E6%9C%80%E3%82%82%E4%BD%BF%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E8%A8%80%E8%AA%9E&text=%E5%89%8D%E8%BF%B0%E3%81%AEStatista%E3%81%AE%E3%80%8C%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%96,%EF%BC%85%EF%BC%89%E3%81%AB%E5%85%A5%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

このように、英語ができることで、触れることができる情報量は
圧倒的に多くなります。

さらに、上記の記事は英語の記事を引用しているので、引用元の記事も
読めるということになります。これはつまり、本当に引用元でそういっているのか、確かめることもできるようになるということです。

引用した人が引用元の情報をゆがめている、という場合も大いにあり得る
ことですから、裏を取ることができるというのは強みになるのでは
ないでしょうか。

英語を学ぶことは、見える世界を広げてくれます。
ただ、その過程で、もう一人の「人格」ができてくる
その「人格」とどう折り合いというか、同居していくか
ということも課題になると思います。

英語ができる日本人でさえ、英語を話す他の日本人や
外国人のことを「あの人は英語で話すときは強気だ」
などと言っているのを私は何度も耳にしています。

このアイデンティティの問題は当事者にもなかなか
気づかれないことなのかもしれません。それだけに、
自らの中に複数のアイデンティティが存在し、
その折り合いがついたら、うまく同居できたら、
他の言語を学ぶことがより効果的で早くできるの
かもしれない、私はそんな仮説を立てています。

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