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モノからコトへ(6) 〜 サステナビリティについて N53

 今ではファッション(or 記号)となってしまったサステナビリティはついこの間までは厄介な問題の一つに過ぎなかった。今回はこのブームになるまでの舞台裏をヨーロッパから見た視点で考察したい。

 有名なところでは古くはローマクラブの「成長の限界」のような取り組みが積み重なりヨーロッパを中心にこのサステナビリティは大きな潮流に育ってきたと私は認識している。そして日本もまた環境立国という自己認識の元深く関与した。1997年に京都市の国立京都国際会館にて第3回気候変動枠組条約締約国会議を開き、「京都議定書」が採択されその後Kyoto Protocolがサステナビリティのキーワードとなった。  当時、大量生産大量消費が依然として世の中のトレンドでコスト競争力が国や企業の競争優位を決める大きな手段の一つだったため、各国および各企業はどうこの関所を乗り越えるかが各国に与えられた削減目標であった。特に新興国や途上国は工業化の過程としてCO2排出が不可欠とのスタンスが強く先進国vs途上国の構図ができていた。

 そして欧州は通貨統合の後の2000年半ばにリスボン条約の中で気候変動や地球温暖化に対する合意を欧州連合の目標として追加した。当時、私は欧州にいたが、欧州の話題はリスボン条約一色だったのを覚えている。 

 そして何故欧州がそれほどまでにサステナビリティに積極的であるかは、彼らの口からは欧州の戦略という回答がきた。米国と比較して欧州連合は出来上がったもののまだ対抗軸としは弱く、一方で成熟した国々としての強みを出すには自ら規制をすることだと。わかりやすい例として欧州はF1で有名だが、スピードの早いオートレースは他にもあるが、F1が面白く人気がある理由はフォーミュラ(つまり規制)がある中でどれだけ人間が知恵を絞って最高の乗り物としての人工物を作り上げるかを競うためだ。つまりサステナビリティのための規制ができることで苦しいもののイノベーションが起き、それが欧州全体の発展および競争力強化につながるのだと。

 当時ネスレがコーヒー豆のフェアトレードという概念を生み出すなど大手企業やアントレプレナーが部分的に行っていた取り組みが今では一般的に普及するようになった。

 最近ではサステナビリティあるいはSustainable Growthという言葉は変化して様々な分野で使われるようになってきている。人々のムードを盛り上げるマーケティングが得意なアメリカ企業や節約の心をエコとして広める日本企業など、プレイヤーは多岐にわたり、欧州の取り組みは希薄化されている。しかし京都議定書で設定した目標で達成したのは最も高く削減目標を設定したヨーロッパであり、日本は未達に終わり、そもそもアメリカは締結拒否をしたという問題児であった事実を忘れてはいけない。正義は必ず勝つわけではないが、正義の努力はいずれ何らかの形で発芽すると私は信じる。  

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