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場の平等性がマタニティマークを付けづらくする? N61

 妊婦の方がマタニティマークを付けることを躊躇すると最近よくネットニュースでみる。場合によっては暴言を受けたり、危険な目に遭うこともあるらしい。これは日本人の公共の場に対する独特の価値観が影響していると私は考える。  

 1つ目の例として公共の場に対する考え方で顕著に異なるのは喫煙の許可だ。日本は屋外でタバコを吸うことは原則禁止という認識だが、レストランでは喫煙を認める傾向にある(オリンピックを機に政府がやめさせようとしたものの根強くOKな場所が残ってしまった)。一方、他の先進国では逆で屋外ではタバコを吸うのは自由だが、屋内のレストランではいかなる形態であれ禁止だ。ちなみに今だに電車(新幹線)でタバコが吸えるのは日本だけだ。どんな利権が絡んでいるのかは知らないが、国の名誉と(特にこどもたち)国民の健康のために全席禁止にしてもらいたい。  

 2つ目の例として電車内の携帯電話の利用。日本は電車内で携帯電話を使って通話をすることは原則認められないが、海外では自由にできる。シンガポールの友達にそれを伝えたところ携帯電話の意味がないじゃないか!と一言。確かに移動中に使うための電話が携帯電話なのに電車の中で使えないのであれば携帯電話ではない。だが日本人は周りの迷惑を優先する。  

 3つ目の例としてはバスの中でこどもが騒ぐことは日本では禁止だ。赤ちゃんが泣くことも事実上禁止だ。その理由は周りの迷惑だからだ。逆に海外でこどもが騒ぐことや赤ちゃんが泣くことで文句を言う人はいない。ちなみに子供の1-2割は親がどれだけ努力をしてもおとなしくできない子供がいる。脳の問題だ。よく親がしっかりしろとか叱る人もいるが、実はそのような親は心底疲れ果てて力が尽きている状態であることを知っておいた方が良い。  

 結局、マークをつけることでその妊婦の方に席を譲らないといけないという不平等感を与えてしまうことが周りの迷惑と考えてしまうということだろう。しかし欧米の感覚は席を譲って欲しければ自分で席を譲ってくれと言わなければいけないそうだ。妊婦でも立っていればその人は席を立っていたいのだろうと思われる。妊婦だから席に座りたいのであれば席を譲ってくれと言うであろうと言う発想だと同僚は教えてくれた。もちろん海外でも日本人のように空気を読んで席を譲る人もいるが、自己主張をすることが前提にあるそうだ。そう考えると日本の日常生活は空気を読んで欲しいオーラと察する心でお互い疲弊をしているんだなと言うことか。  

 そんなお互い疲弊するくらいなら妊婦の方には国がタクシーチケットを配って電車に乗らなくても大丈夫なようにした方が良い。少子化で騒ぐなら子供や妊婦の方に圧倒的な優遇をすべきだ。  

 最後に「妊婦の方」と書いたが私は「妊婦」と言う言葉がイマイチ好きでない。英語では「Expecting(Expectant) Mother」という。素敵な言葉ではないか! 

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