日本の教育が遅れていると思う理由 〜 デジタル教科書の導入より N72
国の未来を作るのは教育であることは間違いないことだろう。デジタル教科書が2024年度に本格導入されることが決まった。これは世界的に見てもかなり遅いと言える。
この遅さの背景を知るために教育基本法を辿ってみたが、なんだかはっきりしない法律だが、第一章 第二条(教育の目標)一の「幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと」を見る限り、デジタルになれる上でデジタル教科書を急がない理由はなさそうだ。
しかしながら、このデジタル教科書、まさか紙の教科書をそのままタブレットで表示してデジタル教科書の出来上がりと言い張ったりしないだろうか心配だ。デジタル化は急速に進んでいると日本のマスコミは言っている。であれば、教育のデジタル化を、教科書のデジタル化を。と慣れない教育関係者の人たちがアナログに進めた結果でないのか心配だ。
学校が教える前に子供たちはスマホでそして親のタブレットやパソコンを借りて自らデジタルに触れていくものだ。しかしもし学校に価値があるのであれば(私は生きる上での力や能力を身につけることこそ、今の学校に求められているものだと思っているが)、デジタルへの接点となるデバイスの扱い方を教えずに何を教えるべきだろうか。
学校がデジタル教科書を導入すれば、親は否が応でも子供専用のタブレットやラップトップを購入して与えざるえない(買えない人が問題なら税金で国から提供すればよい)。それで悪いことをして痛い思いをするのも子供の経験であり、また道徳的にどう判断するかを教えるのも教育の役割だろう。LINEイジメが起きているニュースを知ると学校が根本的な何かを教えていないといつもながら感じるのは私だけだろうか?
そして飛躍感あるプログラミング教育の必修化。デジタルの仕事をしている立場からすると正直なところ人生でプログラミングを使う職業の人口は20年後もあまり変化していないと思う。デジタルは街にもっと溢れるけれども、プログラミングをする人がアプリケーションを作るから問題ない。またプログラム人口が必要であればインドがあるから当面問題ない。
教育に期待したいのは人としてどうデジタル(技術)と接するべきか、どう使いこなすか、どう倫理を持つべきかで、プログラムの技術獲得ではない。中途半端に学んでも稼げるスキルには至らないし。
ということで、世界から2-3周遅れになっている上にトンチンカンな方向に進もうとする日本の教育に警鐘を鳴らしたい。海外から。
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