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自己紹介 始まり - 俺は誰?

初めまして日本を出て10年以上、現在はアメリカ、メキシコ、ペルーにで生活しているもっちゃんです。プロフィールには記載しておりますが、元々は東京都内にある児童養護施設出身です。施設では長年生活しており、いじめ、虐待などを受けてました。その反発から非行に走り、未成年で女性遊び、大人への暴力(正当防衛)、酒、タバコ、深夜徘徊、脱走など、悪グループと言われる仲間と行動。

その後、若くして結婚、離婚、児相に子供を奪われ、鬱病、貧困生活などを経て、自分を変えるため、批判覚悟で渡米を決意。英語力0のまま貯めたお金でアメリカ学部留学。しかし、アメリカでも貯金をほぼ全て使い、学部退学、ホームレス、日本帰国困難の危機に直面。銀行口座に$200しかなく、日本に帰れず一か八かメキシコへ。

手持ち金もほぼ無かったため、メキシコシティの人であれば誰もが知る一番治安の悪いメキシコ市のNezahualcoyotlへ6ヶ月滞在することに。周りは物騒で、野犬に毎日追いかけられたり、2回ほど誘拐されそうになった経験も。日中の銀行やモールの周りにはマシンガンを持ってる警備員、そして夜は警察だけではなく軍隊が見回りをするカオスぶり。死の覚悟をしながらも、オンラインでの仕事と現地での仕事で大学の学費を稼ぎ、アメリカの名門と言われる州立と私立大学へ編入の出願、そして6件出願のうち、5つ合格。

Zócalo, México

編入した州立大学の卒業を目指し、仕事と学業の両立を始める。学費の貯金、また仕事集中するため、計3回の休学を経験。 DXコンサル、IT、輸入販売、プライベートでの日本語学校立ち上げなどの仕事に従事。その後、メキシコで永住権を取得し、仕事でタイ、ペルーへ旅行で滞在。ペルーの魅力に魅了され、ペルーでの生活開始。仕事をしながらアメリカ、メキシコ、ペルーの3カ国で生活を始める。仕事と学業の両立をしながら、ほぼ自力でUniversity of Minnesota, Twin Citiesを卒業。

Cusco, Perú

卒業後、仕事だけの物足りなさを感じ、大学院へ行くことを決意。自分のポテンシャルを測るため、卒業大学よりも更に上の大学へ行けるか挑戦。アメリカのTop大学グループのIvyスクール3校のみ出願。Harvard University、University of Pennsylvania、Cornell University。変わった経験が功を奏したのか、全ての大学院から合格通知を受け取る。本命は全米のプログラムで1番のペンシルバニア大学だったが、周りの意見を参考にハーバード大学院へ進学を決意。

Widener Library

大学院入学後は、生徒会長タイプの口だけの学生が多く愕然とする。また、ハーバード=エリート、優秀と言うイメージが先行し、imposter syndromeになると思ったが、入学したプログラムの学生とそこまで差はなく、そこまで優秀でない人も多数。その後、プログラムに対しての失望から大学院退学も考えていたが、周りの仲間に支えられ、2024年5月に無事大学院卒業。さらに最後の学期にやりたいことが見つかる。それが児童養護施設、里親出身、生活者の教育アクセスへのサポートやSocial emotional learning(SEL)教育サポート。日本だけではなく、アメリカ含む各国で彼らの大学進学率、就業率は非常に低く、これらの課題を解決するための何ができるか現在複数名の仲間と検討中。

さて、これからブログを通じてどんな経験をしてきたか、なぜ社会的弱者だったのにここまで来れたのか?をノンフィクションでお届けできればと思っております。児童養護施設出身や社会的弱者、悪さをしていた人でも人生はもう一回やり直せる。少しでもそんな希望を皆さんにも感じていただければと思います。また、社会的弱者だった経験から見る社会の問題点についても語っていきたい思っています。

最後に言わせて….

親ガチャ失敗?社会的弱者?そんなの関係ない。
俺らは社会の一員。
不平等なこともあるかもしれない。
政治家、社会が何もしないなら俺らが声を大にする必要がある。
俺らの声がたくさん集まれば社会的インパクトを残せる。
社会的インパクトを残せれば社会は変わる。
俺らは一般の家庭よりもユニークなバックグラウンドの持ち主。
もっと自信を持とう。

人生は一度きり。
いつ死ぬか分からない人生なら後悔しないように好きなことをする。
後悔して死んでいくほど哀れな人生はない。
リスクも分かる。
一歩踏み出す勇気があるかどうかこそが人生には重要だ。

もっちゃん


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