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「あの人がいないと生きていけない私」にはなっちゃだめ

「あの人がいるから頑張れる」
「この人がいてくれるから私も生きられる」

そう思えることは、とても素敵なことです。

そう思えるほどの大切な人に出会えたことも、計り知れず幸せなことだと思う。

だけど、「あの人がいないと生きていけない」

そうなってしまってはいけません。

これは、“依存”です。

“あの人がいないと生きられない私”になっちゃだめなんです。


生きることの軸を“誰か”にしない

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生きていく上で、“生きがい”を見つけるのはとてもいいことだと思います。

その生きがいはなんだっていいと思う。

「これがあるから私は頑張れる」

「これがあるから人生が楽しい」

そう思えるものがあれば、生きるのが楽しくなるし、嫌な仕事だって頑張れる。

物、趣味、人、仕事、生きがいはなんだっていいと思う。

けど、その生きがいを“誰か”にするときには注意が必要です。

「この人がいないと生きていけない」
「あの人がいてくれないと私は頑張れない」

そう思ってしまうのは少し危険だということを知っておいてほしいです。

これは“生きがい”ではなく“依存”になってしまっているから。

“誰か”を行き過ぎた生きがいにはしてほしくないのです。


“誰か”を軸にすると“自分”が弱くなる

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「この人がいないと生きていけない」

私にも、そう思ってしまった経験が幾度かあります。

その人がいてくれたら、生きるのが楽しかった。

その人が頑張る姿を見ていたら、自分も同じように頑張れた。

一心同体みたいな感じがして、それもまた嬉しかった。

けれど、その人がいなくなってしまったとき、どうなったと思いますか?

言わなくてもわかると思うけど、生きるのが嫌になったし、頑張る気力も失せた。

“誰か”を生きる軸にしたことで、生きるのを頑張れる代わりに、頑張る理由が“誰か”になってしまったんです。

自分のために頑張るんじゃなくて、誰かのために頑張る自分になってしまった。

自分の意志は固いものかと思っていたけど、全然違った。

生きる軸にした“誰か”がいなくなることで、「私って芯がねえな、ブレッブレじゃねえか」と気付けたのである。


“自分”を軸に生きた人生の方が圧倒的に強い

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「あの人が喜んでくれるからあれをする」
「その人に認めてもらいたいからそれをする」
「この人に振り向いてほしいからこれをする」

これは何かをするための“強い動機”にはなるけれど、“あの人”がいなくなったら…“この人”が消えたら…、その強い動機はなくなる。

そもそも、“強い動機”ではなく、“弱い動機”だったことに気づく。

「あの人がいないと頑張れない弱い自分」に気づく。

生きる軸を誰かにすると、自分が弱くなってしまうんです。

せっかくの自分の行為が、“誰か”を軸にすることで、弱くなってしまう。

だからこそ、生きることは「誰かのため」ではなく、「自分のため」でなければならないのだと思う。

自分の本能でいい、エゴでいい、自分勝手で良いと思います。

自分勝手で本能的な動機だからこそ、ブレにくく芯の強い自分になれるんだと思う。


生きる軸は自分に、生きがいは誰かに

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「この人が私の生きがいだ」

そう思えること、そこまで思える人に出会えたこと、それは本当に素敵なことだと思う。

けれど、その気持ちが強くなりすぎることで“生きる軸”を“誰か”にしないように。

あくまで生きる軸は自分に、生きがいは誰かに。

そんな人生の方が、ブレにくく、バランスが良く、生きやすく、心地よい人生になるのだと私は思う。

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