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悪いのは言葉?

いじめ、という言葉が良くないと言われる

いじめ、というから、軽く思われるのだと

いじめ、ではなくて、

暴行罪、窃盗罪、傷害罪、名誉毀損、

つまり、犯罪として、扱えと

確かに、そうかもしれない

いじめ、と一緒くたにすることで、

ひとまとめにすることで、

物事を、問題を、単純化、してしまう

わかりやすくすることで、なんだか、

軽くなった印象を受けてしまう

言葉により、わかりやすくすることは、

必ずしも、良いことではないのだ

というか、言葉、というのは、

案外、曲者なのだ

だって、言葉として言われたそれは、

果たして、そのまとめた言葉ほど、

単純ではないからだ

言葉でくくれるなら、それで済むなら、

それは、ゲーム的な世界観だろう

プログラムによって構築されるゲームは、

言語による物語や、世界と、どう違うのか?

言葉で済むなら、ゲームでいい

いじめだって、戦争だって、なんだって、

すべてはゲームなのだ

人を傷つけるゲーム、

人をコロスゲーム、

そんなのは良くない?

ダメ?

なんで?

例えば、戦争がいけない、と言われる

なぜか?

人が死ぬから、

人を傷つけるから、

自分がそんな目に遭いたくないから、

でも、なら、逆に、

自分は絶対、安全圏にいられるなら?

自分は絶対に、被害を受けないとしたら?

それこそ、映画やゲームみたいに

なら、その娯楽性を否定できる?

だって、そんなのはたくさんあるよ?

それを否定できる?

なんで?

だって、同じ「戦争」なんだよ?

同じ言葉で、表せるよ?

なにがどう違うのか?

「戦争」という言葉を、

ゲームとしての読み方、

現実としての読み方、

色んな読み方があると思うけど、

それこそ、人によって、あると思うけど、

でも、それが一つの言葉によって、

表されてしまうというのは、

一体どういうわけなのか?

言葉、というのは、絶対的なものか?

それとも、のっぺりとした、

平坦なものなのか?

なら、それをどこまで信じられる?

戦争は良くない?

いじめは良くない?

なら、逆に、

平和、人権、愛、なんてものは、

どうやって実現するのか?

のっぺりとした均一化?

それとも?

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