【BOOK】『あしたの君へ』柚月裕子:著 心の内側に寄り添う仕事
「家庭裁判所調査官」と聞いて、どんな仕事なのかを説明できる人は、そう多くないだろう。
それだけ普段の生活には馴染みがない職業である。
本書はその家庭裁判所調査官になる、前段階の「調査官補」が主人公の連作短編集。
家庭裁判所調査官に採用されたばかりの新人・望月大地は2年間の養成過程研修で九州・福森家裁に配属される。
新人ではあるが実際の少年事件を担当するなかで、表面には見えてこない心の内側に、その人にしかわからない真実があることに気づく。
それは必ずしも良いことだけとは限らない。
相談者と彼らを取り巻く家族との抗いがたい葛藤と苦悩を共に考え、向き合うことで、望月大地自身もまた成長していく物語。
家庭裁判所調査官という仕事
家庭裁判所調査官(補)は、家庭内のトラブルや少年事件を調査する仕事だ。
日本は住民基本台帳に基づき、行政上の単位として「世帯」という考え方がある。
子どもは生まれてから親と同じ「世帯」に属し、成人して結婚すると新たな「世帯」を形成する。
住民票には「氏名」「生年月日」などと共に「世帯主の氏名と世帯主との続柄」が記載されている。
「世帯」とは単純に「家」と置き換えると、厳密には違いがあるが、社会通念上は似たようなものとして扱われている。
日本ではこの「家」という単位で、あらゆる事柄を担う構造になっている。
基本的に「家」で起こったことは、その「家」ごとに解決してくださいね、というのが、おそらくほとんどの日本人の無意識下にあるのではないだろうか。
制度があるからそうなのか、そういう意識があるから制度が出来上がったのか。
鶏が先か卵が先かわからないが、無自覚にそういうものだと思って生きている人がほとんどだろう。
うまくいっている時は良いが、うまくいかなくなった時、「家」ごとにトラブルを解決すべきという「常識」が、ますますその「家」を苦しめることになる。
トラブルの当事者同士では距離が近すぎて、うまく意思疎通できないことは、往往にしてよくあることだ。
そうした時、第三者として家庭内のトラブルに介入する存在として、家庭裁判所調査官がいるのだ。
ギリギリの判断を支えるため、問題を紐解く
「家庭裁判所」というと、真っ先に思い出してしまったのが『家栽の人』だ。
こちらは家庭裁判所の裁判官が主人公である。
家事事件であれ少年事件であれ、いち家庭のトラブルに第三者として介入し、判決を下す。
人間の本質を見つめ、常に当事者の問題と向き合い、当人にとってより「ベター」な選択は何かを見極める。
裁判官とはそういう、人と人との間に立つ、ギリギリの判断を求められる仕事だ。
学生の頃に読んで大いに感銘を受けたものである。
家庭裁判所調査官(補)は、そうした裁判官が判断するための情報を調査・整理する仕事である。
判決はしないが、当事者に最も近い立ち位置で寄り添い、どうして問題が起こったのか、どう感じているのか、本人には何が必要なのか、観察や聞き取りを通して紐解いていく。
ちなみに、家庭裁判所調査官になるには、裁判所職員採用総合職試験(家庭裁判所調査官補)を受験して採用された後、裁判所職員総合研修所において2年間研修を受けて必要な技能等を修得することが必要。
合格率から見てもかなり難易度の高い試験である。
自分は何もわかっていないことを自覚するということ
連作短編集という形式だが、物語上は時系列順に繋がっており、読者も主人公・望月大地の成長と共に歩むこととなる。
第1話 背負う者(17歳 友里)
窃盗を犯した17歳の少女・鈴川友里
第2話 抱かれる者(16歳 潤)
ストーカーをしていた高校生・星川潤
第3話 縋る者(23歳 理沙)
望月大地の幼馴染で離婚調停中の女性・瀬戸理沙
第4話 責める者(35歳 可南子)
夫のモラハラに苦しみ自らを責め続ける女・朝井可南子
第5話 迷う者(10歳 悠真)
両親の離婚を前に幼い心が揺れ動く小学生・片岡悠真
主人公・望月大地は調査官補になりたてのド新人。
人生経験がまだまだ十分とはいえないなかで、様々な当事者に寄り添わなくてはならない。
当然、わからないことだらけで、何が正しいのか、何が勘違いなのかもわからない。
だが、わからないことに対しては無自覚でいてはいけない。
調査官補とはいえ、裁判官が判決するために必要な情報を集め、整理しなければならない。
その作業は、時に「正解」を求めてしまうことになりがちだ。
「正解」とは「正しい」「解」である。
だが、家庭内のトラブルにおいて、単純にこちらが「正解」あちらは「間違っている」と白黒はっきりとできることばかりではない。むしろはっきりできないことの方が多い。
こうした状況においては、「正解」を求める思考回路は危険でもある。
講談社文庫版の巻末に、本物の家庭裁判所調査官・益田浄子さんの解説がある。
そのなかで、「曖昧さに耐える」という表現がある。
まさしくこれが、家庭裁判所調査官の仕事の本質なのだろう。
望月大地は、まだまだこれから様々な仕事を覚えていかなければならないが、現時点で「自分が何もわかっていない」ということをわかっているのだ。
ソクラテスの「無知の知」である。
調査官は、今目の前にいる当事者たちに寄り添い、観察し、感情の揺れ動きを感じながら、同時に未来をも見据えている。
この子の未来はどうあるべきだろうか、どういう処遇がよりベターなのか、まさに「あしたの君」にとって、より良い選択ができるように支えている仕事なのだ。
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