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【MOVIE】『AWAKE – アウェイク』 挫折と葛藤と欲望にまみれた覚醒の物語

自前のブログに掲載した映画感想文をnoteにも展開する実験です。

【MOVIE】『AWAKE – アウェイク』 挫折と葛藤と欲望にまみれた覚醒の物語 – Crazy One – glad design blog –
映画『AWAKE』公式サイト

挫折を知った若き棋士がAI将棋ソフトを開発し、ライバルに再び挑む物語。
2015年に開催された「将棋電王戦FINAL・第5局」、実際のプロ棋士と将棋ソフトウェアによる戦いに着想を得て作られたが、ストーリーはオリジナルである。
AI=人工知能が人間を凌駕する、と言われて久しい。
chatGPTの劇的な流行で、より現実味を帯びている昨今、その歴史の転換点と言ってもいい将棋戦を極上のエンターテインメントとして魅せている。
主人公・清田英一の挫折と目覚め、人生を生きる喜びをつかみ取る中での苦悩と葛藤。
コンピューターや人工知能の専門用語、将棋の世界の厳しさなどに惑わされてはいけない。
これは人間の泥臭い汗の、匂い立つような青春の映画である。

大学生の英一は、かつて奨励会(日本将棋連盟の棋士養成機関)で棋士を目指していた。

同世代の圧倒的な強さと才能を誇る陸に敗れた英一は、プロの道を諦め、普通の学生に戻るべく大学に入学したのだった。

幼少時から将棋以外何もしてこなかった英一は、急に社交的になれるはずもなくぎこちない学生生活を始める。

そんなある日、ふとしたことでコンピュータ将棋に出会う。

独創的かつ強い。

まさに彼が理想とする将棋を繰り出す元となるプログラミングに心を奪われた英一は、早速人工知能研究会の扉をたたき、変わり者の先輩・磯野の手ほどきを受けることになる。

自分の手で生んだソフトを強くしたい―。

将棋以外の新たな目標を初めて見つけ、プログラム開発にのめり込む英一。

数年後、自ら生み出したプログラムを<AWAKE>と名付け、コンピュータ将棋の大会で優勝した英一は、棋士との対局である電王戦の出場を依頼される。

返答に躊躇する英一だったが、相手が若手強豪棋士として活躍するかつてのライバル、陸と知り―。

映画『AWAKE』公式サイトより引用:

美しい対比の構図が織りなす、棋士としての友情と矜持

英一と陸

清田英一(吉沢亮)と浅川陸(若葉竜也)は小学生で奨励会に入り同年代ということで互いに意識し合う。
互いに切磋琢磨し、強くなっていくふたり。
やがて陸は頭角を現したものの、英一は伸び悩む。

奨励会というのは、将棋の裾野を広げるための機関で、日本将棋連盟の棋士養成機関である。
プロ将棋の世界では、奨励会で三段まで上がり、さらに所定の成績を収めると、四段に昇段( = プロ入り)をするという規定がある。
ただし、昇段できるのは上位2名(年間で4名)という狭き門だ。
さらに年齢制限もある。
満26歳の誕生日を迎える期の三段リーグ終了までに四段に昇段できなかった者は、一部延長規定はあるが、ほとんどが退会となる。

英一はその年齢制限のかなり手前ではあるが、陸との対戦で負けた日、プロ棋士への夢を諦める。
一方で陸は順当に勝ち進み、プロ棋士への道に進む。

絵に描いたような「栄光と挫折」の対比。
カメラワークもこの対比を丁寧に描写している。
奨励会での対戦は、英一も陸もほぼ同レベルの時期には顔のアップと盤上とを交互に切り替え、リズムよくストーリーを進めていく。

英一がプロを諦めて奨励会を辞め大学へ通う姿は、生気も覇気もない、およそ若者らしくない魂の抜けたような緩い映像が続く。
陸はプロ棋士となり、対戦の日々。
着物を着て、畳の和室で盤上に目をこらす、凜々しくも厳しい世界でしのぎを削る姿が映し出される。

やがて英一はコンピューター将棋に出会う。
大学のAI研究会の扉をたたき、プログラミングを知る。
変態的な先輩・磯野達也(落合モトキ)との出逢いは、これからの英一の覚醒を予感させるメリハリの効いた絵作りが見て取れる。
陸は棋士として順風満帆の日々。
遊びの競馬では負けても本業の将棋では勝ちを重ねているという描写が重ねられる。

こうした二人を対比させるカメラワークが効果的に多用されていた。
例えば、将棋を指している陸の真上から俯瞰して映し出した後、PCのキーボードを叩く英一の姿を真上から俯瞰したシーンへ。
また、陸が駒を盤上にビシッと叩くように置くシーンと、英一がマウスをやや激し目にクリックする様子など。
二人の置かれた環境や状況だけでなく、その心理までも含めた表現を映像で魅せる演出は秀逸だ。

人間 vs AIの戦い

Photo by Possessed Photography on Unsplash

AIの研究における歴史は、まずは人間にどれだけ近づけることができるか、といったテーマが主であった。
AIが人間に追いつく、という最もわかりやすい形として有名なのがチェスでの対決だろう。

IBMが1997年に開発したAI『DEEP BLUE』は、当時チェスの世界チャンピオンだった、ガルリ・カスパロフに二度目の対戦で勝利した。

人間に追いつくことを研究していたAIが、ついに人間に勝ったということで話題になった。

囲碁でもAIが人間に勝利した。
Google DeepMindによって開発されたコンピュータ囲碁プログラム『AlphaGo』が2015年10月に人間に勝った。
囲碁が人間の強さに達するまでに18年かかったことになるが、それは囲碁がチェスよりもかなり複雑なゲームだからだ。

それまでのAIは「機械学習」を主軸に発展してきた。
過去の膨大な量の棋譜を「教師データ」として読み込み、次の一手を決定するまでに膨大な「可能性のある全ての手」を探索する。
つまり総当たりで次の一手を探そうという試みだ。
総当たりで探し出した手の中で、もっとも有効性の高い手を選択する。
チェスでは駒によって動き方や動ける範囲が違う。
それがかえって可能性を制限されるため、探索範囲を少なく出来たとも言える。

しかし、囲碁の場合はそのシンプルなルールだけに展開がより複雑となり、全ての手を探索しようとするとチェスの1000倍の範囲を探索しなければならないとも言われている。
処理範囲が膨大すぎるため、当時のコンピュータスペックでは追いつかないこともあり、そのままのやり方では勝てなかった。
そこでGoogleでは、探索範囲をより絞り込むための方法を研究。
ディープニューラルネットワークを組み合わせることで、総当たり探索をしなくてもよい方法で次の一手を決めることを可能にした。
これはより人間に近い思考方法だということも分かってきた。

ーーーネタバレ注意!ーーー
 

本作のモチーフとなった「将棋電王戦FINAL・第5局」も2015年だ。
AWAKEは世界コンピュータ将棋選手権において、2012年は23位、2013年は15位、2014年には10位と着実に進化し、2013年から始まった第1回将棋電王トーナメントでは8位、第2回には優勝を成し遂げている。
だが、2015年の電王戦FINAL第5局にて阿久津主税八段と対局し、開始49分、わずか21手で投了し敗れている。
この戦いは映画の中でもクライマックスとして描かれている。
人間とAIとの戦いにおいて、人間が勝つべきか、人間は勝てないのか、といった議論には正解はないが、もうひとつ重要な観点がここで浮かび上がっていた。
AIに弱点はないのか、弱点があったとしてそれを人間が突くのは勝負として意味があるのか、といった視点だ。

シンギュラリティの向こう側へ

Photo by Possessed Photography on Unsplash

かねてからAIが人間を越える、いわゆる「シンギュラリティ」が危惧されていた。

シンギュラリティ(技術的特異点)とは、1980年代からAI研究家の間で使用されるようになった言葉で、人間と人工知能の臨界点を指す言葉。つまり、人間の脳と同レベルのAIが誕生する時点を表しています。
一般的に、人間と等しくなったAIはシンギュラリティを起点に加速度的に進化を遂げると予測されています。シンギュラリティという言葉が注目を集めるきっかけを作った米国の発明家レイ・カーツワイルは「人工知能が人間の知能と融合する時点」と定義しており、AIが人間と融和する形で進化していく可能性が指摘されています。

シンギュラリティとは? 言葉の意味やいつ起こるのかをわかりやすく解説 – 株式会社モンスターラボより引用:

かつてはシンギュラリティへの到達は2045年とされていたが、2022年11月に登場したchatGPTにより、その到達はもっと早まるだろうとも言われている。

人工知能が人間の脳と同レベル以上になったとき、つまりAIが人間を超えることを指す。
それをもっともわかりやすい形で見える化したのが、人間とAIの将棋対決であろう。

2015年の電王戦の直前、電王AWAKEに勝てたら賞金100万円!! というイベントが開催された。
そこでAWAKEは75勝と圧倒的な強さを誇ったが、ただ1人負けてしまった。
その負け方はおよそプロ棋士であれば指さないと思われる手であった。
あえて自陣に抜け道を作っておき、AWAKEがその隙を突いた手で駒を指した場合、押さえ込んで無力化してしまおうという、いわば誘い込んで囲い落とすような強かさを持った手でもあった。

AIに感情はない。
人間が相手であっても感情を読み取るということはできない。
もしかしたら意地悪な手を指してくるかもしれない、と勘ぐることもない。
人間は相手の感情のみならず、表情や仕草から迷いや勢いを感じ取り、周りの空気、温度や湿度までをも感じ取ることで次の一手を決断している。

人間にあって、AIに決定的に欠けているものがある。
それは、欲望ではないだろうか。
勝負に勝ちたいという欲。
強い者と勝負したいという欲。
自分は何者なのか、明らかにしたいという欲。
自分が成すことで周りに認めてもらいたいという欲。

人間とAIでは同じ将棋を指していても、見えている景色が大きく違う。
だからこそ、勝負は面白いのだと思う。

なぜ、あのタイミングで「投了」したのか?

 

この映画の中で、私が唯一不可解だったのが「なぜ、あのタイミングで投了したのか?」という点。
初見では、イベントでAWAKEの弱点が偶然にも露見してしまい、それを相手である浅川陸が見逃さず、プロ棋士として勝負にこだわった指し方をしていたことから、英一はAWAKEの弱点が決定的となる「角打ち」の時点で早めに投了し、これ以上AWAKEが負ける姿を見たくないから、と思っていた。
だが、この「投了」には、もう少し違った意味合いがあったようだ。
詳しくはこの映画の監督・山田篤宏さんのブログにあった。

投了というのは、単なるギブアップという意味だけではない、とのこと。
将棋の世界というのは、勝負だからといって最後の最後までどうにもならなくなるまで全力で手を打つ、ということが必ずしも美徳ではない世界だというのだ。
他のスポーツであれば、最後の最後までやりきることがよしとされている。
野球などでも、野球は九回ツーアウトから、などともいう。
悪あがきであっても、最後の最後まで全力を出し切ることにこそ、スポーツマンシップがある、などと考えるのが通例だ。

将棋における「投了」には、相手へのリスペクトが込められているというのだ。
将棋を指している中で、どうやらこのまま進めていくと詰みそうだな、という「詰み筋」というのがあると。
詰み筋が見えてきて、どうやらこのまま相手がミスをしなければ詰みになるので、この時点で投了する、というのは相手への「あなたほどの人ならミスはしないですよね」という意味が込められているのだ。
試合を両者で作り上げる、という意味があり、一方的な勝負は「棋譜を汚す」といってよろしくないこととされているらしい。

そうした文化があるからこそ、あのとき詰み筋が見えた段階での投了となった、ということを知ることが出来て、ようやく腑に落ちたのだった。
あの「21手での投了」があったからこそ、あのラストシーンへとつながり、すべてが報われる想いが去来したのだ。

将棋の世界の、なんと奥深いことか。
あらためて良い映画を魅せてもらったなと感動した次第である。


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