「最愛のパートナーに逢えない日々」

私も、そして私のパートナーも、もういい歳の中年である。若い人から見れば、ただのオッサンオバサンである。オッサンオバサンの恋愛なんて気持ち悪いと思うかもしれない。とは言っても、一個人、一人の人間の人生として捉えると、それはやはりかけがえのないものに思える。若い人も色んな経験をして歳を重ねれば解る話だと思う。そうは言っても若いうちは理解が難しいかもしれない。

私は若い頃は孤独な人生を歩んできた。恋人もまったくできなかった。30代になってやっと付き合える人ができたかと思えば、人格批判され、大失恋に至り、そのキズを癒すのに3年ほどかかった。
歳を取っても内面は若い時と何も変わらない。ただ、肉体が歳を取ったというだけの話である。一人の人間性、性分、性格、趣味嗜好、ほとんど何も変わっていない。今のパートナーにしても同じことだと思う。

私のパートナーはこんな無職で、どうしようもない私を愛してくれる。そして逢いたい、寂しいと言う。私も音沙汰がないと心配になってくる。唯一の繋がりは携帯で話すことだけ。
私とパートナーは一つ屋根の下に同居していない。別々に暮らしている。なぜかというと、彼女はバツイチで成人した子どもが二人いるからだ。その二人の子どもはまだ結婚していなくて、家族三人で暮らしている。私はその二人の子どもから父親としては認められていない。ただ、付き合っているというだけの関係である。

私は私で、「子ども部屋オジサン」如く実家に寄生している。俗に言う「パラサイトシングル」とか、「こどおじ(子ども部屋おじさん)」というやつである。カネもなく、実家暮らしで、ただただ歳だけ取ってしまったという人間だ。世間では「ニート」とか「無職底辺」とか言われている。どう呼ばれようと事実だし、私にとってはべつにそんなことはどうでもいい話だ。

人生そんな単純なものではない。家庭環境、親子関係、片親家庭、虐待、生活苦、いろんな要素が複雑に絡みあって、無職やこどおじになっている人はかなり多いように感じる。
心理的、精神的に社会参加や働くことに対して勇気が出ない、初めの一歩が踏み出せないという人も多いと察している。氷河期世代や中年の引き籠もりの問題も根深いものがあると思う。社会的弱者に対して社会や企業が温かく受け入れるという意識もまったくない。今まで何もかもが「自己責任」で片付けられてきた。社会的弱者は心も身体も疲弊し、絶望しているに違いない。自殺、鬱、精神疾患は絶えない。今の日本そのままを象徴しているようだ。

私がなぜパートナーと逢えないかというと、ただ単にクルマが維持できないところまで生活が逼迫しているからだ。以前はパートナーとクルマで遠出のドライブや買い物に行っていた。しかし、クルマの維持費もなくなり、それに加えてガソリンの高騰。生活費がない者にとってはもうクルマが生活苦の重荷以外の何物でもない。今まで愛車は最愛のパートナーであった乗り物が、生活苦に陥ってから重荷になってしまった。走行28キロの愛車。今でも故障なくよく走ってくれている。できれば、故障してもう動かないというところまで乗ってあげたい。しかし、それも無理そうだ。

28万キロも走ったクルマは売り物にはならない。廃車にしようかと思って、信用できる解体業者に査定までしてもらったものの、譲渡するには印鑑証明と実印が必要ということで、親に掛け合うもクルマを手放すことに反対された。クルマを手放すと仕事にも行けなくなるからという理由で。しかし、仕事が見つからないままクルマを持っていても、車検は来る、自動車税は来る、任意保険料も来る。そんなカネは私にはまったくない。愛車を手放そうにも手放せず、結局は八方塞がりになる始末。本当に生活が逼迫するとどうにもならない。。親とは倦厭になるだけの有様。

そんな逼迫した状態でクルマを動かすことができず、パートナーに逢えない日々が続いた。一ヶ月か一ヶ月半くらいか。彼女は昨年、脳出血で倒れて一ヶ月半ほど入院したことがあった。だから連絡が途絶えると途端に心配になってくる。「生きてるか?」とメールしても返信がない。こっちから電話をかけてようやく繋がった。
「おい、生きてるか?元気か?」
「うん、大丈夫だよ。元気だよ。心配かけてゴメンね。」
そんなやりとりにホッと溜飲を下げた。そして、ついつい長話になって深夜まで話し込んだ。

パートナーはクルマの免許がないこともあり、退院した後の仕事が見つからずに苦慮していた。それに加えて、親子関係でも苦しんでいるようだった。以前働いていた職場は入院したことと、それによる諸事情により退職を余儀なくされた。クルマという足がない人間にとっては仕事探しはなかなか捗らない。故に今でも失業中ということで、私と同じ無職期間が半年以上続いている。

私も無職、パートナーも無職。いったいどうしたものか。。お互いのそういった事情でパートナーには逢えない日々が続いている。親子関係の悪化、生活苦、ストレス、私と逢えない寂しさ、色んな要因が重なってパートナーは泣き出してしまった。
私もパートナーも似たような人生を辿っている。うまく行かないものだ。。人生うまく行かない者どうしが一緒になって、果たしてうまく行くものだろうか。複雑な心境である。

私自身、自殺を考えたこともあった。そんな勇気もないし、死ぬことはやめた。何とか生きて行かなければならない。最悪ダメだったら誰かに助けを求めよう。彼女のためにも頑張って生きよう。生きていれば、いつか何とかなる。そう信じたい。
ずっと彼女のそばにいてあげたい。死に急がずとも、生きる意味はただそれだけで十分じゃないか。