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感情が見える人

 最近の自粛生活になって良かったことの一つとして、庭の植物に水を朝と夕1日2回あげられているということがある。出勤しなくていいから朝に余裕があるし、夕方日の暮れる前には家にいてご飯を作っているから、それらのタイミングにプランターや庭に水をやれることは植物たちにとってすごく良い。だからいつもは咲かない花が咲いたりしたのかも知れない。(3年前にもらったカーラーがいきなり咲いた話)

 家庭菜園がうまくいっているのは、我が家の日当たりがいいせいでもあるけれど、けれどなんとなく、なんとなく、夫と結婚してからという気がするのだ。夫は別にせっせと家庭菜園をやる人ではなくて、むしろ私にすべてお任せなのだが、それでも、夫の植物を見る目は優しい。夕方プランターに水をあげたあと、夫が窓の外を覗いて

「ああ、なんかみんな喜んでるね」

という。私には残念ながら、花やハーブやトマトが喜んでいる様子は全く見受けられない。イタリアのお義母さんもそういうことを言っていたらしいから、雰囲気でわかるのだそう。

 そう言えば夫は、人が言っていることや反応を間に受けずに

「本当はこの人はこう思っている」

と言うことが度々あるので、なんてひねくれた人だろう、とかなんて深読みする人なんだろう、なんでそんな京都人のイケズ文化みたいなのがイタリア人なのに身についているのだろうかと不思議に思っていたのだが、もしかしたらこの人には何かものの感情が見えやすいのかもしれないと、思い始めている。だからきっと花の感情とかもわかるんだ。結婚して4年以上になるが、まだまだ気づかされることは多い。

 日本では空気を読むって日本独特の文化みたいに捉えられている気がする(良い意味に捉えられたり、過剰だと日本固有の悪い文化みたいにとられたりする)けれども、ある程度は日本固有のものでも無いのかもしれないなと思う。あんなに話してなんぼ見たいなイタリアでさえも、「話さないとわからないよ」みたいなことばかりでは無い。やはりコミュニケーションを行うにあたってそう言うものがおのずと身に付く。

 言っておくがだからと言って、私の夫はコミュニケーションがあまり得意な方ではない。コミュニケーションが得意では無いと言うと語弊があるが、集団でいることがあまり得意では無い。二人だけでいても(日本人だけでなくイタリア人に対してでも)物静かで、こっちがふらないと喋らない。観察してため込んでいるだけで、アウトプットとが無いと言うか。(あとでボソッと私に言う時もある)コミュニケーションが得意ではないのは、子供の時に小学校まで集団生活をしたことが無いことが原因の1つだと本人は思っているみたいだけれども、それはあまり関係無いように思う。なぜならば彼のお姉さんはとてもオープンで、誰でも隔てなく接するタイプの人間だからだ。いろんな人を集めるし、いろんな集団に顔を出す。(お父さんが潔癖症?で菌が及ぶところに子供をなるべく行かせたくなかったらしい。いつも屋上で遊ばせて、勉強は家庭教師にお願いし、今の自粛生活の子供とほぼ変わらない)

 それでいて彼は人の輪の中で疎外されている感じはない。不思議と話の中に入っている感じがする。私なんて一生懸命喋んないと輪の中に入れないのに。この不思議な能力は、実は私の実父にもある。いつも物静かで、いつもニコニコ笑っているだけ、ましてや面白いことなど決して言えないたちなのだが、不思議とみんなに包まれて輪の中にいる。あんなに真面目くさくてつまらない人なんだけれども、輪の中に入れて心地いい人なのかもしれない。

 父の話をしたらついでに弟のことも思い出したが、弟はコミュニケーションが得意ではないどころか極度に苦手である。発達障害と診断され、障害者手帳も持っている。家からは一切出ないし、仕事はもちろんしていない。確かに他人とたまにコミュニケーションをとると驚くべき大胆な、調和なんてなんのそのと言うような対応をしていたことがある。しかしそれは彼なりのロジックが合ってこその行動のようだ。もう彼は家族以外とコミュニケーションはとっていないと思う。部屋の中で何をしているかわからないけれど。

 確かに彼は小さい頃から学校に行っていなかった。それは彼の性格だし、あの担任の先生ちょっと変だもんなー運悪かったね、ぐらいにしか私は思っていなかったが、母が極度に問題視し始めた。もう母は、母にとっての問題児の弟にかかりっきりだったので、私はわりと自由にさせてもらえた。父親も仕事をすることが大黒柱である父親の役割と言わんばかりな人だったので、母は私が一人でこの子を背負って大変だと言う自意識が半端なく、それでいてどんどん弟を囲い始めた。私も父と同様で、自分は違う世界の人みたいになってしまったから、あまり弟の中学からそれ以上の頃のことはよくわからない。しかし母曰く、やっとこさ入った大学で成績は優秀で、研究室の教授に重宝され、大学院まで行ったのに、何か気に食わないことがあって勝手に辞めてきてしまったらしい。それも彼なりの何か主張があったのだろう。その部分はきっと母に抹消されてしまっているから、記憶もしくは記録として残っていない、あるいは彼も無駄な労力を使って母に伝えることをしなかったかもしれない。

 弟はダメな人では無いと私は思っている。例えば彼はギャンブルもしないし犯罪もしていない。(これはあくまで私の価値観)しかし彼はきっとダメな人というレッテルを大概貼られてしまっている。それはこの世の中で一番最初に母が貼ったと思う。愛情いっぱいで手塩をかけて育てたとは思うが、彼に何か一線を引いたのは母だと思う。それは教育の恐ろしいところだ。母ばかりも責められない。母は、昔も今も彼にとても苦労している。しかし彼が大人になって、障害者としての診断を下された時、「ああ、やっぱり・・・!」と彼女はなんだか安堵したのだ。救われた気持ちだったと。きっと自分の育て方が間違っていたわけではなかったということが科学的に証明されたような、そんな面持ちだったんだろう。

 彼がダメな人とされる主な理由は、それは自分で生計を立てられていないからだと思う。まさに親のスネをかじって生きている。母は、障害者枠の工場の仕事とか会社の清掃の仕事とかそういう仕事の斡旋をハローワークなどにお願いしていたが、彼のプライドがそういう単純作業の仕事をすることを許さなかった。母は彼のその変なプライドを持っていることに対して愕然としていたが、私は少なくともそういうプライドが残っていることによかったなと思った。(別に清掃の仕事を否定しているわけではない。彼にはもちろん職業の選択肢があって然るものだと思うのだ。)

 この昨今の状況もあいまって、オンラインでできる仕事がどんどん世の中で前面に出てきた。家の外に足を踏み出すことができない彼でも、自分の好きなことを見つけることができる幅が増えたし、生活のために稼ぐことができると思う。母は彼と一緒に生活する、ただそれだけでいいから、私が彼にそういうことを教えてあげようと思っている。

 感情が見えることを巧みに使う人、使わない人、感情が見えないことを巧みに使う人、使わない人、いろいろいる。夫は植物の世話をしているわけでは無いけれど、私よりも植物とコミュニケーションをしているのかもしれない。よく一人で窓の外を眺めている様子を見ていると、そんな感じがする。

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 私の弟が気に入っていた(らしい)、このBiscottiを今日は紹介。イタリアのサルデーニャに行ったときに食べたAmaretti。サルデーニャのDolceはイタリアの中でもTOPクラスの甘さだと思う。(笑)暑いところは甘いものが異常に甘いですよね。

 昨日紹介したティラミスとか、私の場合パスタを作ると卵黄多めにしたいので、卵白が余リます。そういう時に作るBiscotti。ちなみに私の作るアマレッティは柔らかいタイプです。アーモンドのみで小麦粉もバターも一切使いません。(サルデーニャも比較的貧しい地域で、バターなどの贅沢品は使いません)

>>パスタのレシピはこちら

>>ティラミスはこちら


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◉Ricetta(レシピ)

Amaretti(アマレッティ)

アマレッティ

<材料>Ingredienti

・アーモンド(皮むきされたもの)250g→ミキサーで粉状にする。(もしくは妥協だがアーモンドパウダーを使う。)

・砂糖 100g

・卵白2−3個分

・塩少々

・レモンの皮を擦ったもの1個分

1. メレンゲをツノがたつまでハンドミキサーで立てる。(最初塩少々で泡立て、そのあと砂糖全量混ぜる)

2.アーモンドの粉とレモンの皮をメレンゲに入れて手で混ぜる。

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3.粘土(??表現が的確なものがわからない、ちょっと美味しくなさそうな表現ですみません)みたいに固まったら、丸くして、好みでアーモンドを載せる

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4.オーブン180度で余熱し、160度に下げて焼く

Buon appetito!

しかしオーブンを使うと今は暑いです。。。

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