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映画「ルーブル美術館の夜ダ・ヴィンチ没後500年展」を鑑賞して

世界最大の「ルーブル美術館」で、構想だけで10年費やした
という没後500年展。【絵画は化学である】と言ったダ・ヴィンチの
奥深い洞察力をドキュメンタリー映画で紐解いていく。

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私は絵画、ではなく色彩学を学んだので西洋美術には
あまり詳しくありません。
でも、世界中の誰もが知っている「モナリザの微笑み」。

この絵が特に好き、という訳でもないのですが、
レオナルド・ダ・ヴィンチの天才的な博識ぶりには
興味を覚えていました。
だから、〈観に行かなければ〉という思いに突き動かされ
観てきました。


真夜中の誰もいない静かなルーブル美術館で、学芸員2名が
絵やダ・ヴィンチについて、深く考察して淡々と説明していく。

《最終的に私がわかった3つのこと》
・あらゆることは連動しているから、様々なことを広く研究した。
・広範囲に学んだことは、全て絵画のためだった。
・絵画に「命」を表現したかった。
ということです。

(人間離れし過ぎていて、本当に地球人だったのかしら?)


レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年4月15日-1519年5月2日)は、
盛期ルネサンス期イタリアの博学者。
 
彼が関心を持っていた分野は発明、絵画、彫刻、建築、科学、
音楽、数学、工学、文学、解剖学、地質学、天文学、植物学、
筆記学、歴史学、地図学など。
 
古生物学、痕跡化石、建築学などさまざまな学問のジャンルで
創始者であり、美術史において最も偉大なルネサンスの芸術家
の1人とみなされている。パラシュート、ヘリコプター、戦車を発明に
おいて功績があると言われることもある。
 
 
多くの歴史家や学者はレオナルドに対して、"万能の天才"
または"ルネサンス・マン"の模範的な人物であり、人類史に
おいて最もさまざまな分野の才能を発揮した個人と
見なしている。
 
自然界の観察を研究し、綿密に記録し続けた生涯の中で、
レオナルドは初期ルネサンスの芸術家たちを夢中にさせていた
絵画芸術の側面(照明、空気遠近、解剖学、短縮遠近法、
心理描写)をさらに完成させることだった。
 
また、主要なメディウムとしてこれまでのフレスコ画だけでなく
油絵の具を採用したことは、《モナ・リザ》に代表されるように、
光とその風景や物体への影響を、これまでにないほど自然に
そしてより劇的な効果をもって描くことができることを示した。
 
レオナルドの死体の解剖研究は、未完成作品の《荒野の
聖ジェローム》に見られるように、人間の骨格と筋肉の
解剖学の知識を進歩させた。1495年から1498年にかけて
完成した《最後の晩餐》に描かれた人間の心理描写は、
宗教画の基準となった。
 
 
レオナルドはフィレンツェ地方のヴィンチに住む公証人の父
ピエロ・ダ・ヴィンチと農民の母カテリーナのあいだに生まれた。
幼少期はフィレンツェに住んでいたアンドレア・デル・
ヴェロッキオのアトリエで絵を学んだ。
 
ダ・ヴィンチの初期作品の多くはミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァ
がパトロンとなり、彼の依頼で制作されたものである。のちに、
ローマ、ボローニャ、ヴェネツィアへ移って制作を行い、
フランシス1世から贈られた住居で晩年を過ごした。

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