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龍の海の伝説

『ドラゴンの教科書』に載っていた日本の龍伝説が、龍と人との交流を描いていて大変エモかったのです。

というわけで、Twitterに内容を書きました。
それがこちら↓

海外のドラゴン本読んでたら、日本の龍伝説が紹介されていて。人間に化けて人間界にやってくる龍が、僧のお経が好きでよく聴きに来てて、いつしか親友になり、それは長年に渡り、僧は歳をとり竜は歳をとらず、そのまま仲良いまま、龍はお経の美しいリズムに耳を傾け、ふたりは毎日午後を共に過ごし、→

人々に二人の仲が知れ渡るようになり、あるとき日照りが続き、人々は苦しみ、帝は龍に懐かれてる僧を呼び出し、「龍に言って雨を降らせるようにせよ、もし命令が聞けないならば国を追放する」と命令し、僧は困って龍に言うが、龍は「できなくはないが、私が雨を司ってるわけじゃないので、→

雨を降らせたがさいご、私は代償に死ぬ」と言い、僧は龍が死ぬなら自分が国外追放でいいと言うが、やっぱり日照りで人々が苦しむのは心苦しく、龍は雨を降らし、雨が三日間降り続き、龍は骸をさらして死に、僧は龍のために三つの寺を建立し、生涯弔いにお経を上げ続けた。 し、心臓が痛い……!!

……この良さがわかる方だけ、この記事の続きをお読みください。

さて、この伝説の何がエモいかと言いますと、
①龍と親友になれる(最高)
②お経を美しいリズムと感じてる(龍が可愛い)
③龍が死ぬくらいなら国外追放でいい(僧〜!)
ですね。

あと龍は年をとらないけど、人は年をとる。
人外との交流のときに、出てくるエモーショナルポイントじゃないですか、こちらのメンタルがグズグズに溶けるアレじゃないですか、もうヤダーーー(もっとやって)。

謎ポイントはあれですね。
「雨を司らない龍……外国ならいざ知らず、日本にいるのだろうか??」
ということです

海外の伝説だと埒があかない。
よし!日本の原典を当たろう!!

と検索をぽちぽちしたら、今昔物語集のこちらでした!↓


海外の本にも固有名詞で「龍海寺、龍心寺、龍天寺、龍王寺」が出てきてるので、ほぼ確実にこちらでしょう。

固有名詞を出さずにツイートしたのは、
「人間は知らない固有名詞が3個くらい出てきたら、脳が辛くなり、話を聞かなくなる」ものだからです。

覚えるコストで脳が疲れるんですよ。
死ぬほど固有名詞が出てきても耐えられるのは、そういう小説を読む趣味がある人くらいです。(中国の時代物がそう)

それはさておき。
今昔物語の書き下し文。
なんとなくわかるものの、さらにしっかり理解したく、現代語訳が載っている本をさがして、それを読みました。(読んだのは、新編日本古典文学全集35『今昔物語集1』小学館)

龍が雨を司ってないんじゃなくて、大梵天王ら(複数っぽい)が雨を止めていて、龍が勝手に降らせたら、制裁で殺されるかららしい。

しかし、龍は法華経に命を供養したら、死後は安泰とな……

法華経と大梵天王の管轄分かれてるの……??
どちらも仏教の世界観だと思うのだけど(大梵天王はインドの神を仏教に引き込んだ概念ですが、仏教の世界観ではあるでしょう)大梵天王の意向は無視して、法華経は特別ルートに死後に効くということなの??つまり法華経は大梵天王より強いということ??

謎が深まりました。

あと海外の本にあった、龍がお経の「美しくリズミカルな響きに、じっと耳を傾けていた。」というのは、今昔物語集には別になかったです。

今昔物語集読んでいてわかるのは、龍はなにも「お経のリズムが好き🎶」だから僧のところに来ていたわけじゃなく。

龍は法華経によって「わが悪業による苦しみが去り」と言っている。
これ、龍は仏教だと、前世で悪いことをしたから「畜生」の身に生まれている……という扱いで人以下なんですよ。

さらには仏典の『長阿含経』巻十八に、龍が受ける「三熱の苦」というのがあり、

「一は熱風砂身について、その皮肉と骨髄を焼く。二に悪風がおこってその宮殿内を吹いて、宝飾衣を失って龍身露出する。三は宮中に娯楽する時に金翅鳥が来て龍は喰われてしまう」(『図説龍とドラゴンの世界』遊子館 笹間良彦)

つまり身体を焼かれている。
これ地獄の拷問ですよね……。

その拷問のような状態で苦しんでいたのが、おそらくお経を聴き続け、法華経を学び続けたことで苦しみがなくなった。

身体が焼かれる苦しみから、助けてくれた僧のお経はとんでもなくありがたかったでしょう。

しかも、わざわざこの僧のところに来るということは。他の僧のものだと効き目がなかったか、胡散臭い奴として追い払われたか。

龍にとって、僧の存在はすさまじく大きかったはず。

さあどんどん話が煮詰まってきました!!
そう、私は吟遊詩人の活動をしているので

「素敵なお話があったら語りたい」

のです。
表現に使うのは「声」と「ハープ」。

これはリズミカルなお経をとなえるのはマスト!!と思い。

早速、岩波文庫の『法華経』坂本幸男・岩本裕訳注を手に取りました。

龍に関係するお経はないか??と探したら、きちんと龍も出てくる。
やったー!!と思い、使ったのは、

「妙法蓮華経法師功徳品第十九」(岩波文庫『法華経』だと下巻のp.94)

です。
三つの部分を抜粋する形で使っております。

ちなみに一つシャッフルして読んでしまったところがあります。火聲の次は水聲であって、風聲ではない……。お詫びとともに訂正いたします。

聲は声ですね。

お経の簡単な解説を(私の)作品の中で僧がしていますが、一応わかる限り調べた結果ではあるものの、本職の僧侶でもなんでもないので、話半分にお聴きくださいまし。

詳しいことは、法華経なので天台宗か日蓮宗のお坊様に聞けばわかる……はず!!

ちなみに今昔物語集は平安末期成立だそうなので、ということは天台宗でしょうか。今のような宗派はなかったかもですが、まあ、最澄さんが平安初期のお方なので、だいたいそんな感じでいいはず!!

天台宗のお経の唱え方、声明という旋律抑揚をつけて唱える仏教声楽曲があるらしく。

海外の伝説で「美しくリズミカルな響き」といわれているの、もしかしてそれを踏まえて言ってる?!意外と設定凝ってた?!と、ちょっと嬉しくなりました。

私は天台宗の僧侶ではないので声明をマスターはさすがにできないので、ここからは独自で。

それ以前に読み方がわからない!!フリガナ!!岩波文庫フリガナついてない!!そうだよね!!音読用じゃないもんね!!

……もしかして、YouTubeとかにある??前、般若心経はあった気がする!!法華経もメジャーな経だからあるはず!!あったーーー!!

というわけで、読み方はYouTubeで聴きながら、メモしました……ありがとうございますどこかのお坊様……

そして音はGコードが基本、最後Aコード。という形に。これはもう私の独自の誦み方です。

Gはドレミファソの「ソ」
Aはドレミファソの「ラ」
ですね。

僧の普段の声の感じをA。
龍の普段の声の感じをG。
お経のときはGにしばらく落として、最後にAに引き上げる。
龍の波長から人の波長に引き上げる。
という形。

龍が、他の僧でなくこの僧を選んだ理由。
龍とこの僧と縁があって、波長が合うからだと思ったんですね。

音楽でそれが表現できたらいいなぁと思って
……ではないんですよ。
気がついたらそういう音になっていたのです。

私は、作品を作るとき、理詰めはせずできるがままに委ねているので……

そもそも即興で勝手に出てくるので、よくわからないんですよね。
あとで見返すと全部理由はわかるんですが。作品が先にできます。

ひたすら調べ物をして「そうかそうかそうだったのか」と知識をインプットしたら。

無意識が勝手にアウトプットしてくれます。

それが一番、物語の心と自分の心が自然に溶け合う語りになるので。そのままに。

というわけで、この龍伝説、YouTubeにアップしております!!

ぜひぜひぜひぜひお聴きください!!

お気に召されました方、感想いただけましたら嬉しいので、このnote記事のコメント欄に感想を……!!
一緒に龍を愛でてくださる方は大歓迎です!!
そして↓↓(リンクのさらに下をご覧ください)


番外編を作りました。
↑の本編はシリアスモードですが、番外編は「僧と龍がふだんしていた会話」のほんわかムード4編。+α付きです。

12月12日まで販売中です。
明後日までですね。
番外編が先にできて、本編がなかなかできなかったので、販売期間が短くなってしまいました。
どうぞお早めにお求めくださいませ。

ちなみに、本編ができないうちに購入してくださった方もいらっしゃって、ありがたい限りです😌


最後になりましたが、すべては

『ドラゴンの教科書』ダグラス・ナイルズ著 高尾菜つこ訳 原書房

からはじまりました。
心からのお礼を申し上げます。

お読みくださり、ありがとうございました。
お相手は吟遊詩人のMu(みゅう)でした。
みなさまの日々が喜びに満ちてありますように。

では、また。

浮き沈みはげしき吟遊詩人稼業を続けるのは至難の業。今生きてるだけでもこれ奇跡のようなもの。どうか応援の投げ銭をくださいませ。ささ、どうぞ(帽子をさし出す)