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集団での出し物が鬼門(3)

何が問題で、それでこの先やらないままで良いのか?

長男は夏期合宿でのキャンプファイヤーのダンスやレクに参加できなかったわけだが、これは実のところ出し物に限ったことではないと思っている。

結構頻繁に、みんなで揃ってやる物事に「興味がない」し、「やる意味がわからない」様なのだ。

そして自身の経験を通じて、やらない事を正当化して良いと思ってしまっている。自分が意味が無いと思う物事を、集団がやっているという理由だけで従うことはポリシーに反するからやらない。

しかしだ、じゃあこの先ずっとそのポリシーで良いのか?行きたい中学校に行けたとして、そこでも運動会や合宿はあるのだ。そこでもやらないのか?

確かに、長男が「意味ない」と感じるのには訳があると思う。それは意味が感じられるような工夫が極めて少なかったり、やっているみんなもただ上が指示したことを、その通りやっているように見えてしまうことがあると思う。生徒が選択して主体的にやっているという感覚が少ない。

そういった物事への取り組み方、指示の仕方を長男は感じ取って「意味ない」と思っている。みんな揃ってしょうも無いことばかりやって、と思えてしまうのだ。

ただ、長男以外にも、やりたくないけど「やる」を状況で判断している子もいると思うのだ。どちらが正解かというのは、何かを基準にしないと言えないのだが、ここの境目が肝なのだと思う。

ではどうすれば良いのか

2つあると思う。1つは、そもそも楽しければやる。長男はダンスや踊りが嫌いなわけではない。韓国のBTSのダンスなど家で踊り狂っていた。知らなかったが、長男は見よう見まねで結構踊れる。そんなにできるならと、「ダンス習う?」と聞いたくらいだ。外国語の歌も耳で聞いただけでそれっぽく歌うので驚く。

はまればやるので、本来はこれが一番楽しいし望ましい。ただ、標準教育はどうしても「平均」を意識する。よって、レベルが高すぎる物はやらない。結果、どうしても長男にとっては刺激が足りない。しかし、それは標準教育の仕組み上、現時点では仕方がないことだと思っている。

ただ、単純に諦めるというのではなく、学校には、こういう時に、どうか長男に問題があるという見方をしないでほしいと思う。適切なものを提供すれば解決する事も多い。

2つ目としては、「なぜ」やるのか説明すれば良いと思っている。これが学校で圧倒的に足りない。だから長男にはしょうもない慣習でやっていると映る。

もちろん、長男自身がここは文句ばかり言うのではなくて自主的に調べようとする必要があるし、親も意義が見いだせるように手助けするが、学校でこういった説明を試みる取り組みが少なすぎるのではないかと思う。

それでも長男のように疑問を持つ子が少なかったり、言われた通りにやるものだと思って従っていると、授業は基本的に回ってしまうだろう。

例えば、家庭科でお茶の入れ方を作法として習うが、作法なんてYoutubeでも見ればすぐにわかる。作法だけ教えるならわざわざ授業でやる必要がない時代だ。

それより、温度によって味に違いが出ることや、茶葉によっても適温があること、産地がどこで、なぜその産地ではお茶が作りやすいのか、紅茶も含めたお茶の歴史、製法の違いに話を発展させて、その上で作法の目的の話をして学ぶというのが、本当の学びなのではないかと思う。

全て理解できなくても良いと思う。興味を持つきっかけを提供したら良いと思う。

これをすっ飛ばして作法だけやらされると、それはつまらないと思うのも致し方がないと思うのだ。

ただ内心、こちらとしても、そんなに毎回毎回ここまでの説明はできないだろうということは分っている。長男に対してどうアプローチすれば良いか分ったとしても、集団のために個別対応できないだろうということは分っている。そこは長男自身も分って、多少”合わせる”必要があるのだろうし、親もその点で話をすることもしている。

これはある種”配慮”なのかもしれない。社会からは当たり前として期待されていることが、長男としては結構頑張って配慮して対応してることも多い。そこはあまり気付いてもらえないけれど。

長男は本当はやりたくないという気持ちがある。だから、あまりやり過ぎると今度は凸をちょん切ることに繋がらないか、人の目ばかり意識しすぎないか、という不安もある。

親の対応

小学校中学年以降、長男が「楽しくなかった」「参加できなかった」という話を持ち帰る度に、家で背景知識を教えたり、理屈を説明して対応するようにしている。カウンセラーの先生からは、長男の質問に全て答えたり、説明をするのは、共働きで下に子供が2人いると大変ではないか?と訊かれる。

大変かも知れないが、本当に大変なのはそこではない。上記のように、参加できない長男に問題があると学校から指摘されたり、そのように評価されることが多すぎることに大変さを感じている。そしてどうしたら良いか未だに答えがない。

(4)につづく