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集団での出し物が鬼門(4)

簡単には解決しない

長男が、みんなと同じように出来ないことは、問題と言えば問題なのだが、単純にみんなと同じようにすべきというのも間違っている気がしている。

キャンプファイヤーで踊りがあると分って参加を決めたのだから、嫌でも踊るべきという考えもあるだろう。和を乱すくらいなら参加しなければ良かったのかもしれない。

国歌斉唱で起立しない先生が問題視された件とか、色々考えたりしたのだが、長男に起きている状態がこれに近いのかどうかもわからない。

別に踊りを強制された訳でもない。それに、長男が孤立していても、誰も困らなかった可能性も高い。

では問題は無かったのか?

協調性の観点からは、みんなと同じ=協調性=自分がない、と長男には思えたのだとしたら、それは協調性が魅力の無いものと映ったのだろう。

一方で、チームワークと考えると、やはり長男だけ参加しなかったということについて、単純に放置はできないと考えている。

また別の問題にはなるが、協調性がない=問題児と考える人達が、通知表や内申を書くのではないかと思っている。そして、長男は自分の意志で中学受験を希望している。この矛盾をどうするつもりなのか。

親からしたら、自分の選択肢を自ら潰しに行っているようにも見えていて、分っていても行動が変わらないところに腹が立ってしまう。優先順位がおかしいだろうと言いたくなるのだ。

それでも長男にしたら、期待された行動を取る=意に反して従う、という構図になっている。こうなると厳しい。でも、もしチームワークということが感じられるきっかけがあったなら、結果が違っていたかも知れないと思う。

こういった中で、参加はできなくても、隅で静かに丸まっていたというのは、人が見ればどう思うかはさておき、親からしたら、最低限邪魔しないようにしたのだろうと思った。

歯がゆいけれど、毎回毎回、長男のためにきめ細やかな対応をすることは難しい。親もそこまで手が回らない。大体後手に回る。だから自分で、もっと状況判断して対応できるようになってほしいと思っている。

参加しなかったことについて話し合う

本当は、写真が届いてから長男には話を聞こうと思っていたのだが、別件で長男が叱られることがあり、その際に夫がこの件に触れたので、予定より早めに話すことになった。

私が、「合宿、参加できなかったもの、あったんじゃないの?」と訊くと、「キャンプファイヤーの時ね。写真見た?」と返ってきた。いずればれることは分っていたらしい。こういう話は、自分から先に話してほしいと伝えているが、実行はされない。

(5)につづく