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祖父との思い出

こんにちは😊
あまなつです。

いきなりですが、
私は着物が大好きだ。
見るのも着るのも。

そんな私に影響を与えた私の祖母は
腕の良い和裁士で、

着物を日常的に楽しんでいた。

そして祖父も、着物を着る人だった。
自分から着ていたのか、

祖母に着せられていたのかは定かではないが、
おそらく着物を愛していたであろう、
着物が似合う人だった。

亡くなって40年経つが
鮮やかに思い出すことができる。

書道の先生をしていたため、書道の道具や、書道関係の本などが決められた場所に置いてあり、また数々の賞状?らしいものは
祖父が
ひたむきに取り組んできた書道家だったことを物語っている。

入退院を繰り返し、
病気がちだった祖父は、普段はとても物静かで、話している姿など見たことがなく、時間があるときは一人で将棋をさしていた。

祖父がまだ少し元気だった頃、たった一度だけ、「お菓子を買ってあげるからスーパーに行こう。」と話しかけられたことがあった。

あまり会話したことがないし、一瞬どうしよかなと迷ったが、行くことにした。

たぶん、私の記憶では
初めて話しかけられた出来事だった。

なのでこの日の感情は記憶として今でも
鮮やかに想い出せる。

着物姿の祖父は下駄をはき、そして
スーパーまでの道のりを、
ただ、二人で歩いた。

会話もない。

ただ、ずっと祖父の、カランコロンという下駄の音が響くだけ。

なにか話さないと…😲

子供ながらに気をつかう私。
そんな私におかまいなく、

祖父は、そよぐ風を感じながら。
カラン、コロン…。

風を感じ、下駄の音を聴いているうちに、
会話なんていらないんだ!と気づいた。

途中で気をつかうのをやめた私。

そうするとさらに、下駄の音が心地よく感じた。

40年たったいまも
着物を着こなし、
下駄を心地よく響かせ、物静かな祖父を
鮮やかに思い出すのは

着物を愛するという共通点が
あるからなんだと思う。

最近、ニューロ言語プログラミングを学んで
気づいたが、
言葉で伝えなくとも、祖父はきちんと、
五感を使って
自分を、人生を表現していたのだ。
物静かで話さない人だからって
なにも伝えていない訳ではない。
「書道の先生」を通して
何かしら感じ、自分自身を表現し、
何かを伝えていたのだ。
ものすごい発見だった。

おじいちゃんが私のおじいちゃんで良かった。

おじいちゃん、ありがとう。

素敵な午後を!✨


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