見出し画像

満洲の戦前風景

南信州新聞で「満洲-お国を何百里-」の連載が、1/6からスタートした。
おかげさまで、現在、3本の新聞連載をこのご時世で頂けましたことを幸運に思っている。
しかし、コアな夢酔マニアは不思議に思うことでしょう。
「聖女の道標」を除けば、どんなに頑張っても明治維新程度の時代までしか掘り下げて来なかった奴が、まだ生きている方がいるかもしれない満洲を題材にしやがった。
こいつぁ、たまげた……と。

動機はふたつ、あった。

ひとつは、ウクライナ戦争
正義の見出せないロシアの所作が、80年近くもむかしの不可侵条約を無視した満洲侵攻に重なったからだ。
非戦闘員にミサイルや爆弾を容赦なく降り注ぐプーチン。
戦闘能力のない婦女子を襲い凌辱し殺め奪うスターリン。
両者の悪びれず身勝手な自己正当が、重なって映ったのは、夢酔だけではないはずだ。そして、ああ、こうやって抗う術を持たぬ者を蹂躙したのだ。あの日も、いまも、と思わざるを得なかった。
もうひとつは、満蒙開拓団の大義。連載をいただいた新聞の地域は、下伊那。日本で最も満蒙の開拓民を大陸へ送り出した地域だ。その考えの根底には、大いなる郷土の教養と国家への意識。それは明治維新には松尾多勢子を輩出した「国学」や「勤皇」といった浸透教育基盤が、日本の何処よりも真面目なほど徹底していたからではあるまいか。その国家や勤皇の意識はどこからきたのか。遡れば、それは南北朝の頃に根差した南朝の宮が根付いたことに帰結しまいか。教養や意識は、宮から地域に与えられ、純朴なほど浸透性のある民衆が受け止めたことに要因があると思える。知久氏が「御所車」の紋で戦場を駆けたのも、南朝の宮に由縁がある。

現ロシアへの怒りにも似た苛立ち。地域性への可能性。ふたつを掛け合わして思考した結果、無謀ながら、足を運ぶことも儘ならぬ満洲を題材に選んでいた。
そう。容易に旅で赴けるほど、満洲は距離も事情も近くはない。

絵にかいたような、旧ソビエト連邦の非人道性や悲惨さを訴えるのは、ことさら神経を擦り減らす徒労である。

それに、戦争を知っている世代ではない。

だから、切り口を変えることで表現できないか、試行錯誤した。

この時代で、悲惨だけではないけど伝えられる戦争表現がある。
それが、「生活」だ。
昭和20年8月8日以前の満洲で、明確な対外の戦争行動はない。せいぜい八路軍や匪賊の騒乱であり、局地的なことである。戦争の足音さえ知らず、8月8日に眠りを覚まされた村も少なくあるまい。

人が生活する場所には、当然の営みがある。冠婚葬祭や、恋や憧れ、食べること、冬ごもり、笑いや涙や共働や、別れ。そして、思想。
どこにいても、人間社会には当然の出来事があるのだ。それを、考察した作品が出来ないか。特定の主人公に縛られると、視野は狭くなるし、場合によれば架空の人物がいてもいい。なぜならば、これは純粋な創作物なのだから……。
作品は、オムニバス連作で、それぞれの作品に各々別のキャラクターはいるし、舞台も決して相容れぬ。広大な満洲では、互いに見知ることなど、きっとないのだから。
架空のキャラクターもいれば、舞台や時代でどうしても出て来る実在の人物もいる。
全員が、精一杯、日常を生きている作品。
それが、「満洲-お国を何百里-」である。

日常や、日々を切り取った戦争を題材とした作品は近年増えた気がする。
漫画では、ただ戦争の辛さだけを伝えない試みがされてますよね。

「この世界の片隅に」
「戦争めし」
「ぺリリュー楽園のゲルニカ」

ここまで積極的に切り込めるとは思っていない。
しかし、昭和20年8月8日まで、平和な満洲の村は大勢あった。五族協和が守られた村もあれば、恨まれた村もあっただろう。いい関東軍もいたし、嫌な青年団もいた。日本のどこかの名もない小さな村と、気候風土を除けば変わりのない営みがあってもおかしくはない。

ちいさな灯のような、生活が……。

ボツにしたストーリーもありました。生々しくて、現在の特定亜細亜を感情的に描くのはおかしいと立ち止まったり、あまりにも思考が偏り過ぎて誤解を招くものなどは、容赦なくボツ。多様性があれば、十人十色の、満洲の生活と笑顔がある。
めざしたのは、そこです。

薄甘い。

引揚げてきた人の目には、きっとそう映る。だから、これをきっかけに、読んだ方、知ってしまった方が、その続きを自分で調べて「考えて」下さい。きっかけになればいい、そういう作品です。

「満洲-お国を何百里-」
予定話数 全206話。オムニバス件数は全18回。
現在は第一話「人買いがきた」を連載しております。

リニア新駅に先駆けて訪れる機会がございましたら、ぜひ、南信州新聞でお会いしましょう。

この記事が参加している募集

ふるさとを語ろう