転職を8回経験して40代になって気づいたキャリアの考え方を20代の自分に教えるつもりで書いた
20代の僕へ。
僕は20年経ってもまだ満員電車に乗ってるし、あまり乗り気ではないけど会社で働いてるよ。
ここまでとても大変なこともあったし、それなりに成長できたこともたくさんあった。
500万円を目指していた年収も、いつのまにか700万円になったから頑張ったほうだと思う。
僕はあれから8回の転職を経験して、社会人を20年経ったことで気づいたことがあるから教えておきたい。
結構本音で伝えたい。
とりあえず「いつか」みたいな感覚で、「なにか」を待っていてはダメだ、できることはやろう。
全部書くと本1冊くらい書けるから、今回はキャリアについてのポイントだけ伝えるよ。
結論を先に言うけど、「キャリアの答え」は自分の中にあるということ。
記事を読んだらあらためて、このことをよく考えてほしい。
どう考えても嫌なら早めに退職する方がいい
会社が「嫌」だと思ったらやめていい。
僕は嫌だと思っても辞めなかったことがこれまでに何度かあった。
「目指していたキャリア」があったというよりは、ただ耐えてただけだったと思う。
転職しても同じ
頑張ったら報われる
石の上にも3年
今の僕なら昔の僕に対して、絶対にツッコミをいれるはず。
「転職しても同じじゃないし、頑張っても報われない環境もある!そもそも石の上にも3年って何だよ」
と、かなり厳しめに怒ると思う。
なぜなら、当時の僕はストレスに慣れることで、考えることをやめていたから。
もっと言えば自分のキャリアや将来に向き合うのが怖かったのかもしれない。
結果的に僕は「思考停止」という、楽なほうを選んでいたんだ。
会社も上司も嫌でストレスを感じるけど、慣れようとすることでどうにか耐えていた。
ただあきらめて、ただ耐えた。
でも結論を言うと、耐えた先には何もなかった。
正確に言えば、厳しい職場で経験を積み成長はしたけど、それはどんな環境でもある程度は同じ。
嫌な会社に耐えた期間を振り返ると「サッサと辞めればよかった」と思うのが正直なところだ。
「辞めれるなら辞めてるよ!」
と、昔の僕から反論がきたけど、本当にそうだろうか?
よく考えてみてほしい、僕は耐えることに加えて、会社や上司に自分の人生を委ねていたのではないだろうか。
「・・・」
そう、僕は他人に人生を預けていた。
会社が自分の将来を、上司が自分のキャリアを「考えてくれている」と都合よく勘違いしていたのだ。
単純に耐えたのではなく、自分にとって都合のいい勘違いをしていた。
蓋をあければ、会社も上司も自分のことなんて気にしてなかったのに。
結果的に「自分で変わらなければいけない」と気づいてMBAをとったりしたけど、控えめに言っても判断が遅い。
耐えることが悪いわけではないけど、他にも選択肢がないかよく考えよう。
耐えた期間は、自分の「価値観」というとても大切なものを犠牲にしてしまうことになるからだ。
僕が大切にしてほしいのは自分にしかない価値観。
価値観を犠牲にしてまで耐える必要はない。嫌だと思ったらできるだけ早めにやめよう。
念の為に言うけど無策にやめるのはジョブホッパーになるだけだから気をつけて。
手当たり次第「経験」を増やした方がいい
自分が変わる瞬間は何かを「経験」したとき。
本でも著者の経験を擬似体験できるので、ある意味では経験積むことができると言っていい。
僕はこれまでとにかく経験を積むことに特化させてきた。
ただ前述した耐えていた期間や、自分の人生について考えることをやめていた期間はそうではなかった。
できるかぎり「経験をする機会」を増やした方がいい。
キャリアコンサティングの世界には「計画的偶発性理論」という考え方がある。
すべて漢字でむずかしそうな印象を与えてしまうけど、ようは「キャリアの80%は偶然決まる」というもの。
予定したり計画しても、結果的に偶然決まってしまうんだ。
僕もこれまで偶然キャリアが決まった。
グラフィックデザイナー
営業職
人事職
まさか僕が人事になってるとは思っていなかったと思うけど、結構気に入ってるから大丈夫。
ある意味で天職と言える「人事職」にたどり着いたのは、あらゆる経験をしたからだと思う。
まさに偶然と経験からキャリアが決まった。
耐えることをやめてからの僕は、経験を積むことに時間を使った。
プログラミングスクール
MBA
キャリアコンサティング
これ以外にも、海外の起業家に会ったりWebマーケティングスクールなど自分の「知らない」に触れるようにしたんだ。
お金も時間もぜんぶ経験に使ったよ。
おかげで今はこうやってWebライティングやブログをやって、正社員以外の選択肢を考えられるようになった。
知らないことはイメージできない。
でも経験して「知る」ことで、自分のありたい姿の輪郭がぼんやりと見えてくる。
だから自分が経験できることは、選り好みせずに手当たり次第やったほうがいい。
手当たり次第といっても、経験すれば自分の中に引き出しが増えるし、好き嫌いもわかってくる。
経験して知っていることを増やすことで、自分の選択肢が増えることが重要だ。
自分の中の「あり得ない」を減らしていくことをおすすめする。
会社の人間関係はその場限りだからほどほどに
さて最後のアドバイスは、会社の人間関係。
結論ほどほどでいい。ほどほどといっても加減がわからないと思うけど、本当にほどほどでいい。
わかりやすく言えば、会社でのコミュニケーションが困らないくらいのほどほど加減。
さすがにフリーランスでもない限り人付き合いはしなければならない。
会社で誰かとコミュニケーションをすることは、絶対に必要になってくる。
しかし、「家族主義」や「絆」ましてや「仲間」といった言葉に振り回されないようにしよう。
これらは会社側が都合よく使っているキーワードだ。
一部を除いて会社は、仕事以外の付き合いを求めている人はいない。
僕は人事という立場だから、「仲良くしよう」とか「関係を改善しよう」とかやってるのだけど誰もそんなことは求めていない。
ストレスなく仕事ができさえすればいいのだ。
だからほどほどの距離感でコミュニケーションするだけで問題ない。
一方でほどほどを超えると逆にやりにくくなるリスクさえ出てくる。
感情的になって発言して関係が悪くなる
仲良くなり過ぎて馴れ合いになる
残業を含めて無駄な付き合いが増える
僕が言いたいのは、この「会社の人たち」とはいずれ別れる運命にあるということだ。
その会社にいる限り、 仲間や家族のような錯覚を覚える瞬間もあるし求めたりする。
僕もそれを求めていた。
だけど、結局8 回転職してわかったことだけどいくら仲良くなっても辞めたら最後付き合いはなくなる。
会社で出会って一生付き合う可能性がある人は「配偶者」くらいだ。
ずっとつながってる人たちもいるけどそれは一部だし、自分のキャリアに困っていないような余裕のある人たちだ。
というよりは、つながり続けるメリットはほとんどないと僕は思う。
たまに会っても「過去に別れた恋人のその後」を聴くような内輪のネタしか入ってこない。
ドライな考え方だと思うかもしれないが、僕は辞めた会社の人たちは全て連絡を断つ。
なぜなら決断をして次の道にすすむ必要があるから。
前職に残っていたらという「もしも」を想像して、後ろ髪をひかれている場合ではないのだ。
だからほどほどに付き合い、お互いストレスがないようにするのが最適。
やや長くなってしまった。
伝えたいことをまとめると「自分のための時間」をどうにかして捻出してほしいということだ。
会社にいる時間もある意味で自分の時間だけど、拘束される以上自由はない。
その上さらに人間関係にズブズブとハマっていけば、「自分のこと」を考える時間がなくなってしまう。
何度も言うけど、人間関係をないがしろにしろということではない。
そもそも「会社最高!」と思えるほど居心地がいいのであればそれは幸運だし、この記事を読む意味はない。
でも僕は残念ながら、社会人になって20年そんな会社には出会えていない。
これから先出会える可能性もあるけどそれはよくわからない。
ただ、あくまで仕事や自分が成長するためにもコミュニケーションは重要だ。
しかし、ほどほどを超えたコミュニケーションをしても自分の時間が減るだけだということを知ってほしい。
安易に残業しないとかそういう話ではなくて、自分の「ありたい姿」に向かっていこう。
ありたい姿とは「こうだったらいいな」という自分の姿だ。
自分の「ありたい姿」を強く思い描き、そこに向かって進んでほしい。
ありたい姿が見えたら、他人と付き合ってる場合ではないことに気づけるだろう。
逆にありたい姿が見えなければ、周りに時間を使う日々から抜け出すことは難しい。
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