子育てエッセイ : 自分の子育てが正しかったかどうかは、自分が死ぬ時に分かる 子育ては死ぬまで終わらない(ある看護婦長さんの言葉)

僕の父は約8年前、癌で亡くなった。
父が亡くなる1ヶ月ほど前から、僕と母と奥さんが交代で父の看病をした。
週末になると娘たちが地元に帰って来て父の看病をしてくれた。

その日、母と交代する予定だったが、母が疲れで体調が悪かったため、また奥さんが仕事を休むことが出来なかったため、僕が2日連続で徹夜で看病することになった。

徹夜2日目の深夜、父の病状は安定していた。
隣りの部屋が慌ただしくなった。父が入院していたのはがん病棟だった。毎日のように誰かが亡くなっていった。
父は自分が死ぬことを知っていたが、誰かが亡くなる声が聞こえて来るのは辛かった。
隣りの部屋には、おばあさんがいた。
医師の先生が走って来て、看護婦さんたちの出入りが激しくなった。

10分ほどすると、おばあさんは病室からナースステーションの隣りの救急救命室に移された。
医師の先生の、直ぐに家族へ連絡を、という声が聞こえた。
父は眠っていたので、僕は病室の外で様子を見ていた。おばあさんの身体には無数の医療機器からの線が繋がっていた。
医師の先生の、家族の方はまだですか? という声が何回も聞こえた。
看護さんたちが、私達の声が聞こえますか、
頑張ってくださいと何回もおばあさんに言っていた
医師の先生は懸命な治療を続けながら、何回も
家族の方はまだですか?と言っていた。
医師の先生が治療する手を止め、天井を見上げた。
看護婦さんたちが、おばあさんの身体に付いている
医療器具を外し始めた。
医師の先生はナースステーションに行き、
患者の家族の方は遠くに住んでいるんですか?
と言った。
ひとりの看護婦さんが市内在住の方です。
と答えると、医師の先生は顔に怒りを隠さずに歩いて行った。
そして、おばあさんの顔に白い布がかけられた。
おばあさんはそのまま緊急救命室のなかにいた。

僕は病室に戻り父の様子を見ながら、誰にも看取られずに亡くなったおばあさんのことを考えていた。
20分ほどすると、ナースステーションの方で男の人の声がした。
病室を出てナースステーションを見ると、男の人が
看護婦さんの1人に
「亡くなりましたか。すみませんが、これから葬儀屋さんに連絡したりしなくてはいけないので後ほどまた来ます。」
と言って直ぐに帰って行ってしまった。
僕はその光景を悲しく思いながら見ていた。
すると後ろから、僕を呼ぶ看護婦長さんの声が聞こえた。

看護婦長さん
「鈴原さん、2日徹夜は大変でしょう。私達の休憩室で珈琲を飲んでください。」

看護婦さんたちの休憩室には、コーヒーサイフォンと電子レンジと冷蔵庫、そして、テーブルと椅子と
簡易ベッドが置いてあった。
看護婦長さんはコーヒーサイフォンで淹れた珈琲を
紙コップに注いで僕に渡してくれた。

看護婦長さん
「鈴原さん、お父さんの容体は安定しています。この休憩室で少し仮眠をとってください。看病している鈴原さんが倒れてしまったら何にもなりませんから。鈴原さんは、さっき信じられないという顔をしていましたね。実はああいうことは時々あるんです。誰が1番悪いと思いますか?
亡くなった方には失礼ですが、亡くなられたあの
おばあさんが1番悪いんですよ。 
鈴原さんは大丈夫だと思いますよ。鈴原さんがお父さんを一生懸命看病している姿を娘さんたちが見て学んでいますから、鈴原さんがもしお父さんを、
何処かの病院に入れて放っておいたら、鈴原さんもあのおばあさんのように娘さんたちに放っておかれることになったでしょう。
人は、親の面倒を見るのは子どもの義務だと言います。なかには当然だという人もいます。
ですが子どもは義務で親の面倒を見ません。
子どもは親の面倒を見たいと思うから見るのです。
ここを皆さん分かっていません。
自分の子どもが自分つまり自分の親の面倒をきちんと見るかどうかは、自分がそれだけ自分の子どもたちに慕われているか、ということにかかっています。
そう思われるためには、夫婦仲の良い円満な家庭を作り、幸せな環境で子どもを育てなければなりません。暖かな家庭を作ることも子育てです。
そして、そんな環境のなかで子どもと良好な関係を築くのも子育てです。
自分の親の面倒を一生懸命見る姿を見せるのも子育てです。
あのおばあさんは、そういう努力をしなかったのだと思います。
自分の子育てが正しかったかどうかは、自分が死ぬ時に分かります。
自分の親の面倒を一生懸命見る責任感のある優しい人間に育ったかどうかが分かるのです。
その時、後悔してもどうにもなりません。
子育ては死ぬまで終わらないのですよ。」

僕はその後、早朝の4時半まで仮眠を取らせてもらった。

その10日後、父は亡くなった。
父は亡くなる少し前に、駆けつけた僕たち家族ひとりひとりにありがとうと言った。
最後、母に手を握られながら、もう一度家族全員を見廻し、嬉しそうに微笑んで亡くなった。
父は幸せな気持ちで亡くなった。

僕はその時、微笑みながら亡くなった父を凄いと思った。父は自分の人生を幸せだったと思ったからだ
そして、思い残すことは何もないと思ったからだ。
僕の父は、大企業の社長でもなければ、ましてや
勲章を貰ったわけでもない。
だが僕は自分の父を尊敬出来ると思った。
僕は残りの人生は、父の様に、微笑みながら死ねる様に生きるんだと誓った。
父は人生の最後の最後に僕に1番の子育てをしてくれた。





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