子育てエッセイ : 大人になるという概念は子育てには必要ないと思う 自己は絶えず変化し続け確立しないものだと思う

大人になるという言葉がある。
大人になりなさい、という人もいる。
大人になるという言葉を使う前に、
何をもって大人と言うのかを考えなくてはいけないと思う。
法律上18歳になったら大人という具体的な定義以外、曖昧な定義しかない。

よく大人になるというのは自己が確立したこと
と言う人がいるが、
自己というものが何処かの時点で確立し、
そのまま一生変わらない
などという人がいるだろうか?

人間は様々な経験をする。楽しい経験ばかりでは
ない。
親しい人を亡くしたり、人に裏切られたり、
大失恋したり、病気になったり、事故にあったり
その度に人は立ち直り、そして新たな自己のもとに
その後の人生を歩み始める。
それも1回で終わるわけではない。  

つまり、自己というものは絶えず変化し続けて行く
ものであり、何処かの時点で定まって変わらないというものではない。
人は死ぬまで自己が変わり続けて行く。

逆に何処かの時点で自己が確立し
そのまま変わらないというのは
悟ってしまった、ということにもなりかねない。
悟ってしまったら
その人間の進歩はその時点で止まってしまう。

サリンジャーの小説ライ麦畑でつかまえての主人公の男の子のことをモラトリアムという人がいる。
確かにモラトリアムかもしれない。
だが、人によっては、この主人公ほど社会に対して悩み苦しむ人もいる。
モラトリアムからの脱出方法は自己を確立することではなく、社会に飛び出す勇気を持つことだと思う
自分の子どもがモラトリアムの場合、自己を確立させようとするのではなく、社会に飛び出す勇気を持たせること、もしくは、希望を与えることだと思う

一方で大人になるといことは、そんなに大切なことなのだろうか?
子どもの様な純粋な心を持っているからこそ生まれた芸術もある、
いくつになっても子どもの様な心や一面を持っている人のなかには男女問わず魅力的な人もいる。

世の中に大人という人が果たしているのだろうか?とも思う。
若くして悟ってしまった人、耳年寄りの人はいても
この人は大人だなぁ、と心底思える人はいるだろうか?

子育てに、大人になるという概念は必要ないと思う
自己は絶えず変化し続けているからこそ、人は進歩し続けている。
それに、そもそも子どもを育てている親自身が所謂大人でない以上、子どもを大人にさせることは不可能だと思う。

変わらないということは、恋人やパートナー、あるいは友人に対する優しさの1つにはなる。
だが、変わらないということは、その人の進歩を止めてしまうことになりかねない。

大切なのは、子どもに強い心を持たせることだと思う。
社会や未知なる世界に飛び出して行く勇気のようなもの。
また、そういう世界に飛び出して行く時に、希望を持たせてあげることだと思う。

僕は子育てに、大人になるという概念は必要ないと
思う。



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