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トイストーリーと広告、そしてブランド論

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前回のnoteはこちらです!「フォーキーはSNSの象徴だ!」という内容です。


トイストーリーを語る上で、意外と見落とされがちで、しかし決して無視できないある一つの要素があります。それが「広告」です。

「トイストーリーと、広告」。「トイストーリーの広告」ではありません。トイストーリー・シリーズの各物語に出てくる広告表現と、劇中での扱われ方について、です。

2020年現在、テレビや新聞などのマス広告が効かなくなったと言われて久しいです。
いや、マス広告に限らず、そもそも「広告」自体が邪魔なものや鬱陶しいものとされ、その嫌われっぷりはプレミアム会員費(YouTube、Spotify等々)として金を払ってまで取り除きたいものになっています。

2014年の本ですが、こちらの本では分かりやすく広告とメディアと人の動きについて書かれています。みんな大好き(大嫌い?w)田端信太郎氏の「広告やメディアで人を動かそうとするのは、もうあきらめなさい。」


トイストーリーは1作目が1995年、4作目が去年2019年、約25年(改めてまじか・・)の歴史がありますが、これは広告が効かなくなってきた歴史=PCとインターネットの発展の歴史と一致します。
広告の影響力の減少と、インターネットの発展は相関関係があります。

そう、ルールは変わったのです。

1作目の1995年はまだ広告の時代です。バズ・ライトイヤーのブランド価値はまさに広告によって築き上げられたものです。
そして広告によって極限まで膨らまされた期待が「無限の彼方へ、さぁ行くぞ!」というセリフによって示され、その期待と現実とのギャップが物語を駆動していきます。

2000年に公開された2作目でも広告への期待はまだ引き継がれています。2ではウッディは実はかつて「ウッディのラウンドアップ」という大人気テレビシリーズの中で主役を演じ、メディア内で理想化されたカウボーイとして当時の子ども達に支持されていたという経緯が明かされます。

しかしそれから10年が過ぎた3作目においては、もはや広告やメディアは物語上のフックには全くならず、語り口はよりオモチャの本質論に傾いています。もはや広告やメディアの存在感はどこにもありません。広告が効かなくなってきたと言われるようになってきた頃です。

そこからさらに9年後の4作目においては、なんと劇中において広告はハッキリと「嘘付き」だという烙印を押されてしまいます。新キャラ「デューク・カブーン」はアクロバット走行によって宙を舞うCMによって売り出されたオモチャでした。

しかし、そのCMを観ていたかつての持ち主リジャーン少年の期待を裏切ってしまい飽きられてしまいます。デューク・カブーンは「あれはCMなんだよぉ…」と悲しく嘆きます。(嗚呼、我らがデューク・カブーン…君は何にも悪くないよ…。)

それまではオモチャと広告、メディアの関係は密接であり、どちらも「夢を魅せる」という目的においてはある種の「共犯関係」を築いていました。

それがいつの間にか存在感は無くなるどころか、「嘘付き」として真っ向から否定されるものになってしまいました。シリーズ上での広告の扱われ方と、現実世界での広告の扱われ方はぴったりとリンクしています。

そして、前回も書いたのですが、カブーンと同じく4作目に登場してきた新キャラ「フォーキー」はSNSやUGCの象徴として、トイストーリー世界に決定的な問題を投げかけました。前回とは違って、今回強調するのは「オモチャのブランド価値」問題についてです。

つまり広告が効かなくなってきた今、オモチャはどのようにしてブランド価値を醸成するか、という問題です。現代の消費者(子ども=ボニー)は、かつて大人気だったプレミア付きのオモチャ(ウッディ)でも、今でも知名度は抜群のオモチャ(バズ)でもなく、自分で作ったゴミのようなオモチャ(フォーキー)に最も価値を感じています。

「最終的な消費者に選ばれる存在になる」=「子どもに選ばれる」ということがブランド価値だとすれば、広告費ゼロ、製作費もほぼゼロのフォーキーというオモチャが、おそらく何億という広告費や製作費、物流費などをかけられたその他のオモチャを差し置いて圧倒的なブランド価値を獲得しているということになります。

現代は消費者が自分が今観たいもの以外は全て邪魔なものに映っています。接触するメディアは原則的に自分で選ぶものであり、情報の取捨選択の決定権は消費者の側にあります。

そして、プロが作った映像や文章と、自分のリアルなコミュニティに属するゴミのような(いやこれは失敬…)映像や文章が完全にフラットに表示されている画面を毎日観ている状況です。

このようなメディア環境において、新しい勢力が消費者の脳内や心の中にブランド価値を築くかということは、もはや資本の論理の外側にあります。お金をかけて広告費をドバドバかければ新規の消費者から確実に認知と支持をもらえるわけではなくなりました。

そしてウッディは、静かに市場から退場していきました。

では、あのウッディですら退場していくこの過酷な市場で、どのように自社のブランド価値を獲得していくか。そう、ここからが本題です。



・・・ですが!今回はここまで!遅筆の限界です、すいません!
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