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【自己紹介兼自己分析】私とは誰なのか?

昔も今も、詩人という職業で生計を立てることは難しい。
それと分かっていながら、詩の才能がないことも承知の上で、やはりずっと詩人に憧れているのは否定できない。

私が詩人に憧れたきっかけは、本棚にあった数々の詩集や小説を無作為に読み始めたことがきっかけだった。

日本文学は、夏目漱石から始まり、森鴎外白樺派太宰治萩原朔太郎高村光太郎そして三島由紀夫という絢爛たる城郭のような存在に打ち当たり、大江健三郎中上健次という戦後文学の巨人たちを見上げ続けた。
その傍らで、小林秀雄亀井勝一郎等の創造的批評をも知ることになる。

ヨーロッパ文学の影響も多大だ。
ゲーテランボーヘッセワイルドジイドスタンダールボードレールに至り、やがてトーマス・マンという絶頂に辿り着く。
トーマス・マンのあの堅牢で理知的な文体は、「トニオ・クレーゲル」「ベニスに死す」「ブッテンブローク家の人々」を経由して「魔の山」で最高峰に浸る。

そのせいか、そのおかげかはさておき、親から自動車免許を取得することを勧められ資金を援助する旨を受けたのに対して、そのお金で三島由紀夫全集かトーマス・マン全集を買う代案を提示すると呆気なく却下され、55歳を過ぎた現在でも自動車免許を有しておらず、現在も自動車自体にも一切の関心を示すことなく生きている。

あまり漫画やアニメは得意としていないのだが、「ムーミン」に登場するスナフキンからもそれなりに影響を受けたのは確かだ。
ムーミンの相談事に機知溢れるアフォリズムを駆使して魅了し、旅を愛し、ミニマルな所有物、自由、孤独といった内省的生活を徹底するそのライフスタイルは、今後の人生の目標と言える。

哲学という分野においては、ソクラテスとは何者なのか、という疑問を発端に、プラトンアリストテレスショーペンハウアーキェルケゴール、そしてニーチェという生の哲学に魅せられる。

そんな読書に洗脳されて文章を書く仕事に漠然とした憧れを抱きつつ、学生時代からライター業を開始。
気がつけば広告業界の末端で職にありつくことになる。

広告業界は皆が感じている通り、派手さと地味さが混在した仕事である。
かつての秀逸なクリエイティブこそ広告という時代は、コンプライアンス重視の経営や広告費の適正化あるいは成果に応じてデジタル化が進んだことで小粒になり、日本に勢いがあった以前のようなそれに比べれば元気がない。
さらに、無意味なほどにタレント広告が跋扈しているのが現状といえる。
広告代理店においても、大キャンペーンでマスメディアやトラフィックメディアをタレント起用によって埋め尽くし、タレントギャランティに多額のマージンを存分に上乗せして請求できるという意味においては、東京オリンピックと同じ利益獲得スキームであることに変わりはない。

ともあれ、53歳で突然の病に襲われ、それをきっかけに人生のパラダイム・シフトを実行すべく、脱予定調和の人生を目指して54歳で広告代理店から脱出できたことに関しては全くと言って良いほど後悔はなく、むしろ清々しい気分である。

そして、2022年3月に退職し、2022年4月に流されるままに起業し、肩書も奇妙なことを考える奇考士(きこうし)、奇妙なことを書く奇文家(きぶんや、あるいはきぶんか)を命名し、思いのままに生きており、これまでに得られなかった幸福感が増すばかりの日々だ。

果たして、この幸福感はどこから来るのだろう?

私の好きな言葉のひとつに、禅宗の教えのひとつである“知足”“本来無一物”がある。
足るを知ること、そして人間は生まれながらにして何もなく死すべき時においても何もない。
つまり、「今あるもので充分である」を意味する。

有形・無形を問わず、過剰や強欲は決して幸福感を得られないことに気づいた。
物では幸福感は得られないのである。
その思考こそ、ミニマリズムとの出会いにも繋がっていき、車や家といった“ステイタス・シンボル”よりも旅や食といった“スペシャル・エクスペリエンス”を重要視するようになった。
先にも書いた通り自動車普通免許すら取得しないのは、書籍だけの影響だけではないかもしれない。

元来、家電嫌いという性分ゆえか、物を買う行為に疑問を抱きながら、広告業界に身を置きマーケティングという名称で物を無駄に買わせる助力を担っていたことへの嫌悪感からも逃れることができたこともすこぶる大きい。
そこで私の人生の中に“引き算の美学”を取り入れ、不要な家電、不要な家具、不要な衣類などを暮らしからそぎ落とすといった、私の人生を俯瞰したうえで実生活においても引き算の美学を導入した。
それによって私の思考や行動自体もシンプルとフォーカスを極める生き方を満喫している。

自宅のリビング

さらに、会社やクライアントといった組織から指示や命令を受けることなく、自己との会議、自己への指示、自己との対話という自己完結型労働形態こそが幸福感の源泉のような気がしてならない。
また、日常生活において書籍とギターと酒を愛し愛される日々は、他者を愛し他者に愛されることより愛おしい。

と考えると、私自身にスローガンをつけるとしたら、以下のようになるだろう。
「極少の所有で、極上の幸福を追求する夢想家」

そうして、私とは誰なのか?という自己問答は、人生の午後に向かってさらに深まりつつある。
その明快な解答はきっと死ぬまで得られないような気がしてならないが、ただ言えるのは、人生の夕刻が訪れる時、どれだけ涙が出るだけの感動体験ができたのか、がいかに大切で稀少なことかという自己認識ではなかろうか?

そう、答えは私の中に常に隠れている。

【日課あるいは趣味】
・長い散歩
・デジタル書道
・日記
・ギターと歌の練習
・旅先の模索

【目標】
・ホテル暮らしのような非所有生活
・土地や場所に捉われない生き方

【苦手あるいは嫌悪】
・マウンティングと紙一重のマネジメント(と言うワードを容易く言う人)
・意識高い系を気取ったビジネス(と言うワードを容易く言う人)
・原価にいくら売価を載せるかで悩む見積書作成
・空虚なパーティあるいは式典、大人数の会食、それに群がる人々
・背中を押され急かされるような混雑
・群衆が集まる場所あるいは群衆を集める冠婚葬祭
・料理、料理系家電、調味料、必要過多の食器類

【読書傾向】
ショーペンハウアー、ニーチェ、トーマス・マン、ヘルマン・ヘッセ、ランボー、鴨長明、内村鑑三、萩原朔太郎、道元、中上健次、三島由紀夫、大江健三郎、平野啓一郎等

【音楽傾向】
バッハ、シェーンベルク、ザ・ビートルズ、エリック・クラプトン等

【思想傾向】
脱構築思想、ミニマリズム

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