サウナとスタバにお金を払う
「サウナに行くから健康になるのではなくて、健康な人しかサウナに行っていないのだ。」
サウナが健康に良いということの根拠に、サウナに行っている人が健康であるということが挙げられる。
冒頭の一文は、それに対する反論である。
日常ではまず遭遇しない極限状態。
80度や100度といった熱波と、5度や8度といった水風呂の往復。
脳内にじわっと化学物質が出るため、気持ちよく感じ、リピートする人も多いが、その良さを知らない人からすればただの苦行だ。
こんな高ストレス環境に頻繁に身をおけるのは、そんなストレスを感じても、そこまで健康が損なわれない丈夫な身体を持っており、「整う」ことの快楽を純粋に楽しめる人々だけではないだろうか。
筆者もサウナに何度か行ったことがある。
お肌もツルツルになるし、なんだかさっぱりした気分にもなる。
それなりに「整う」ことの気持ちよさも味わった。
しかし、「整う」は別にしても、その効能の多くは家のお風呂に入浴剤を入れて浸かるだけでも、かなり近似的なものが得られる。
そして、家のお風呂のほうが、サウナより疲れない。
これは、家からの移動が省かれるということもあるだろうが、やはり、先述したような極限状態に身を置くことによる疲労があるのだと思う。
もし仮に、「サウナは疲れるだけで、健康にはあまりメリットが無い」という命題が正しいとするならば、人々がサウナに向かう理由は何なのだろうか。
それは、「サウナに入るため」である。
説明する。
これは例えば、スターバックスに行くのと似ている。
コーヒーを飲むのは、カフェインを接種し、眠気を覚ましたり、集中力を高めるためである(健康に良いという話もある)。
しかし、市販されているインスタントコーヒーでも、これらの効能は達成される。
では、味の面ではどうか?
確かに、スタバはインスタントよりも美味しいかもしれない。
しかし、わざわざ頻繁に店舗まで足を運び、一杯あたり何十倍の値段を払うほど、その味には差異があるだろうか。
コーヒーに並々ならぬこだわりを持っている人であれば、それほどの差があると言うかもしれない。
しかし、それほどのこだわりがあるなら、そもそもチェーン店でコーヒーを買わないのではないか。
これはよく言われていることだが、スタバに行く人は、コーヒーにお金を払っているわけではない。
スターバックスの店舗という空間を利用することに対してお金を払っているのだ。
「スタバに行くと意識が高くなるのではなく、そもそも意識の高い人がスタバに行っているのだ。」
冒頭の一文をもじるなら、このように言える。
スタバに行く人の目的は、「スタバに行くこと」すなわち、スタバという空間に身を置き、そこで何がしか、そこでしかできないと感じる行為を行うことなのである。
サウナも同じなのではないか。
サウナとは、サウナと言う名の非日常を感じるために通うものなのではないだろうか。
上述したような、極限的な環境。
銭湯という独特な空間とそこに漂う雰囲気。
スマホから開放され、ぼーっとする数時間。
日常のあれこれから開放され、全く異なる刺激を与えてくれるこれらの要素こそが、サウナに人々を押し込めている原動力なのではないか。
健康になりたいのなら、素直に運動し、身体に良いものを少しだけ食べるようにすれば良い。
汗をかいた分だけ体重が減って、それを嬉しがるのは、自己欺瞞でしかない。
そんなことは、本当に健康志向の人間にとっては明白であるはずだ。
普段の生活をいっとき忘れ、違うモードに入らせてくれる装置。
そのような枠組みで、ある種のアトラクションとして親しまれているのが、現代のサウナの実像なのではないだろうか。
しかし、一方では、死亡事故なども報告され、その健康効果を疑問視する目もある。
健康に良いという建前の下、その実、一時的な快楽を求めて行っている行為の裏に、思わぬリスクが存在する。
このような自己欺瞞と資本主義による搾取が手を組んでいる例は他にもあるのではないだろうか。
自分が何にお金を払っているのか。
その行為に自己欺瞞は紛れ込んでいないか。
その自己欺瞞に対して資本家が手を伸ばしてきてはいないか。
何かお金のかかることが自分の習慣になったとき、そのあたりを「整えて」考えていきたい。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!