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10才の私が涙を流したピアノ曲:ジムノペディ第一番/エリック・サティ

作曲家も曲名も聞いたことが無いマイナーなピアノ曲。だけど人生で一度は聞いたことがあるだろう。
このピアノ曲を生み出したフランスの作曲家エリック・サティ。「自己主張しない音楽」BGMの概念を生み出したクラシック界の異端児。

私はサティについてはやけに詳しい。
中学生の頃、中二病を発症した私は自分はエリック・サティの生まれ変わりだと思い込んでしまい、中学生ながらサティの展覧会に足を運んだり、近所の大きな図書館でサティのCDを聞き、彼についての専門書みたいな書籍を読み漁っては、ありもしない前世の記憶を辿っていた。
そのせいでピアノすらろくに弾けないくせに、なぜか20世紀初頭のベル・エポックなフランス音楽の背景についてやけに詳しいコミュニケーション不健全なオタク中学生が出来上がってしまった。
ただ悲しいことにそんな話をしたくても、友達どころか、ピアノを習っているクラスメイトや学校の音楽の先生すら話が合わない。
そりゃ、そうだよね。

サティについて誰も分かち合う事が出来なかった自分。
なのでピアノを習ってなかったくせにサティの楽譜を買って、昼休みや放課後で一人、両手でたどたどしくジムノペディを弾こうとしていた。

やはり新海さんのアニメーションは初期であっても美しい。ここまでジムノペディが似合う映像は他には無いだろう。
私も大学生の頃この映像に触発されて、サークルでジムノペディをBGMにした映像詩なるものを撮影編集してたくらいに、新海さんのアニメーションはいつも心に残ってしまう。

このピアノ曲を初めて聞いた時は10才の頃。
ふとTVCMを見た時にエリック・サティのピアノ曲「ジムノペディ」がBGMとして流れていた。
シンプルにして繊細で神秘的な曲。
その時、私はまだ10才で小5の男の子。
だけどジムノペディを聞いて、私は一人、涙を流していた。


幼い時に作られていた空虚感。
その心の底に響く音楽だった。

それ以降、私は空虚感に満たされた心に気に入った音楽を流し込んで、何とか埋めようとした。
心が擦り減っていく時も、すがる様に。
今、私が生きている理由の一つに、そういった音楽を聞き続けたからだと思う。


この心の空虚感とやらもいつか書こう。
心の準備がいるから、いつになるかは分からないけども。

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