毎日コラムを書くことも僕にとっては認知行動療法だった

気付けば毎日note更新を再開して100日超えてました。
今回の連載はちゃんと中身のある記事での更新を目標にしていて、それを実行できているので感触いいです。

元々僕はちゃんとした人間では全くありません(というか今でもそう)。
仕事上自分で宣言した達成目標ぜんぜん守らないし、それどころかその目標は宣言"させられてる"目標だから別に自分から言い出したこと自分で守れないことにはならないとか都合良く解釈して、目標を自然消滅させたりしてました。
他にも、法律は自然科学に基づく決め事じゃないから守らなくてもいいとか(守ってるフリはするけどね)、
ミサイルでJアラート炎上報道がウザすぎて北朝鮮にミサイル撃ち滅ぼしてぇとか、
国会議事堂にいっそミサイル着弾しろとか、
現代日本の停滞に対する解は破滅によるグレートリセットしかないとか、
そういうことを割とホンキで思ってるような人間です。

それで別に自分のことを危険思想の持ち主だとかって自分で責めたりは一切しないんですが(だって内心の自由は憲法で保障されてますからね)、責める責めないは抜きにして、危険思想という自覚はあるし、少なくとも"ちゃんとしてる"人間ではない気がしています。


そういう認知は、まず変わりません。


変えたいと強く思ったってホントに難しいです。
なぜなら、それは人生の長い時間を使って積み上げてきた自分だからです。
それを変えたいなんて大それた願望は、同じだけの人生の時間を使う長期的な努力と覚悟が必要ですし、その覚悟がないならそれこそ死んでグレートリセットするのが一番手っ取り早いです。

ここで、変わらないものをムリに変えようとするのではなく、変えやすいところから着手するのが認知行動療法です。
すなわち、認知は変えづらいので、それよりは変えやすい"行動"を変えることで、それを介して認知へ間接的に影響を与えようという試みです。

"僕はちゃんとした人間ではない"と認知している。
これに対して、まるでちゃんとした人間であるかのような行動の習慣化を試みる。
その一例が、"自分で決めた約束事をしっかり守る"ことであり、毎日短くてもいいからコラムを書くという目標。

これを100日続けられたという"事実"を前にした今、
「もしかしたらオレって自分では自分のことちゃんとしてない人間と思ってたけど意外とちゃんとやれるのかも」
と、ちょっとだけ思えています。

だから、僕にとって毎日note更新は認知行動療法です。
そうだったことに気付きました。
復職して忙しくなってもまだしばらく続けよう。


頂いたサポートは、僕のプロテイン代となり、文字通り血となり肉となります。 そうやってエネルギーを充足させられれば、きっとよりよい連載が続けられる気がします。