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032_GROUND ZERO「Last Concert」

「2階の。ええと、225室、この部屋か」

山岡さんはマンションの区画表を睨むような鋭い目つきで見つめている。山岡さんの判断というか、それに伴う動物的な嗅覚はとらえるのがいつも早い。さながら獲物を追っている警察犬みたいだ。さらに、手早さだけでなく、確実に詰み手を指してくる将棋の名人みたいに常に要所を絶対に外さない。鈍臭くて要領の悪い自分などは山岡さんの思考と行動の速さに全然追いついていかない。

「そうです」

僕はそう答えるのがやっとだ。うう。早く今回の案件終わらないかな。自分はこういう現場が絡む個別案件は苦手なんだよな。現場はやっぱり生々しいというか、もうちょっとやっぱり本部のデータで案件の進捗の眺めているくらいで自分はちょうどいいのに。パソコンで案件をプロダクト化としてまとめている方が仕事として合っている気がする。

だが、こんなこと口にでも出そうものなら、大目玉だ。現場も見ておかないと大事だ、などといつも上からどやされる羽目になる。それはまあその通りだ。何より、自分の判断が本当に正しかったのか、やっぱり案件ごとそれぞれ現場も見ておかないと自分でも腹落ちはしない。

現場を見ていないキャリアが上で書類まとめてホチキスしただけ、などと揶揄されるのは避けるべきだ。こういう時、現場には慣れてくれているいわゆる手練れの捜査員、まさに山岡さんみたいな人と一緒に出張ってみるのがいい。それが、一応これまで何件かは、現場回ったの上で得た自分の教訓だ。

操作は迅速に、手早く。マンションの大家には、とりあえずこういう者だから、と手早く捜査令状を見せなければいけない。そこはキャリアとはいえ、一応若手の自分がやっておく。書類関係の手筈や細部のロジを整える必要がある。山岡さんがマンションの構造や出入り口を舐めるように調べている間に、自分はバッグからクリアファイルにクリップでまとめて令状の束を取り出して、車中でボールペンとマーカーペンを片手に睨めっこする。

今回の案件の令状番号は、「東検支総第258号」、発行日付は間違いなく令和3年5月20日付で今日だ。間違いない。よし、キャリアの自分がペーパーワークなどを間違えるわけにはいかない。一応そういう気概を持って現場にはあたれと、何個か上の年次の先輩方はおっしゃるものだ。

今回はこの高橋憲一なる人物が、第3国への高級車密輸に関わっているということで、居住するマンションの部屋に踏み込むこととなった。しかも、今回本庁から総務部を通さず、直でうちの管轄に落ちてきた案件。ミスるわけにはいかない。いや山岡さんとかベテランなどは案件の大小やマル政などは関係なく失敗があってはいけない、と断ずるだろう。部屋に入れば、本名、本籍地、生年月日など本人たる人定事項が令状の記載通りであるのか、素早く本人から確認せねばならない。手順は頭の中で何度も繰り返す。

「着いたぞ」

1、2、と呼吸してから、「高橋さーん、入りますよ」と山岡さんと自分が手早く鍵を開けて部屋に踏み込む。真っ暗だ。暗い部屋の中でパソコンの電源だけが煌々と我々の顔を照らしている。部屋の電気を手早く山岡さんが点けるが、テーブルとパソコン、あとはペットボトルとカップ麺の他は何もない殺風景な部屋だ。無論、人の気配などない。

「あー、出てったあとか。マジーな、しくった」

「そうすね」

山岡さんが一応念のため、奥の部屋も見てくると言って出ていった。部屋に残された僕はまず電源が点けっぱなしとなってるいるパソコンの前にしゃがみ込み、マウスを動かした。何か、高橋の痕跡は残っていないか。

高橋のパソコンはログインパスワードなども入れる必要もなく、そのまま奴がこの部屋に最後にいる間に操作していただろう画面を映しただした。文章が残っている。彼が書き綴っていたブログなどだろうか?いや、どうやら、これはAMOZONのユーザーズレビューだ。自分は投稿したことはないが、どうやら、自分のお気にりのアーティストのCDのレビューでも打ち込んでいたのだろう。しかし、文面は途中で終わっているようだ。

僕らリスナーは誰しも音楽を聴く時にジャンルごとにひとつの自分の中の指標を
持ってるものではないかと思います。どういうことかというと、つまりジャンルごとに自分のお気に入りのアーティストを一番の基準にして他のアーティストを評価してるんじゃないかと。それでたまに他のを聴き疲れてそのアーティストの音に帰ってくる。
「なんだかんだで俺はやっぱこれ聞くと落ち着くんだよね」そんなアーティストがいるんじゃないでしょうか。僕はこれを「着地点」みたいにとらえてます。音楽という巨大な球形の無重力空間に放り出されて、いろんなところを彷徨ってぶつかっていろんな音を吸収する。でもやっぱ真空中は物体は抵抗がない分、無重力空間を進みっぱなしになってしまうのでどこかにぶつかる。とりあえずそのあたりの(ジャンルの)どこかに「着地」せねばならない。だから僕らは「着地点」が無いと疲れちゃって息がゼーゼーになるんです。
でもこのバンドの音楽は絶対「着地点」になりえないんです。大友良英率いるフリージャズ・バンド、GROUND ZERO。メンバーは内橋和久、松原幸子、菊地成孔、田中悠美子、ナスノミツル、植村昌弘、芳垣安洋、さらに益子樹。わかりますよね、このメンツならフリージャズ、ダンスミュージック、歌謡曲、ノイズ、アンビエント、雅楽、伝統音楽、トライバル、ミニマリズム、ポリリズムまさにあらゆる方向からの多重多面攻撃だ。これはその解散コンサートの録音です。特に2曲目ですね。ダブルドラムの音塊とノイズの狂乱と琴の響き。そこからぽっかり顔を出したのは「見上げてごらん 夜の星を」笑いましたよ。ええ。もう坂本九さんの遺族の方にどんな顔をしていいか分かりません。
なんていうか無重力空間で気分良く漂っていたのに、後ろから投げっぱなしジャーマンをされた感じです、ほんとに投げっぱなし。投げっぱなしされてどこ行っても壁に跳ね返ってきて結局もとの位置に戻っちゃったみたいな気分です。だからホントに「着地点」になりえない。でも僕はこの音を初めて聞いた衝撃を投げっぱなしされた衝撃を一生忘れないでしょう。だが本当は、

ユーザーズレビューの文面はそこで終わっている。パソコンのデバイスには、真っ白いCDが入っていた。たぶん、これを聞きながらレビューを書いていたのだろう。捜査の手が迫っているかという今際の際にでも、物好きなことをするものだ。しかし、どうしてもレビューを書きたかったのだろうか。「だが本当は、」の後に、何を書こうとしたのだろう。だがせっかくなので、俺はご丁寧に「投稿」をクリックしてやった。


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