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035_パソコン音楽クラブ「Night flow」

僕は誰もいない朝の公園でひとり佇んでいる。

こんな朝早くに公園にいる人間などちらほらしかいない。ベビーカーで子供連れの若い母親、ベンチで頭をうなだれているホームレスっぽい身なりの年配の男性。車通りのないところにある公園だから、幾分静かなもんだ。
僕の住んでいるマンションは5階で、目の前には、巨大な高速道路が横たわっている。どうしても、朝は通勤やら流通やらで車が高速で行き交いひどい騒音で否応なく起こされてしまう。排気ガスも立ち込めるので、爽やかな朝とは対極にあるようなものだ。どちらかと言えば、僕は朝は木漏れ日と心地よい鳥のさえずりで起こされたいのだ。

明らかに、住まい選びに失敗したようだ。しまった、まあ一応半年くらいは住んで、どうしても我慢ならなかったら、引き払ってしまおう。いっそのこと、会社の近くに引っ越すというのもアリだ。通勤時間を減らすことによって、自己投資にもなり自分のレベルアップにつながるらしい。「自分の時間単価というものに敏感になれ」と昨日アキラに言われたのを思い出した。
時間単価。人的資本。コストパフォーマンス。同僚のアキラの口から飛び出すワードはなんとも、すばしっこくて捉えどころがなくて、自分にとってこそばゆい。たぶん彼が最近、はまっているというYouTubeの自己成長をテーマにしたチャンネルの影響なんだろう。
アキラと話していると、小学校の図書館で、僕が静かに読書しているところを、誰かに後ろに立たれてずっと見られているような、妙な感覚に陥る。どちらかと言うと、僕はそっとしておいて欲しいのだ。僕は僕で、今もこうやって、朝のかけがえのない大切な時間を過ごしているのだから。
僕は休日の朝、こんな風に公園に佇んで、なんにもしない時間を過ごしてたり、ただ1時間か2時間くらい家の周りを散歩する。アキラには、それがあまり理解できないらしい。
「朝はさ、人間にとって一番頭がスッキリしてすごく生産的な時間なんだ。だから、そこでスキルアップのために勉強したり、本を読んだりした方がいいんだ。ほら若いスタートアップの経営者の中では、朝早くの交流会とかミーティングみたいなものもやってるんだよ。そうだよ、もっと朝を有効に使わなきゃ」アキラが熱っぽく語る。
「うーん、自分は低血圧だからかな、あまり、朝ビシッと行動したりするの向いてないんだよな。朝はゆったりしていたいっていうか。まだ寝てる途中みたいなとこあるからさ」

「えー、もったいないよ、それじゃあ。大輔も朝活しなきゃ。成功している人は、みんな朝活してるんだ。朝の時間をうまく使えば、これからの人生、生まれ変われるよ」

朝活。確かに自分にとって、朝は大切な時間だ。誰にとっても大切だろうけど、確かに朝に僕の人生は生まれ変わったのだ。

僕は昔、「ずっと世界がこのまま真夜中だったらいいのに」と思っていたことを思い出した。陽の光を浴びる人たちがみな眩しくて見ていられないから、いっそのこと、この夜の闇に皆紛れてすべて見えなくなって、夜の帷の奥にでもしまわれてしまえ、そのために成層圏に超巨大な開閉式のカーテンでもつけたらいい、などとぼんやりとした頭で夢か現かそんなことを本気で思っていたのだ。
当時、友達と些細なことで仲違いしてしまった僕は、次第に学校に行かなくなり、留年が決まって半年くらいの間、家のアパートに引きこもって、不条理なSF小説やネットの掲示板ばかりを読んでいた。深夜まで起きていて、昼夜逆転した生活を送っていた僕は、そんな子供じみた荒唐無稽な考えを頭に巡らせていた。明らかに、軽い鬱の兆候があったのだろう。

そんな僕を外に引っ張り出してくれたのが、姉の智絵の存在だった。母子家庭で育った僕ら二人は、子供の頃、母親が仕事で家にいない夜は、ずっと二人一緒だった。社会人になりたてだった姉は、引きこもりがちだった僕のことをひどく心配して、わざわざ会社の近くに借りていた住居を引き払い、僕の近くのアパートに引っ越してきてくれた。自分の朝の通勤時間が倍になることも厭わずに。

「大ちゃん。いい、とりあえず朝は必ず外に出なさい。陽の光を必ず浴びるの。わかった?朝の光を浴びれば、なんでも解決するわ」
そんなわけないだろう。

姉は2、3日に一回、こうやって出勤前に僕の家に寄って、様子を見るようになった。(会社に通勤する時間も加味すれば、姉は6時前くらいに起きていたのだろう。姉の話では、夜もそんなに早く帰れる会社ではなかったようだから、そんな朝早く起きるのは大変だったはずだ)

僕がまだ寝ていると、無理矢理にでもカーテンを開けて、朝の光を部屋に入れる。部屋のホコリが舞って、朝の光に照らされてキラキラしているのをしばらく眺めては、鬱陶しそうに僕は姉の顔を見上げる。昨晩も遅くまで、ネットの掲示板をあさっていたのだ。

風呂も満足に入らず、無精髭を伸ばした僕とは対照的に、姉の身なりは清潔なベージュのパンツスーツでピシッとしていて、見ていて清々しくなる。さわかやかな姉に比べて、自分のダメさ加減が身に染みてくる。姉がテーブルの上のペットボトルやゴミをしゃがんで片付けはじめる。姉のパンツの上から綺麗なお尻のラインがくっきりとわかる。僕はバツが悪くて、そこから目を逸らすように、眠そうなフリをして目尻を抑える仕草をする。

「人間、朝が大事なのよ」
「そうかな。もう俺はずっと、夜でいいよ」
「ダメダメ、そんなの。人はね、一日、一日、生まれ変わるの。そう、朝にね」
じゃあ、夜になるたびに、人は皆死んでるってことか?そう、姉にツッコミを入れたかったけれど、そんな気分にもなれず、僕はボサボサの頭を掻いた。

どこかの国の神話では、夜になって日が落ちるとともに人は皆必ず死に、日が昇って来ると同時に全ての人間が生き返るという。ぼんやりとした睡眠不足の僕の頭の中でそんな話が浮かんでは消えた。仕方ないので、俺もテーブルの片付けを手伝う。自分は姉の貴重な朝の時間を奪っているのだという、自覚はあった。

「ほら、お母さん、いっつもどうしても仕事で夜遅かったじゃない?」

片付けが終わった後、姉がまだ湯気が沸き立つ若干熱めのブラックコーヒーを差し出しながら、言う。

「ああ、そうだったね」

「だから、このままお母さんが帰って来なかったらどうしよう、って。大ちゃんまだ小さかったからさ。小学生の私がしっかりしなきゃって、て思ってて。ただ、夜がどうしても怖くて、怖くて仕方なかったの。お母さんいなくて、私も大ちゃん抱えてて、ホントすごく怖かったの」

「ふーん」なんとなしに聞いているフリをして、熱っと舌打ちながらコーヒーをすする。隙を見て、僕は姉の顔の表情の機微を伺う。聡明な姉が、こんなことを話し出したことは今までなかった。どうしたんだろう、やっぱり自分が心配をかけ過ぎてしまったせいかな。こんな優しい姉にここまで心配させるなんて。まったく本当に自分が情けなくなってきた。

「でもね、夜が明けて、朝が来ると、違うの。もうそこで世界が新しくなった気がするのね。自分も生まれ変わった気がするっていうか。うん、ホント、なんでだろうね」

「さあ、なんでだろうね。でも、なんかわかる気がするよ」

姉は結局、そこから2、3ヶ月の間、そんな感じで朝自分のアパートに様子を見に来てくれた。そこで自分もいい加減なんとかしなきゃという心持ちになり、そこから無理にでも朝9時の1コマ目に必修の授業を入れるようにした。朝起きたら、なるべく公園で姉と一緒に過ごしたり、散歩するようになった。そして、なんとか無事に大学を卒業し、今はエンジニアとしてこの会社でアキラと一緒に働いている。

そんな姉も来月、結婚する。

そうだ、僕はちゃんと朝、生まれ変わることができた。姉のおかげで。

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