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*5 決断力

 シェフが私に、あと二十分と経ったらクラップフェンの発酵も十分だから、ラックワゴンごと工房から外へ、―外と言っても建物内の屋外と気温の然程変わらない通称“中庭Hof”と呼ばれる場所の事であるが―、運んでおくようにと指示を出して来た。私は分かりましたと言って時計を見た。時刻は朝の四時二十分であった。それなら四十分になったら生地の様子を確認して外へ運ぼうと計画を立てた私は、そうしてからまず手元にあった作業に取り掛かった。
 
 少ししてシェフがまた工房に戻って来た。かと思うと、さっきの指示をルーカスにしているのを見た。私は時計を見上げた。四時三十分を少し回ったくらいな時刻であった。その時私の中に何とも釈然としない感じが生まれた。生地の発酵というものはなかなか時間基準で定義するのが難しい事は無論私も存じているところであるから、二十分と聞いていたが十分そこらでもう外へ運び出す必要があった可能性も大いにあった事と思うが、それにしたってこう別の人間へ依頼が移行したのを目の当たりにした時、ひょっとすると私が指示をすっかり忘れてクラップフェンをそっちのけで別の作業に当たっていた様な評価になったんじゃないかという心配で靄々もやもやとした。実際のシェフの思惑など無論知る由も無いから変に気を揉むだけ損なのであるが、仮に指示通りの時間を注意していた私が指示を忘れていたならず者と判断されていたとした場合、時計も見ずただ気のはやるままに指示した時刻よりも早くワゴンに手を掛けたシェフが正しいとされるのであれば矢ッ張り釈然としなかった。まあこんな小呆気ちっぽけな事を積極的に掻い摘んで蛆々うじうじ考えてしまうあたり、気付かぬ疲労の蓄積があったのだろう。その日の晩から翌日に掛けてとても生きた心地のしない時間をぐったり過ごした。
 
 
 二月から工房の一員に加わる予定のトミーが工房に姿を現したのは火曜日の事であった。所謂下見の様に一日だけ働きに来た彼は、私が工房に入り挨拶をすると随分上の方から手を伸ばして来て握手を求めて来た。昨年十月に開かれたベッカライ・クラインの会食の時に既に顔見知りではあったのであるが、いざ改めてこうして目の前に姿を見ると俄然大きかった。私の身長は一七八センチある。日本に一時帰国し、空港の入国手続きの列に並んでいた時、周りの人間の頭を殆ど見下ろしている事に我ながら大変驚いたのも記憶に新しいが、工房の内を見渡せばアンドレよりも見習い生のマリオよりも私は小さかった。十五歳のマリオは一八〇センチとあるし、アンドレも一九〇は優にある。そこへ来てこのトミーと言う男は二メートルは軽く超えたくらいな所から私を見下ろした。見下ろされた私の体感で言えば、握手を求めて振り下ろされた大きい手と、頭に巻かれた黒のバンダナとで、こうも一つの人間の体の内で激しい遠近感が出されるものかと内心唖然とした。

 トミーも製パンマイスターである。然し経歴で言えば私よりもずっとかさんでいた。元々職業訓練はこのベッカライ・クラインでやったらしかったが、それから彼方此方あちこちと渡り歩く中で、しくも私が以前に住んでいたミュンヘンでマイスターを取得したんだと言ったから、ミュンヘンの懐かしい駅名や場所の説明なんかもしながら、そうしてまた私がドイツに来た経緯だのマイスター試験の話だのについて物珍しがっていて来たから、久し振りに八年前の心情を思い出して説明したりした。その体付きに恥じぬ大変堂々とした振る舞いをする男であった。卑怯姑息にどうしても抵抗のある私は、例えこの男がマイスターと言う点において優位性を私に見せ付け時に馬鹿にして来ようが、反対に経歴の割に仕事が粗雑であろうが、正々堂々とした言動がある内はそれだけで上手くやっていけそうだと安心した。これで愈々いよいよ工房の内に大男がいくつもいる訳であるが、本来トミーの来る頃には完成している予定であった新しい工房の工事は滞っているらしく、二月の末には、という話である。さらに遡れば昨年中に完成している筈だったというのもあってか、シルビアもアンドレも口を揃えて、きっと完成は夏を過ぎるだろうから君は新工房で働けないかもしれないな、と揶揄して私に言ってきた。それはそうと来週から今の工房にこう何人も大男が並んで働くとなると随分狭かろうと言う予見が働いて、それでマリオと笑った。
 
 
 そんな今週になってシェフの口から漸く今年の有給休暇についての言葉が私に掛けられた。実を言うともう二週間も前から私は、昨年末に各自提出した休暇希望の調整はどうなっているんでしょうかと若チーフのマリアに質問していた。昨年の同時期を思い返すと、皆でカレンダーを囲んで座るなりシェフを中心に休暇希望の時期が被ったりしていないか調整していたというのがあったから、今年も同様、まあ遅くとも一月の二週目迄には行われるものと思っていたが、それが誰の口からも聞かれなかったからマリアに直接聞いた訳である。それが来週の月曜日にようやく行われる運びとなって、私は腹の内で思う事はありながらも一安心した。それに先立ってシェフは今週、私が三月に希望した一週間の休暇を確約してくれた。私の場合その三月の休暇が機掛きっかけでマリアに会議はまだかと催促していたわけであるが、日本への本帰国を決めた一月初旬の私はドイツにいる間の遣り残しが無い様にと彼是あれこれ考えた末にパンの歴史を遡る旅、或いはパンの聖地巡礼とでも言えよう旅行を企てていたのである。然し休暇が決まらないんじゃ予約するにも難しかったから下手したての方からマリアにずっといていたのであるが、ようやく今週定まって、それで飛行機の予約を週末に愈々いよいよ敢行した。初旬に見た時よりも矢張り値が上がってしまっていたが、聖地巡礼を胸に浮かべ昂っておきながら、それを実行せずに帰国するという事の方が私にとって罪の様に思われたから思い切った。何時でも大金を動かす時には胸の内が張り詰めて具合が悪くなるが、これにも慣れていかねば生きて行けまいとも考える次第である。
 
 
 さて今週はパンを二つ焼いた。厳密に言えば焼いたのと揚げたのである。焼いた方はプレッツェルだったから、この時にまたラオゲ水※1溶液を拵えた。以前何時だったかにもプレッツェルを焼いて以来そのままにしてあった水溶液が、いつの間にか水分が蒸発し白い劇薬の粉末のみがタッパーに残っていたからそれを一度片して新たに作った。これもまたなかなか消費に時間を費やしそうであるがもう少し使ってやりたい所である。

 綺麗に焼き上がった。硬い生地も良く捏ね上がった。成形に関しては目を瞑っても出来るくらいであるが、プレッツェルほど硬い生地を捏ねる事は殆ど無いから注意深く捏ね上がりを確かめた。

 土曜日にはクラップフ※2ェンを揚げた。家でやるには油の匂いだの何だのと懸念があって渋く足を踏んでいたのであるがこの日は思い切った。然しいざやってみると大変上手くいった。揚げる油が手元に少なかったのこそ誤算であったが、その他は概ね順調にいった。この日は仕事でも沢山クラップフェンを揚げた後であったから嫌になりそうと思うかもしれないが、案外パンばかり見て食べていても平気な身体である。この日も結局職場で二つ、自分で焼いて二つと食べたんだから、まあ喩え口が平気でも油の大量摂取に当たっている事は考えねばなるまい。それでも揚げたてのクラップフェンは悪魔の食べ物であるからどうしたって制御が効かない。おまけに自分で作ったものとなれば愛着も生まれるんだから仕様が無い。兎に角この日の達成感は大変なものであった。

 働きながら、パンを焼きながら、今後の準備を始めながら時間の経過が遅い様に感じていた一月も末である。それでもまだ火曜日まで一月である。初旬に企てた聖地巡礼の予約も済ませたが、同じく計画していた学費としての借入金の返済も済ませた。そちらも殆ど一度に返済したから大きな出費であった。矢ッ張り大金を動かす時には胸の内が逆上のぼせて具合が悪くなるが、これにも慣れていかねば生きて行けまいとも考える次第である。そしてそれは決断力を育むと言う事とも同じであり、今年の私の課題である。
 
 


 
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
※パン作りの様子などはYouTubeでご覧になれます。
 


(※1)ラオゲ水溶液Natronlauge:アルカリ性の水溶液。水酸化ナトリウム、苛性ソーダ。劇薬。
(※2)クラップフェンKrapfen:別名ベルリナー。ドイツのジャム入り揚げパン。

  
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