見出し画像

*33 手は離れるも天は晴れ

 先週の金曜日の事である。掃除を進める終業間際の工房に一人見知らぬ男の訪問があった。見知らぬ、と言うのは私の主観であっただけでシェフとは面識のあったらしいその男は一通りシェフに連れられて工房をぐるり回ると、それから休憩室に入って行ってしばらく出て来なかった。
 
 掃除も粗方に片付いた頃、男とシェフがようやく談合を済ませ休憩室から戻って来たかと思うと、おもむろに私の元に近付いて来て話し掛けて来た。名をスコープと言った。聞けば彼はミュンヘンのパン職人協会の人間でミュンヘンのマイスター学校に身を置いているんだと言った。そんな彼の方で私に何の用事かと思えば、「来週、日本から二十人ほどの製菓学生がミュンヘンに来るんだ。私達のマイスター学校で特別授業をするんだが、どうだろう君、オンラインで授業に参加して、日本語でドイツの話なんかをしていただけはしないだろうか」という話であった。私が「構いません、喜んで」と言って気軽に二つ返事で引き受けたそれが、今週の金曜日に行われた。
 
 
 仕事中にスコープからの電話があり、午後一時からで宜しく頼むと言われた私は、残った作業を大急ぎで片付け飛ぶように部屋に戻ると、何とか時間通りに珈琲片手パソコンの前に座った。
 
 画面の向こうには教室が映っていた。休憩を終えた学生がちらほら教室に戻って来るのが見えた。一通り教室が埋まると、ドイツ人講師の方から自己紹介を促されて私の出番が始まった。自己紹介をし始めたは良いが、台本も無ければ打ち合わせも無い突如与えられた三十分のフリートークである。さてどうしたものかと喋りながら考える。話し始めてはこんな話は不要かな、などと手探りである。教室に私がどう映されていたかは分からぬが、私の方から見た教室では大人しく話を聞いてくれている二十人の姿があるから、話が下手で悪いなあと思いながらも、まあ自分にはこんな風にしか喋られないから仕方が無いなあと開き直って三十分を遣り切った。
 
 評判は知らぬ。少なくとも日本の製菓学生が思い浮かべるドイツ在住製パンマイスターの威厳は無かった事だろう。厳格な喋り方を習って来なかった私は真面目に喋っている積でもひょっとするとフランクが過ぎていて誰かの腹底では顰蹙ひんしゅくも買っていた事と思うが、まあそれは私がどうこう出来る問題ではないから脇に置いておくにしても、私にとっても貴重な経験になった事は確かである。こんないい加減なマイスターもいるもんだなあと思った者が在ったとして、それも立派な見識の広がりであるから、まあそれぐらいの役に立っていれば御の字である。

 授業を終えた後、スコープからまた電話が掛かって来た。私が授業中に日本語で喋っていた事の概要をドイツ語で教えてくれないだろうか、という事であった。彼と電話越し話している中で彼の方から、ベッカライ・クラインには何時までいる予定なんですかという質問があったから「良い質問ですね」と一つ笑って「実はもう間も無く辞めて日本へ帰るんです」と伝えると少々驚いた様子であった。それでもまた少し話した後に「何かあれば何時でも連絡して下さい。日本に居ても連絡はつくでしょう」と言ってくれた。
 
 もうすぐドイツから帰るという時になって、ミュンヘンのパン職人協会の人間と知り合って、そこから日本人の学生の前で喋る機会が舞い込んで来るんだから全く不思議な縁である。
 
 
 私の帰国が日に日に近付く。それに伴って別れも徐々に現れ始めた。
 
 ベッカライ・クラインでパートとして働いているダイアナは本店の調理場で働いているから、先週末の職場の集まりで最後になったものかと思っていたが、今週に限って彼女は工房に来ては製菓部門を手伝っていた。週末にシェフの娘の結婚式が控えていて、その為のケーキや菓子を作るんだと言っていた。彼女が趣味で美しいケーキを作っているのを知っていた私は、なるほど君に白羽の矢が立ったんだねと直ぐに納得した。
 
 そんな彼女の仕事は木曜日までであったから、最後帰り際に握手とハグを交わした。ポーランド人の彼女もドイツ語が拙いから、御互い牙骨ぎこちない言葉ながら先の幸福を願い合った。これで有給休暇に入る彼女は家族と共にキャンピングカーでフランスやスペインへ行くと言うから「楽しんで」と言って背中を見送った。
 
 
 それから見習い生のマリオと働くのも今週の金曜日が最後の日であった。彼の方でも「ああ今作っているクロワッサンが僕達の最後のクロワッサンだ」「このナッツフィリングが最後だ」などと再三言っていたが、その顔はいつもの冗談を言う時の表情で、私達は至って通常通りに働いた。
 
 私が初めてベッカライ・クラインで働いた二年前の八月、当時まだ職業訓練を始める前だったマリオは基礎学校の夏季休暇に合わせて一週間の職業体験に来ていた。そこで初めて見た彼の背丈は私の胸くらい迄で、まさに少年と言ったところであったが今や私よりも背が高い。反対に彼の声はそう言えば随分低くなった。
 
 背は私より高く、それから私に対して生意気な冗談も言う様になったが、矢張りまだまだ危なっかしい少年である。それでもその危なっかしさも職業訓練を始めた頃に比べれば大分影を潜めて来た。大人に成り切る前の人間の成長をこうも間近で見たのは初めてであったから、人が立派になっていく過程の一端に立ち会えたのは大変新鮮であった。
 
 
 まさにスコープの要請でマイスター学校の授業に顔を出したその日、約束に間に合わせる為に大急ぎで仕事を終わらせると、最後にマリオと肩を組んで写真を撮った。私の腕が斜め上を向いて彼の肩に掛かった時、その身長差tと彼の成長を改めて体感した。

 更衣室で着替えていると、彼の方から「ちょっとした贈物プレゼント」と言って一つキーホルダーが差し出された。「お別れの品として」と彼は付け加えた。私は有難うと受け取ると一先ず財布の中にしまった。「これから実技試験があるだろうから、また写真を送ってくれよ」と言うと「勿論」と言った。私のパン職人人生において、後にも先にも彼が私の最初の見習い生である。
 
 着替えを済ませて駐車場に向かうと、迎えに来ていた彼の親の車が停まっていた。最後にマリオと握手をして見送ろうとすると、車から両親が「お別れの挨拶を」と言って降りて来た。父親とも母親とも握手を交わすと、母親の方から「本当に辛抱強く面倒を見て戴いて有難う御座いました。屹度きっと手を焼かせたと思います」と母親らしい感謝の言葉が紡がれた。私は「いえいえ、どういたしまして。彼をおよそ一年間見てきましたが、最初の頃に比べてとても成長しましたよ。随分立派になりました」と、工房の内で見て来た様子を一通り説明した。私の自覚はどうであれ、両親からすれば彼の直属のマイスターである。私の帰国の件も、この日がマリオと働く最後の日であった事も両親が知っていた事を考えれば、家庭での会話の中にも私の名前が上ったりしているのだろう。
 
 「またドイツに来る事があれば是非この町に顔を出しなさいね」とは彼の父親の言葉であった。私は「はい勿論です」と答え、「いずれにしてもマリオと連絡はこの先も取れますから」と言って両親の後ろに立つマリオを見るとどことなく得意げな顔に見えた。
 
 
 想像の上では、別れの瞬間はもっと胸の切なむものと思っていたが、ダイアナにしてもマリオにしてもこうも晴れやかで清々しいものとはこの日の雲一つない青空の如しであった。いざ目の前に別れが訪れると、やれ未来永劫もう会う事は無いだの何だのと言う曖昧な不安は姿をくらまし、その瞬間目の前にいる人と、その人と過ごした時間が輝き出し、一人になった私の未来、行く道を照らす光に形を変える様に思われた。前を向く。残す所一月である。
 

「素晴らしい同僚を見付けるのは難しく、手放すのは辛く、そして決して忘れる事は出来ない」



※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。

【創作大賞2023応募作品】

 

【各種SNS】

YouTube →リンク
instagram → リンク
Twitter→リンク


この度も「ドイツパン修行録」ならびに「頬杖ラヂオ」への訪問、ありがとうございました。もしよろしければサポートもよろしくお願い致します。 引き続きドイツパンに真摯に向き合って修行の道を精進して参りますので、何卒応援の程よろしくお願い申し上げます。また来てください!