*5 エンドとミインズ
アパートの主玄関から外へ出ると右手の暗闇の中から猫が急に目の前に現れた。真っ直ぐに立てられた尻尾の指す先には満月が浮かんでいた。過去の寅午もあって犬や猫といった動物に対する恐怖心を未だに拭えずにいる私は、その時もそうっと猫を刺戟せぬように脇を擦り抜けて、そうでなくとも普段よりも部屋を出るのが遅くなってしまっていたから早足で職場へ向かって歩き始めた。
真っ直ぐただ前を見ながらずんずん歩いて一〇〇メートルも行った頃、さっきの猫が私の横を颯爽と追い越して行ったので私は吃驚と肝を冷やした。猫は十メートルほど先で足を止めて素知らぬ顔をして自らの手だか足だかを舐めていた。直に私はまた追い付きそしてまた追い越した。
それから一〇〇メートルも歩いたであろう頃になってまた猫が私を追い抜いて駆けて行った。それで例の如く十数メートルも先で足を止めて何食わぬ顔をしていた。また驚かされた私は擦れ違い様に猫の顔を覗こうと思ったが、猫の方では目を合わせる積も無さそうであった。大体猫と言うのはこちらで物音を立てればくるりと振り向くなり、かっと開いた瞳で私の目に視線をぶつけて来るものと認識していた私にとってその猫の挙動は意外であった。
そうして結局私が職場へ着く迄の間で五回も六回も同じ事を繰り返した。猫は私の足元を寄り添うように歩くでも無く、また満月の夜の使者として私を先導するが如く前をゆくでも無く、歩く私を走って追い越しては先の方で私が過ぎるのを待ってそれでまた追い越して遊んでいた。それでいて私に対して得意げな顔をするでも、遊んで欲しそうな眼を向けるでもなく、全く素知らぬ顔で其方を向いているんだから要領を得なかった。何時しか私も猫を通り過ぎた後に気にして振り返るようになっていた。随分離れた先から眼を光らせて一生懸命に此方に走って来る姿も幾度か見た。普段の私にとっては冷汗を流す程に怖ろしい光景であった筈が、どうせ私を追い抜くだけなんだからとその頃には安心していた。
満月の夜に猫の不可解な行動に遭遇したのだから、これは何かを示唆しているに違いないと注意深くその日中、辺りを見ていたがなんだかそれらしい事は畢竟起こらなかった。無理矢理にでも意味を見出そうと頭を捻ってもみたが、月と猫で畏敬の文豪が思い起こされるばかりでその他には何にも思い浮かばなかった。
二年振りの一時帰国が目の前まで差し迫っていて部屋に暮らしていても何だか落ち着かないでいる。あれやこれやと忘れの無い様に準備をしようとするとかえって手抜かりを起こしてしまいそうで何でも手に付かなかった。試験に備えて勉学していた頃の気持ちを思い出した。
職場にいる見習い生のヨハンは私が日本に帰っている頃に修了試験を迎えるので近頃は専らそんな話をする。先週も、実技試験でパンを飾るのに必要だと言って、私がマイスター試験で飾りに使っていた雑貨を借りられるかと相談して来たので、私の手元にある籠やら箱やらの写真を送って彼が目星がった二つの籠を今週の月曜日に職場へ持って行ってやった。そうしてまた仕事中も実技試験のアイデアについて何だ彼だと議論した。実技試験に向けた工程表の作成も筆記試験に向けた学習もしなければならないと彼の方では手一杯の様相であった。それで私は私が彼の様に修了試験を控えていた四年前を思い出した。
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当時の私は今よりも当然製パン知識もドイツ語も未熟であったから、マイスター試験の時に勝るとも劣らない程の重圧を自らに課していた。勉強も工程表も仕事後部屋に籠って妥協無く日々せっせと取り組んだ。その傍ら職場でも終業後や、時に仕事中に時間を作って貰って実技試験の練習をさせて貰っていた。当時は必死であったから職場から受ける恩恵は全て受け取って試験合格を目指していた。然しその他の同僚からしたら仕事の人手を欠くわけであるから、言ってしまえば迷惑である。屡々邪魔者の様な目を向けられていた事もあったが、その都度私はへらへらといい加減な事を言っては笑ってあしらっていた。とは言えその実、周囲の視線に鬱圧を抱えずに済む筈も無く人知れず辟易としていた。
その職場のドイツ人達はこれまでに何人もの日本人を見て来ていたので、その扱いには比較的慣れている様な印象を私は持っていた。然しそんな中で年寄の同僚のシモンが「日本人は自分の事しか考えない」と私に漏らして来た事があった。私は彼の言わんとする事が解かるような気がしていた。実際その当時日本人の同僚の中でも亜種で異端であった為に村八分にされていた私は、日本人の持つ特性や思考や心理などを研究し解析しようと努めていた。私が追いやられた原因を、まるで他人事の様ではあるが究明しようと躍起だったのである。シモンの言う「自分の事しか考えない」という見解に、私は「自己防衛を拗らせた排他的平和主義」という意味を持たせて頷いていた。
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ところが今当時の実技試験の練習を思い返して、不図あの時の私の姿こそ即ち自分の事しか考えていない姿であったように思われた。私は練習しても練習しても一向に満足しなかった。不安は消えなかった。だから当時のクラスメートに練習の進捗を伺った時、大抵の者が「練習をさせて貰えない」と言うのを聞いて驚愕したどころか張り合いの無さに幻滅の念さえ過っていた。それでも余裕のある彼らを見て、私は外国人であるから必死にならなければならないが、母国人の彼らにとってはそれほど高い壁でも無いんだろうという答に無理繰り落ち着けた。
それが今、目の前にいるヨハンを見ていて当時の彼らの発言の真意が其処にあるように思われた。私が訓練していたパン屋は比較的大きい所であったのに対して、ベッカライ・クラインは小規模なパン屋である。仕事量と労働者の割合も限々であり、またシェフと労働者の距離も以前の職場に比べてずっと近かった。そんな中でヨハンが、「仕事時間を使って実技の練習をさせて欲しい」などと言う我儘はとても言えないという現実を当然のものとして受け入れている姿に、私は常識という現象の影を認め、当時の私の世間知らずで子供染みた自分勝手を思い知らされるようであった。かと言って態々反省するには古過ぎる話であるから、ただ社会常識というパズルの一欠片を見付けたぐらいに思ってその話はそれ限にした。当時の私にも目的があって方便を選んでいるんだからそれはそれで正義であって然るべきである。
来週に学校を控えたヨハンと、再来週から休暇に入る私とは、土曜日の仕事を最後に丸々一ヶ月顔を合わせる時が無いので、私は帰り際、彼の試験が上手くいく事を願って言葉を掛けた。私の言い回しが間違っていたんだか、彼の方で大変な試験の重圧に参っていたんだか、途端に彼は眉毛を落としなよなよとなって、それから力無い声で私の帰国が良いものになるようにとの言葉を掛けてくれた。それで彼と別れた私は職場を出た。いよいよ気温は三十度を上回り始めたこの日の空には雲一つ無かった。一週間後には日本へ向けて飛び立つのかと思うと自然と足が浮くのが分かった。前をゆく人々を追い抜くほど勢いよく駆けたい衝動が起こって、数日前の猫が思い起こされた。落ち着かない一週間を過ごしそうである。
部屋に帰ると木曜日に焼いておいたバンズでハンバーガーを作った。如何せん名立たるハンバーガーショップを置かない街に暮らす私であるから久しくハンバーガーを食べなかった。市販の照り焼きソースを珍しく買って、焼いたパテに絡めた。如何せん照り焼きバーガーを置かないドイツのハンバーガーショップであるから懐かしい味わいがあった。そうしてハンバーガーをむしゃむしゃ頬張りながら、空港のハンバーガーショップに財布を置き忘れ飛行機も金も面目も失った過去の大騒動を懐かしんだ。その寅午の影響か出発の日が近付くに連れ、今なお日に日に緊張していっている次第である。
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
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