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*38 グングニル

 昔あるロックバンドが歌の中で船を武器と表現していた事があった。その歌を私は好きであったが、ただその一節が妙に気になってむず痒かった。
 
 またある漫画では、船を古代兵器とする表現があった。漫画についてはほとんど無知らしい私は何とも言い難いが、ただ矢ッ張りその表現に違和感を感じずにいられなかった。
 
 これがどうしてかと自問自答すると恐らく、船とはあくまで乗り物であるという固定概念が私の中にあって、それと同時に武器や兵器とはあくまで銃刀の類を想像してしまうからその二つの狭間に橋が架からずにいたのだろうと推察出来る。しかし冷静に考えてみれば戦車という物を私は知っていたし、芋蔓式いもづるしきに戦艦も頭の中に浮かんで、嗚呼、武器と乗物があわさった例ならあるなと気付く。そう気付いた上で、冒頭に挙げた歌を聴き直してみても、そこで想起イメージされる船がどうにも戦艦らしからぬからまた議論は元に戻る。古代兵器の方も然りである。
 
 
 ところが先日、購入手続きを済ませた車が到頭とうとう私の元に届くと、乗り込んでエンジンを掛けた途端、不思議にもこれが武器らしく感ぜられた。荷物を十分に載せられる貨物車が、大凡おおよそ弾薬を積み込める戦車の如く思われた。冒頭に挙げた歌の中の人物の場合は宝探しの旅だか戦いだかに向けて地道にこつこつ作り上げた自前の記念すべき最初の武器としての船であるらしかったのに対して、私は旅にも戦いにも行く予定の無い内から車を武器らしく感じているんだからこれで作詞者の意図が分からぬと言えば嘘である。くして私は新しい武器を手に入れた。
 
 
 すっかり夏らしい気候になって来たが梅雨はまだである。天気予報に太陽がずらりと並ぶを見るは大変心持良いが、その隣に三十度と書かれた数字を見ると途端に疲れる。一昨年に一時帰国した時、私が日本に降り立った日に史上最速の梅雨明けだと報じられた。暑いのは勘弁だが、折角の一時帰国を雨の中で過ごす事はもっと御免被ると安堵した覚えがあるが、それが故に梅雨と呼ばれる季節を過ごすのも今年が九年振りとなりそうである。その梅雨の到来を待たずして気温が三十度を越えた事を周囲は嘆く。「すっかり夏ですね」と呑気な私の声に苦笑した後「今年はこれ、どうなっちゃうんだろうな」と不安げに訝しむ。梅雨を忘れた私は何の根拠もなく、このまま梅雨を迎えずに夏が始まったりしないだろうか、一日や二日大雨が降ってそれで梅雨を済ませるような天の気紛れもあるんじゃないだろうかと空想する。ドイツには梅雨が無い、という話も聞いた覚えがあるから尚梅雨の感じが思い起こされない。それでも例によって自然の景色や田圃たんぼの様子に梅雨らしい変化が訪れるんだろうと思うと、漠然と楽しみにも思われた。

 そうは言っても私が今肌で感じているのは長野の、さらには北信の気候と言う事に他ならない。今の気候をつらまえて山口と青森の気候を語るわけにはいかない。標準時子午線が通る明石の時刻を日本の時刻と定める事は出来ても、東京の気候を日本全国の気候として基に準させるわけにはいかない時、それすなわち各地方には各気候なりの特産品があって然る筈だと、立体感を持って事解する事が出来る。それで赤酸塊アカスグリの産地に長野県が代表される事を知った時、実に利己的な縁を感じずにいられなかった。
 
 私が過去最高風速の衝撃を受けたケーキ、と、世界最古のケーキ、とはどちらも同じリンツァートルテを指す。昨年五月にオーストリアはリンツを訪れた時、原本オリジナルとされるレシピでリンツァートルテを作っているというカフェに入って、在独八年目にして初めてそのケーキを食べたあの瞬間に感じた衝撃は未だに忘れられない。これは或る種のカルマがよりそうさせたものと見えて、過去八年のドイツ生活の中で幾度と無く耳にしたリンツァートルテを結局八年目にしてリンツで食べる迄、食わず嫌いに似た名の無い感情に支配され寧ろ避けて生きていた私の過去を戒めるが如くに味覚が覚醒していたのかも知れなかった。無論、ケーキの美味しさがあっての事である。
 
 それで一時、夢中になって作っていたリンツァートルテを今週、満を持して試作するに至ったのが、前述しておいた様に赤酸塊アカスグリの産地としての長野県を知ったからであった。ドイツではして珍しくない日常的なベリーであったのに対して、日本ではスーパーで探してもジャムも見当たらない。どうやら畑には自然に実を付けた赤酸塊アカスグリがあったようであるが、ジャムにするには心許ない量であったから、これは機であると軽井沢のジャム屋から取り寄せた。
 
 
 決して安くはなかったが背に腹は代えられぬ。いや寧ろ上質さの保障と思えば仕上がりに期待が高まった。また幸いにドイツから持ち帰ったヘーゼルナッツの粗粉末も手元に残っていたから、それで極めて原本オリジナルに近いリンツァートルテを試作した。これが大変上手くいった。
 


 
 ケーキの類を安易に試作出来ぬ理由の一つに、作ったは良いが無くすのに手を焼く、というのが私の性格上あった。無論、試食はする。試食をしてもらうもある。それで美味く無ければ否が応でも自分の腹で始末するが、下手にこれが上手くいった場合を考えると、是が非でも何方どなたかの口に運ばれて欲しいという親心が働き、それと同時に提供出来る場所が無い事に気が付くと、ケーキが可哀相になる。ところが今の私にはカフェという堂々たる提供場所が確保されていたから、それで思い切って試作に踏み切れた。
 
 果たして店頭に並べた分は全て私以外の口に運ばれた。提供する際、喧しいかとも思ったが折角だからリンツァートルテの説明をした。そうしてその口から今度は「美味しい」という言葉が御釣りになって返って来た。一安心である。ドイツにいた私がリンツで実際に食べて衝撃を受けたケーキの、材料に使用される赤酸塊アカスグリの産地が今私がいる長野県であれば、これを押し出して行かぬ理由を探す方が難儀である。後は私の技術的精度であるが、そうした小手先の不安は余所に、ドイツ地方の味として私が人に知って欲しいものの中で順位を付けるならリンツァートルテは十分に優勝を狙える位置に付けている。我ながら今後が楽しみである。
 
 
 さてそのカフェ営業が御蔭様で盛況すると、翌日曜日には地元のマルシェに参加し大盛況を授かった。全てのパンを準備し終えてから、随分沢山焼き過ぎてしまったとやや悔いたのも束の間、気付けば一杯にパンを詰めていった四つの番重がほとんど空になっていた。全く有難い。
 
 印象的であったのは、私の事を、或いは私のパンの事を既に知った上で買いに来てくださった方の多さである。比較対象が、初めて同系列のマルシェに参加した二月であるからその時よりも増えていて至極自然なのであるが、それにしても御客に対してプレッツェルの説明をするよりも、「どこかで御目に掛かられましたか」と聞く回数の方が多かった。
 
 パンも売れた。人との交流も華やいだ。大変心持よくイベントを終えて、それでも体はさすがに疲労困憊であった。寝不足も過労も無いとは言えぬが、そこへ加えて暑さが堪える。荷物を全て車に積み込みエンジンを掛けると、あらかじめ点けてあった冷房が働いてみるみる体の疲労感が冷却されて行くのがわかった。夏の暑さに負けない為の、矢張り車は武器である。
 
 


※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。


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