見出し画像

*12 インヘリタンス

 ドイツの人間からは飾り気のない人間味を感じる。私がそれを好ましく思っている、と言うのも一つ私が八年もドイツに身を置いている理由になりそうであるが、先日エジプトまで南下してみて感じたのは、南に行くほど人間臭さが増していくという比例関係であった。北ドイツよりも南ドイツ、ドイツよりもイタリア、そしてギリシャ、エジプトと、まあたった一側面を切り取って全体を把握した気になっていると思われても致し方ないが、そんなエジプトが日本の巷では世界三大鬱陶しい国として扱われているという記事を目にした。要するに、押し売りやら勧誘やらが執固しつこいという事を言いたいらしかった。私の体験を重ねて見ると、ここで取り上げられている事の概要を事解じかいする事は出来た。どうも人間味が濃くなるほど鬱陶しがられる様である。
 
 私はドイツにイタリア人の親友を持っている。イタリア人と言えば明るく友好的フレンドリーだとする文句をテレビやインターネットで昔から目にして来た。私はこの友人を親友と呼ぶほど何の気兼ねも無く長く付き合っている。然し客観的に見た時、彼の言動にも某旅行サイトがエジプトをうたった“鬱陶しさ”の片鱗はある様に思われた。実際私も彼と幾度か揉めた事があったが原因はこの“鬱陶しさ”に集約されていたのかもしれない。そう言えばエジプト人も皆大変愛嬌ある笑顔をしていた。成程なるほどどうも友好的フレンドリーも度が過ぎると鬱陶しいとされてしまう様である。
 
 それでは私の言う人間味とは何であるかと言う時、なにがしの言葉を借りればこの“鬱陶しさ”であるとも言えた。彼らが何故鬱陶しいと評されるのか。すなわちそれは言動の全てが自発的、或いは自己責任的であるからだろう、というのが私の持論である。良いも悪いも己の判断から能動的に言動が発足しているのだとすれば、他者の都合も世間体も気に掛けるいとまも無いのだろう。そうすると主語は同じでも受動態パッシーヴで生きる人にとって結果的に強引で面倒な印象を持たれても致し方ない事にも納得がいく。私が彼らを見た時、命と生活と人生とが直結しているという印象を受けた。いち人間としての生活を送る、という事が人生の主題であるかの様であった。自分が生きる為に金を稼ぎ、自分が生きる為に飯を食う。皆一人では弱いから仲間同士の繋がりも大切にする。生まれてから死ぬまでのサイクルの中で子孫を残す、その為に異性との繋がりを必要とする。生物としての人間の役割を変にいつわる事なく自分なりに全うする事に集中している、と言うのが人間味の根底であるのかもしれないと思った。イタリアやアラブ圏に不穏な空気が漂うのも、人間の暴力性まで剥き出しになっていると考えれば自然である。人間が綺麗なばかりの生物で無いという事は言わずもがなである。

 
 昨今、他人の目は気にせず自分のやりたい様に生きる、と息巻いたフレーズをよく見かけるが、態々わざわざそれを他人の目に発表するわけでもなく、戦略や計算も無くただ淡々とそれを営む人間の生物的姿が“鬱陶しい”とされるのであれば言葉の真意はいささか曖昧である。人の悪口や暴露話で金を稼ぐ人間や公共の醤油差しを私物化する人間がいたりいずれも風潮通り他人の目を気にせず自分のやりたい様に生きているらしいが、やっぱりそれは命と生活と人生が直結しているさまとは異なっている。それ以前に己の読解力の乏しさをひけらかしている様で目も当てられないのであるが、人の目を気にしないと言うのは自己責任的であると言う事であって、他人への配慮も情愛も鉄刳かなぐり捨てて自己中心的エゴイスティックに生きるのとは異なる筈である。然し心をあおませ心を受ける遣取やりとりが最早現代に残る古代文明の遺物的オーパーツと化してしまったのだとすれば、大人しくダーウィンの云う事に頷いておくが賢いのかも知れない。
 

 
 有給休暇から戻って来た私は方々ほうぼうに感想を聞かれては答えていた。エジプトにいる間に同僚達へ送った写真も大変評判が良かった。一方エジプトのバクシーシや交通渋滞についてはどうも有名な話であるらしく、その悪評が販売婦やシルビアの口からも飛び出して来た。工房の中で最年長のルーカスも仕事中に「エジプトはどうだった」と聞いて来たから、私はべらべらとカイロでの出来事や感想を説明したが、そのルーカスが常であれば半袖で働いているところを見慣れない長袖のトレーナーを着て働いていた。聞けば先週はルーカスもアンドレもトミーも皆、具合が悪くて大変だったんだと言った。工房では其処彼処そこかしこから咳が飛び交って、週も後半になると見習い生のマリオまで咳込み始めた。
 
 思えば先週のドイツはぐんと冷え込んだ様であった。雨どころか雪も舞ったらしかった。まさに私はその寒気から逃げ出すが如くアテネやカイロと言った温暖な所へ行ったのであるが、帰って来て迎えた今週のドイツはまた温かくなったんだから運が良い。ひょっとするとその気温差が原因で皆体調を崩していたのかも知れなかったが、誰一人としてコロナを疑っていないどころか検査すらしていない辺り、ドイツにおけるコロナの終息、或いは忘却を物語っていた。そうかと思えば空気に舞った粉で私がくしゃみをしただけでアンドレが「お、エジプトからコロナを持って帰って来たか」と冗談で言って来るんだから、全く今現在のウイルスの扱いがどうなっているんだか薩張さっぱりである。

 イースターがもうじきである。オスターフラ※1ーデンも日々焼かれるようになっていたから仕事も増えたかと思っていたが、案外そうでもなく日によっては随分と時間が余った。水曜日、見習い生のマリオと喋っている時に先週は学校で何を習ったんだと聞くと三本から五本までの編みパンを習ったんだと言ったから、最後の余った仕事時間で五本編みの練習を共にした。
 
 私自身も久しく編んでいなかったから始めは良く考えながら手を動かす必要があったがやっている内に思い出して、見本には十分な出来栄えの五本編みを編んだ。マリオも学校で習ったのと、それから私の手本とを参考に編み始めた。「均等に綺麗に生地を棒状に伸ばす事が何よりも大事だ。生地さえ綺麗に伸ばせれば綺麗な編みパンが出来上がる」と伝えながら彼の手の動きを反対側から見ていた。見え方が逆様さかさまになるもんだから「こうか?こうか?」と聞かれても、そこでまた良く考える必要があった。
 
 そうして出来上がった彼のツォプフは不格好であったが編み方自体は合っていた。「不格好だ」という事も当然伝えたが、彼の方から「でも編み方は合っていたでしょう?」と返って来るから快い。そして私はついでに二種類の六本編みを見せる事になったが、いざ説明しながら手を動かそうとするとこちらがなかなか難しかった。二種類と言うのはミュンヘン風とウィーン風という二種類の六本編みなのであるが、ミュンヘン風は殆どやらずに来たからいいもののウィーン風の方は個人的に好きな形であったし、以前の職場では毎週一度六本編みのパンを製造していたから、その頃から私は得意としていた。にも関わらず、いざこう目の前に相対すると戸惑った。
 
 結局最後には完成品を見せられたから良かったが、幾ら好きで得意としていても時間が経つと忘れてしまうものなんだと尽々つくづく実感した。そして最後にマリオが「明日職業学校の授業でまた五本編みを編むから、授業が終わったら写真を撮って送るよ」と言って来た。翌日木曜日の夕方頃になって彼から写真が届いた。練習で作った時の物よりも均等に伸ばされた生地で編まれていてずっと綺麗になっていた。
 
 
 金曜日、トミーが彼の恋人の開業準備を手伝うと言う理由で一日だけ有給休暇をとって休んだ。彼女はフランチャイズで衣料品店のオーナーになると言う。然も聞けば大きい街のそれも良い立地の所に店を出すんだと言った。そんな店に飾る為の絵を私は彼からの依頼で描く約束になっていた。仕事中のひょんな会話から私が絵を描けるという事を知った彼がその内、君の絵を見せてくれないかと私にメッセージを寄越よこして、それで幾つか彼に見せた所どうも気に入って貰えた様であった。
 
 土曜日と来週の月曜日に休みを入れられた私は、三日もあったらほとんど休暇だなあと、何処かへ行こうか、然し何処へ行くにも金が掛かるし先週も大旅行をしたばかりだしと、三日の使い道に困っていたのであるが、気付けば彼の為の絵の締め切りも近付いていたからそれに精を出す事にした。く言ってみた私も傍から見ればまるで命と直結していない生活を送っている様である。


(※1)オスターフラーOsterfladenデン:イースターの時期に食べられる甘いパン。レーズンなどが入れられる。

※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
※パン作りの様子などはYouTubeでご覧になれます。

 


【各種SNS】

YouTube →リンク
instagram → リンク


この記事が参加している募集

眠れない夜に

この度も「ドイツパン修行録」ならびに「頬杖ラヂオ」への訪問、ありがとうございました。もしよろしければサポートもよろしくお願い致します。 引き続きドイツパンに真摯に向き合って修行の道を精進して参りますので、何卒応援の程よろしくお願い申し上げます。また来てください!