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*7 パン食い人

 折角店員が忠告してくれたにも関わらず、私は家に着くなりコーヒーミルでライ麦の粒をごりごり挽いた。粒と言っても既に幾らか粗挽きされているものであった。いざ手元に届いてみると注文画面で見て想像していたよりも随分粗かったから、それを挽く分には珈琲豆よりかえって負担が少なかろうと思って決行に至った。
 
 問題は一度に削れる量の少なさであった。珈琲の一杯ないし二杯分の、精々五十グラム程度の豆を挽くのに最適であろうサイズのミルで、合計四〇〇グラム程の穀物を挽いたから、ついぞミルを支えていた左の手に力が入らなくなった。そう迄して果たして何をしていたのかと言えば、ロッゲンフォルコンシュロートブロートをどうしても焼いてみたかったのである。余りに片仮名ばかり並んでいて呪文まじないの様であるが、要するに粗く挽かれたライ麦全粒粉と茹でたライ麦の粒で作られた、外見も断面も一貫してごつごつとしたパンである。

サワードウ

 ミルで挽いたライ麦の三分の二はサワードウに使った。こんなにも粗い穀粉でサワードウを作るのは私自身初めてであったから仕込んでいる最中から既にどうなる事かと思っていたが、案の定一晩経っても所謂サワードウらしい見た目をしていなかった。それでも匂いはしっかり鼻に刺さる様であったから、兎に角手順の間違っていない以上物は試しであると、そこに残りの粗挽きライ麦や他の材料も入れて生地を作って行った。茹でたライ麦の粒は無論姿形そのままで入るわけであるから、日本人の感覚を持って一見すると、果たしてこれの何処がパンだと言うんだと目を疑ってしまいそうな見た目をしているが、ドイツパン職人として、或いはいちロッゲンフォルコンシュロートブロートのファンの目で一見すると、この時点で既に私は興奮を覚えていた。

発酵後

 発酵の済んだ姿を見て私は潤沢な懐かしみに襲われた。以前の職場で大型デッキオーブンを任されていた頃の記憶から景色が鮮明に解き放たれた。何を隠そう私がこのロッゲンフォルコンシュロートブロートを好んで食べる様になったのもその頃であり、仕事中などは焼き上がったそれらを窯から出した時の鼻から旋毛つむじへ抜けていく酸い匂いを嗅ぐ度に何とも言い表し難い恍惚こうこつさに襲われていたのである。そのパン屋で焼いていたものとレシピこそ違うが極めて似ているレシピを私はこの度段ボール箱の中で眠っていた過去の授業で貰った教材の中から引っ張り出して来た。それだから微々たる差異こそ生地にも香りにも見られたが、発酵した背中には矢張り懐かしさが滲んでいた。

 オーブンの中で九十分焼かれた後、窯から出て来た姿を見て私は一人、完璧だ、と呟いた。意識的に呟いたんだか、或いは私の無意識中に口が勝手に舌を叩いてそう漏らさせたんだか、何れにしても大変喜ばしかった。僅かな不安材料でもあったサワードウも難無く機能した様であった。ライ麦粒の存在感も大変凛々しい。手間こそかかったが手元でこの味が生み出せた事は一つ私にとって大きな進歩であった。このレシピは何年と手元にあったわけであるがそれでいて今になって形にする事が出来たという事は、単に私が今になって漸く重い腰を上げたという事ではなく、環境や材料によって当時叶える事が出来なかった事が今は出来るようになったという証明でもあった。私は早速切り分けて、今週は毎日の様にロッゲンフォルコンシュロートブロートを食べていた。日本で食べていた食パンの対極の様な、大凡同じ分類カテゴリーのものと思えない様なパンを自ら生み出し齧っているのは、何とも個人的な感慨深さがあった。

 「工事が遅れていて工房の移転は四月頃になりそうだ」とシェフの方から皆へ報告があった。昨年中には移転出来るという話だったものが年を越えて二月末となりいよいよ四月へずれ込んだ。当のシェフは日夜すこぶる参っているに違いない。トミーの加入でシェフが工房に立たずに済むようになったのは彼としても助かっている所であろう。片や我々工房組の中では工房の移転と人員の加入について、以前から多少の懸念があった。
 
 新工房に移転した後に人手が増える筈であった当初はまだ何と言う心配の芽もきざしていなかったのであるが、移転が遅れるというニュースが入った一月頃から、この狭い工房と現時点で足りている作業量の所に人手が増えたら、場所は狭くなるは作業は少な過ぎるはで、変に時間的余裕が生まれてしまうんじゃないかという懸念が冗談半分持ち上がった。仕事が多過ぎては良くないが、少な過ぎるのも無論良くない。単純計算で導き出せば四人で足りている作業量の所に一人が加わるんだから、例えその場凌ぎに作業を分担しても全体で見れば矢張り人間一人分の何かが余る筈である。
 
 ところがいざ彼が加わってみると、事前に不安視していたほどの混乱は起こらなかった。寧ろ前述したようにシェフの負担の一端は減るし、彼自身大変積極的且つ堂々たる振る舞いで働くから、自然余った筈の人間一人分の何かしらも殆ど気にならなかった。それもあったんだか今週は随分仕事中の時間の経過が早く感じた。

 
 週の半頃、不断ふだんオーブンを担当しているルーカスが休みであった時、私が出勤した時には既にトミーがその担当を受け持っていた。二〇一三年に製パンマイスターを取ったと言うから私よりも歴が約十年も長いわけであるが、それもあって矢張り初めてオーブンに付いて働くにしても落ち着いたもんだと傍から見ていたのであるが、その途中不図私の傍へやって来て「今日は駄目だ」と嘆いていた。聞けばパン・オ・ショコラは焼き過ぎたし、バゲットは窯入れが遅過ぎたし、ケーゼシュタ※1ンゲンに至っては窯出しを忘れていて焦がしてしまったと、その彼是あれこれを説明してくれたわけであったが、それにしても堂々としていたのが私には俄然立派に見えた。屹度私であれば露骨に肩を落として、何が駄目だったのか上手くいかなかった要因をぐるぐると頭の中で考えて蛆々うじうじしていそうな所を、彼は太い声であれが駄目だった、これが駄目だったと全て私に吐き出したなり、次は気を付けると言ってその表情や声色には微塵もうじらしい様子が見当たらなかった。
 
 それだけ立派に失敗を吐き出された私は他に掛ける言葉も無かったから、まあそんな事もあるよなあ、などと相槌を打ったりしていたが、さらに話を聞けば、初めてオーブンを受け持つというのに焼き時間も焼く順番も明確な指示の無いまま一人にされたんだと言っていて、それについては私も身に覚えがあったから経験を話すと共にそれに纏わる意見を交わした。大抵この手の話になると感情的に愚痴っぽくなるドイツ人が多い印象であったが、この男は矢張り落ち着いていてあくまでも冷静に建設的な意見を言っていたから私は好感が持てた。
 
 
 そんな彼の加入で多少負担が減ったであろうシェフが、或る日私が休憩室に入ると椅子に腰掛けて居眠りをしていた。工房に立つ必要が無くなったと言っても遅れる工事に心労は尽きないのだろう。それでも私が部屋に入った物音で目を覚ますと少し世間話をした。エジプトに行くんだと云うと、彼もエジプトのファンなんだと言った。それで矢ッ張りパンの話になり彼は、「五〇〇〇年来のサワードウは然し御免だね」という冗談を言っていて、エジプトとパンの因果を改めて身近に再認識した。
 
 
 週末になって私はオンラインで購入したフランスのバゲット用の小麦粉を試した。厳密に言えば水曜にポーリッ※2シュを作り木曜に本生地を捏ねてから二日間冷蔵庫で寝かせて土曜に焼いたのであるが、生地を捏ねている段階で既にドイツの小麦粉との違いが明白で面白かった。もっと言えば粉を触っただけでも違いはよく分かった。焼き上がりも綺麗にいった。全くロッゲンフォルコンシュロートブロートに始まってバゲットを焼いて相変わらずパンばかり食べている私であるが、何千年と昔を生きた古代エジプト人もパン食い人と呼ばれていたようであるから烏滸おこがましくも親近感が沸いた。ピラミッドを建設する労力の源がパンとビールだったと云うんだからほとんどドイツ人の先祖である。


 
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
※パン作りの様子などはYouTubeでご覧になれます。


(※1)ケーゼシュタKäsestangenンゲン:棒状のプレッツェルにチーズを乗せて焼いたもの。
(※2)ポーリッPoolishシュ:パンの中種の一種。

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