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*5 ドイツの味

 一年前に帰国して初めて作ったプレッツェルを私は色や形のみならず味や匂いまでもを容易に思い出せた。あれは不味かった。何が不味かったと言えば、口に入れた感じが、歯を噛んだ感じが端的にまるで私の知るプレッツェルでは無かった。プレッツェルらしかったのは形ばかりであとは何とも称せぬ得体の知れぬものに他ならなかった。
 
 第一に硬過ぎた。第二に焦げ臭かった。いずれもクラストの成した業であった。レシピと、焼成塩梅と、ドイツで習ったものをそっくり真似てやってみた筈がまるで別物になった。するとレシピに手を加えた。焼成時間や焼成温度を加減した。プレッツェルは容易に姿を取り戻さなかった。その最中にイベントでパンを並べてみないかと誘いがあった時、そのたった一度、私は調整の済んでいなかった硬いプレッツェルを人に買わせた事を懺悔する。
 
 「ドイツで修行してきた」と乱暴に冠した番人が堂々と売っていれば、きっと御客を納得させるのは容易たやすかった。幾ら硬く、幾ら焦げ臭かろうと「ああドイツにあるプレッツェルというパンはこんな風に硬くて焦げたパンなんだ」と本場の味然として誤った印象を持ち帰らせることは火を見るより明らかである。幸いにして人知れず背徳感を胸に抱いていた私は、その時の十か二十かの偽プレッツェルを買って下さった御客を犠牲に、その後幾度かの調整の末、到頭とうとうドイツで食べ慣れた味、謂わば本場の味のプレッツェルまで到達した。
 
 
 その真プレッツェルを引っ提げて駅前のイベントで初出店を記録して以来、この一年間の内でプレッツェルは沢山褒められた。これまでに食べたプレッツェルの中で一番美味しい、という声は屡々しばしば戴いた。このプレッツェルはそんなに硬くなく、然し外皮クラストの食感はしっかりあって、中身クラムももちもちとして美味い、という声も頻りに届いた。硬過ぎた偽プレッツェルで始まり、懐かしい味わいの真プレッツェルまで到達した私にとって、それらの言葉は仰山な褒め言葉と言うよりも、味覚の共有が出来た証の様に思われて嬉しかった。私は敢えて他のプレッツェルを捉まえて「それらは偽物です」とさげすむ卑怯な真似はせぬとも、「私が作るのは本場のプレッツェルと極めて同等です」と胸を張るくらいには自分のプレッツェルにドイツの匂いを感じているから、それを美味いと言ってもらうのは暗にドイツの雰囲気の一端をも伝達出来ている様な気になれて嬉しかった。ライ麦パンもまた然り、褒められれば褒められるほどドイツの味がドイツの雰囲気さえも纏って伝わっている様で、そしてそれが自信にもつながった。

 硬くて焦げ臭いプレッツェルを焼いた日には到底想像の及ばなかった一年後を迎えて今いる。当時では想像の及ばないほどの数の機会を与えて貰い、想像の及ばないほどの数の人に認知されている。当時は当時で無論先行きを案じて、ああしようこうしようと計画アイディアを頭の内にこしらえていたが、今従事するカフェにしろふるさと納税の返礼品にしろ、何れも拵えておいた計画の外から舞い込んで来た機会であった。地元と言いつつほとんど余所者らしく、頼る宛も販売の機会もどこを探れば出会えるんだか皆目見当の付かない私には、長閑な緑に囲まれた所でリンツァートルテを振る舞う事も、市からの発注を受けパンを全国各地に発送する事も到底思い描ける筈も無かった。然し今、それらは現実に私の身の上にある。摩訶不思アドベンチャー議である。
 
 
 裸一貫、手に職があるばかりでその他に何も持たずに島国へ帰還した私は、辿り着いた地で暮らす人々に手を引かれ、余りに多くを体験した。
 
 キャリアーの初陣、駅前での出店は母の知り合いが母を経由して誘ってくれたのが機掛きっかけであった。そのイベントで知り合った珈琲店の店主にいざなわれて軽井沢のクリスマスマーケットへ出店すると、その日のイベントこそ生憎中止になったが、今度はそのイベント運営に携わっていた方と繋がり四月、八月とイベントに誘って頂く運びとなった。
 
 駅の観光局と市役所に掛け合って駅構内でスキー客に向けたパンの販売もしていたが、たった二週間の内で地元紙の記者に見付かり、間も無くして新聞に載った。それを皮切りに新聞には三度載った。未だにパンを買いに来た御客の内で「新聞で見たな」と言ってくれる者もある。テレビにも映った。そうして「テレビを観て来ました」という御客がカフェにく現れるようにもなった。御陰で近頃大変賑わうカフェの営業も、機掛はイベントで知り合った出店者との繋がりであった。
 
 ふるさと納税の返礼品についても、機掛はイベント出店である。担当者が偶然にイベントで私のパンを発見し、気に入ったから声を掛けたと言った。
 
 
 大勢の人に繋がれてここまで運ばれて来た。それじゃあ運ばれた先で矢面に一人立たされた時、私の持ち得る武器はパンのみである。パンのみでその先を切り開かねばならぬ。ここで切り開くは認知である。すなわち名を売るという行為である。パンを売りながら、如何に顔と名前も併せて売れるかという勝負は、原則シングルマッチである。具体的な試合判定はしかねる。しかながらリング上で大いに奮闘した成果は、日に日に受け取る機会が増えて行った。手に職付くはボクサーの如しである。
 
 
 知らぬ間にSNSを通してカフェやイベントに足を運んでくれる人がいる。
 知らぬ間に道の駅でパンを買ったのを機に足を運んでくれる人がいる。
 知らぬ間に私の噂を聞きつけ興味本位に足を運んでくれる人がいる。
 
 こうした人達に私が施せた行動アクションは何だったかと分析すれば、それは矢ッ張りパンを売るという行為のみであった。それより他に私は何も彼等に与えられていない筈である。ともすれば、彼等は私のパンを美味いと思ってくれた事になる。或いはパンを美味いと思った人が身近にいた事になる。話は返って、私の作ったパンが美味いとなればそれはドイツのパンの味が美味いと、ドイツ風にあらず、正真正銘ドイツのパンの味が美味いとなった事とほとんど同義である。すると嬉しい。
 
 
 時折私はおすすめのパンやケーキを御客から訪ねられる事がある。そうした際には決まって、口に合うか合わないかは二の次として是が非でも一度味わって頂きたいものを勧める事にしている。リンツァートルテやライ麦パンは良い例である。美味いか不味いかは知らぬ。知っているのはそれらの味が、私の口に馴染むドイツの味であるという事ばかりである。それを是非一度味わってほしいと言うのは、畢竟ひっきょうドイツ体験をしてみて下さいという事になる。上辺だけの宣伝文句と異なる「ドイツ気分」を舌で味わって欲しいのである。
 
 
 
 土曜日、二週間ぶりにカフェを開いた。すると綺麗に完売した。夏場に私のパンを気に入って下さって以来、頻繁にパンを注文して下さる御客がさらに仲間を連れて来店して下すった。先週のイベントでパンを買って来ました、テレビで観て来ました、の御客もいた。
 
 日曜日は市の催しにパンをひらげた。こちらも綺麗に完売した。ほとんど新規らしい御客ながら、私の存在は心得ているものと見えた御客がちらほらあった。身内に縁のある人も見付けて下さった。単にドイツパンという珍品に好奇心を働かせて買って下すった御客も屹度きっといた。
 
 その中に一方的に私の存在を知っている老齢の男女が幾らもあって、「応援してる」と一方的な情愛を投げて下すったのには恐れ入った。もう私も子供じゃないから人生の真意や世の真理もそれなりに心得ているつもりである。それだから、この地で生き、この地で年を取った年長者から送られる声援は確かに胸を鼓舞した。具体的に応えられよう事は屹度今に無い。然し抽象的になら、この応援に有形の返答が出来るような予感がした。大なり小なり、大なり小なりである。
 
 
 執筆の依頼が舞い込んだのも今週であった。明くる月曜に打ち合わせ。その足で返礼品を発送する予定である。
 


 
 
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。


ふるさと納税

 

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