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*28 尊ばれし命、交わり、すれ違い

 私は大変に堕落だらしない。図法螺ずぼらである。散らかった書物机をよし一思ひとおもいに片付けてみても十五分と持たずまた散らかる。床や衣文掛ハンガーラック其成それなり整然を保ったとして、机の上ばかりは整理しても整頓してもまるできりが無い。これは昨日今日に始まった事では無いからまあ今から必要以上に抗おうとする気も無く、それに傍から見れば大変な乱雑振りも私はこれで其々の配置を把握しているつもりで在る。それだから不断ふだん、気にも目にも留まらず乱雑した机上に確保された隙間で本を読み文をしたため絵を描くわけであるが、時としてこうして戒めの如くその欠陥をつつきたくなるのは、その我が雑乱性の弊害であろう社会的鬱積ストレスに自業自得さいなまれた場合である。
 
 先週末、帰郷の為に航空券を予約しようと意気込んでいた私は、いざ支払いの場面に到達した時、慣れない類のオンライン振込の必要性に気が付いた。遣り慣れた方法で支払いの出来る航空券も探すには探したが、比較的値が張る物ばかりであったから、まあ慣れないと言うだけで大した違いも無かろう、と支払いの手続きを進めていった。するとどうにもオンラインバンキングが上手くいかない。挙句あげくちょっとの手違いでアプリをログアウトしてしまった。参ったなと思いながらログインに必要な資料を手紙入れの中に探す。ところが見当たらなかった。果て、他にしまう所などあったかなと、僅かでも心当たりのある様な場所を探し回る。果たして出て来なかった。
 
 既に鬱積に冷や汗を垂らしていた私は、こうなっては仕方が無いからアプリを閉じ、代わりにクレジットカードで支払おうと一端舵を切った。ところがこちらも慣れていない。オンラインでのクレジット決済については初めてであった。必要な情報を入力していく。そうして確定しページが切り替わると、御使いのカードでの支払いは出来ませんと出た。私は愕然とした。カードこそ持っていたが不断ほとんど使わないでいたから、どうもオンラインで使用する為の認証取得を行っていなかった様であった。それなら銀行のオンラインサイトから認証を取得するまでだとページを開くと、既にログアウトの状態であり、ログインをするのに必要な資料を紛失していたから八方が塞がった。
 
 
 結局その日、それ以外の試行錯誤も全てが空回り、極度の鬱積ストレスさいなまれた私であったがその鬱積も頂点ピークを過ぎると、段々と今の私に起こるべくして起こった戒めであり、帰国準備へと私の尻を叩く鞭の如き出来事であったように悟り始め、却って気力がみなぎった。そうして翌月曜日、仕事終わり直ぐに隣町の銀行へ出向くと、大変親身な補佐対応を受け、クレジットカードを含むオンラインバンキングの問題は解消された。それでもその日にはまだ予約が出来ずにいた航空券は、結局火曜日になって、週末に取ろうとして取れずにいた時の価格よりも安い値段で予約を済ませた。運だけは良いのである。
 
 こうした騒動があると途端に自責の念に駆られる私は、今日も今日とて片付かない机の上で文章を綴っているんだから我ながら同情の余地無しである。ログインに必要な資料も結局航空券の予約が済んだのちになって平然と出て来たもんだから灸を据え切らない。しかなが愈々いよいよ近付く本帰国へ向けて、一層気を引き締め準備を進めていかねばならないと兜の緒を締め直した私は、七月の主題テーマに社会との交流を掲げたところである。
 
 
 そんな話も仕事中、見習い生のマリオにしてみる。「もうあと二ヶ月だ」と言うと、彼は「あと二ヶ月経ったらもう一緒にクロワッサンは作れなくなるんだね」と冗談めかして言った。それを聞いて私も笑ったが、笑いながら脳の内でその言葉を幾度か反芻はんすうさせると、たちまち人生と出会いの儚さに一瞬眩暈めまいを覚えた。私が間も無く迎える同僚との別れは、単純に職場を辞めるという事や距離を離れるという事のみにあらず、一生の内で彼らと私がもう二度と交わる事が無いという永遠をも孕んでいる現実に私は肝を冷やさずにいられなかった。解っていた様で解っていなかったのかもしれないその現実は、彼ら同僚のみならずドイツに住む友人や過去に出会った人間皆に言えた。それらが十六歳の少年の冗談一つで、突如として私の目に飛び込み、脳から胸までちくちくと駆け巡った。途端、じぶんが大変な薄情者に思われた。

 元々独立した個体が其々生きている内に偶然交わって出来た今を保存する為に写真と言う技術は改めて素晴らしかった。これから夏の季節、再来週にある私の有給休暇を皮切りに各週誰かしらが休暇に入る都合で、最後の記念写真を工房で撮れる機会が来週のみとなった。私は皆其々それぞれに来週には記念写真を撮るからねと言伝ことづてて回った。口内炎をこしらえて折角の声掛けに際しても顔をしかめる必要のあった私は、珍しく買ったビールとアイスで不断摂らない様な糖分とアルコールを急激に取る羽目になった先週末を恨んだ。
 
 
 口内炎の御陰せいで終始気分が上がり切らずにいた今週の、迎えた土曜日、新工房にてパンの直販売が催された。地域の祭にあやかって行われた直売に際して、訪問客の工房内見学も敢行され前日の金曜日には入念な掃除も行われたが、私もマリオも、それからトミーも不断と異なる状況に胸の高鳴りを隠せずにいた。
 
 当日、五時半頃になると三人の販売婦も工房に姿を現し、販売ブースの設営とパンの陳列にあたっていた。その後ろ、工房の方では主なパンの製造を後回しに、其々細かい作業にあたっていた。と言うのも開店する六時以降、訪問客の姿があってからパンの製造を行おうと言う段取りになっていた訳である。当然我々にとってこれは新鮮な取り組みであったから、誰一人想像も付かずどうなるだろうかなどと想像を膨らませながらその時を待った。
 
 暫くして客が入って来た時、私達はプレッツェルを成形していた。客が入ると言ってもある程度の距離の所に仕切りが成されていたから密な交流があると言うわけでも無かったが、矢張り人の目の前で働くと言うのは不慣れであった。
 
 訪問客の中には知っている顔も幾つかあった。製菓見習いのララは自身の姉や父親を連れて来ていたから、顔を見付けて目が合うなり遠くから笑い掛けた。それから二月に職場体験に来ていたヤコブと言う青年も兄を連れて来た。彼の場合は今年の九月からこのベッカライ・クラインで職業訓練を始める予定でいる身であったから、特別シェフに連れられて囲いの内まで入って各種設備の説明を受けていた。ぐるりと工房を一通り回った後、彼は私の所にも挨拶に来た。相変わらず感じの良い青年であった。私も彼と何だかんだと話をした。
 
 マリオの両親の顔も見付けたから互いに手を挙げて挨拶を交わした。後から聞けば両親だけではなく姉や祖父母もいた様であったが、そんな親族のいるすぐ目の前まで作業机を移動させそこでトミーとマリオで作業を始めたのは、恐らくトミーの粋な計らいであろう。私は少し後ろで自分の作業をしながら、その授業参観の様な光景に何とも言えない幸福を感じて一人微笑ましく見守っていた。私からすれば見慣れた同僚でも、親族からすれば息子がマイスターと共に仕事をしている姿である。父親はカメラを構えていた。その光景が私には大変尊く思われた。そしてまた悲しくも思われた。
 
 世の多くの人間は、世界から見てほんの些細な存在であるから、皆誰しもが人生の主人公だ、と謳われてもそれを実感する機会と言うのはなかなか少ない。この時のマリオはまさにその機会の中にいた。思春期で恥ずかしくもあったろう。彼もまた恥ずかしそうに、辞めて欲しかったと後になって私に言って来たが、彼が親族の存在によって輝かされていた事をまさか十六歳の彼が気付ける筈も無く、そこにも矢張り尊さを感じずに居られなかった。そうしてそれこそが主人公という呼称の真意である。功績や栄光や名声が無くとも輝いて生きる権利である。
 
 
 土曜日も終盤になると、販売婦のジェニーと少し話をした。主題は私の帰国についてであったが「単簡じゃないでしょう、ドイツで生活を築いて来て、同僚や友人を置いて日本に行くって言うんじゃ気持ちの整理も難しい筈よ」と彼女の見解を聞いている内に、私の薄情さを思い知らされるようで立つ瀬の無いように感ぜられた。それでも私の眼は私の人生の上にあったから、変に惑わされる事も無く、彼女の意見に同調しつつ、また己の薄情さもはぐらかしつつ、私の意志と展望を紹介した。結局、どれだけ不道理な道で薄情な命であっても私は高々世界の隅の七十億分の一の存在でしかないという所に帰着した。
 
 その自覚を悲観していない私である。皆が一様にそうであるからである。それでいて誰かにとって特別に成り得れる私達の命は、個々でありながら、個々であるが故に、個々同士の繋がりに大きな意味が生まれるのである。自分の好きな様に生きる事と我儘に生きる事ではそれらの解釈の点において大きく異なる。
 
 


※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
 


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