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*23 つよくなりたい

 アレックスという製パンマイスターと私は以前勤めていた職場で一緒であった。また彼にはエドという弟があった。私がドイツで職業訓練を初めて二年目の頃に、彼らは揃って中途採用で当時の職場に加わった。彼らの実家はパン屋を家業としていて、幼少期から常にパン屋の仕事をしていたと言った。そんな彼らの家族経営のパン屋がどこだか大手に吸収されてしまった事で彼らは当時私の働いていたパン屋に移って来た。
 
 彼らは風変わりであった。特に兄であるアレックスが余りに我の強い男であったから、大人しく周りに従順であった弟のエドが他の同僚から兄の悪愚痴を聞かされているのを良く見た。然しエドも大人しく従順であるとは言ったが、何を言ってもはいはいと目を剥いてニヤニヤしている様な不気味さも兼ね備えていた。それで職場の同僚からは軒並み白い目で見られ、厄介者の様に扱われていた。そんな中で私だけは彼らを心底慕っていた。当時まだバイエルン訛りが身近でなかった私にとって、強いバイエルン訛りで早口に喋る彼らの話は他のどの同僚の話よりも理解に難しかった。それでも私にとって彼らと話すのは他のどの同僚と話すより楽しかった。我の強いアレックスの破天荒ぶりと大人しいエドの愛嬌の根底にある狂気じみた製パン人生に私は人知れず敬意を払っていたからである。
 
 
 揺籠ゆりかごの代わりに製パンミキサーのボールの中で育ったという彼らは順当に十五歳で職業訓練を開始するも職業学校のある日も家業のパン屋を手伝わされていたと言った。アレックスは兄だけあってその後製パンマイスターを取ると、さらに製菓マイスターの資格まで持っていたから立派である。趣味で作ったと言う砂糖細工のミュンヘン市庁舎は圧巻の出来であった。家業を正式に継ぐと深夜からパンにケーキに二人で汗だくになりながら作り、それが済むや否や今度はワイシャツに蝶ネクタイという正装に衣替きがえウエイターとして店内を駆け回ったと言った。一日に何度も正装と作業着を替え、店内と工房を行ったり来たりしていた事さえあったと言った。そうしてまた夜を迎えると工房に入るんだから目紛めまぐるしい。目紛るしいだけならいいが休みなくそれを子供の頃から何十年と続けて来た彼らの人生を想像すると、単に凄いと褒めるだけでは足りないくらいの狂気が垣間見えなんとも頭が上がらなかった。それどころか私はその壮絶ぶりがどこか羨ましい様な気さえしていた。
 
 彼らが中途採用で加わったまさにその初日に彼らは私の務めていたブロー※1ト成形のポストに送り込まれた。当時ただの外国人見習い生であった私の拙い説明を彼らは真面目に聞いてくれた。彼らの第一印象を他の同僚はどう感じていたか知らないが、それから月日の経過とともに彼らの評判はみるみる下がって行った。仕事が遅いだのやり方が違うだの裏でも表でも随分言われていた。その内彼らは彼らの必要以上に仕事を押し付けられるようになっていった。所謂雑用仕事である。無論その分残業が増えるわけであるが、それにまた他の同僚は愚痴ゝゝと文句を言った。私にはとてもその神経が理解出来なかった。ところがアレックスもエドもそうした理不尽を笑い飛ばした。仕事への文句を言われれば、それを二重三重上回る冗句で遣り返して甲高くハハハと笑った。彼らを痛めつけたい者達からすればそれが益々面白くなかったのだろうが、私にはその痛快さが大変愉快で一人笑っていた。とは言え余りに理不尽が続いたある日、見習い生だった私は彼らの雑用を自ら手伝いに行くとアレックスは「構わないよ、仕事が終わったのなら帰りな」と文句を打ち返す時とはまるで違う静かな優しい声で言った。私は「いや、こんなのは見習い生の仕事だから」と言って無理矢理に手伝った。そうして手伝いながら「どうして君達がこうも遅くまで残って雑用をしなければならないんだ」と、私の感じていた理不尽への不満をそれとなくほのめかしながら聞くと、アレックスは「ねえゲンコス、良い時もあれば悪い時もあるんだHey Gencos, es gibt gute Zeit und schlechte Zeit」と少年の様な明るい顔で答えた。その瞳の奥には確固たる信念と不撓不屈の意地のほむらが揺れていた気がした。

 パン屋として生まれた彼らは四十を過ぎるまで寝る間も余暇も持つ暇無くただ只管ひたすらにパンを焼いてきた。その壮絶さは想像も付かなければ最早想像出来ると思う事さえ愚かであると言える筈だのに、そうした人生を過ごしておきながら投げられた侮辱をことごとく笑い飛ばす男の言う「良い時と悪い時がある」というシンプルな言葉は却って私には崇高に思えた。片や彼らを追い詰めんとする同僚の口からは文句や卑怯な愚痴しか出ないんだから、私がそちらに愛想を尽かしたのも至極当然である。私には文句の全てがアレックスとエドの波乱万丈ドラマチックな生き方への嫉妬であるとしか思えなかった。
 
 
***
 
 いよいよ来週に有給休暇を控えた私は、近頃職場に見た不条理も後一週間耐え凌げば一先ず離れられるという事をモチヴェーションに、月曜日、気を取り直して出勤した。ところが早速月曜日から出鼻を挫かれ、私は休憩取る暇無く働かざるを得なかった。まあそれでも後幾日だと指を折り、翌火曜日もまた気を取り直して出勤した。この日は何とか休憩にありつけた私であったが、休憩の終わり掛けになってシェフが休憩室に入って来ると、おもむろにぼそぼそとした喋り方で「来週君は休暇でいないんだから、その分今週は多めに仕事を済ましていきなさい」と言って来た。私には最初どういった主旨なんだかわからなかった。誰かが休暇に入る場合は残った人員で作業を手分けすると言う通例はどうしたんだろうと思った。それを今度工房に戻ってルーカスに伝えると「シェフは君が休暇に入る事で自分の仕事を増やしたくないからそう言ったんだ」と前例も挙げながら怒った。たちまちその話は広がり製菓のシルビアもアンナも「どうしてゲンコスが来週の分の製品まで作らないといけないの」とこちらも解せないといった風にルーカスの元へシェフの不満を言いに来た。肝心の私はと言えばシェフの腹の中などどうだってよく、そんな事よりも筋の通っていない状況を整理する方が先であった。
 
 そして私が「私の仕事が増えるのは一向に構わない、仕事は仕事だ。シェフがやれと言うなら毎日二十時間でも働こう、金曜日の休みだって返上して働いたっていい」と言うとルーカスは、そんなの仰山だとでも言うように笑った。続けて私は「しかしじゃあ作るにしても他の作業工程とはどう調整していくか、その分の生地も大量に作らないといけないが抑々そもそも大量に作って冷凍室に場所はあるのか」と疑問を持ち出した。すなわちシェフから出された要求が現実的に強引過ぎるというその想像力に欠けたリアリティの無さが私は好ましくなかった。たとえシェフが灰汁諄あくどかろうがずるかろうが要求にリアリティさえあれば、私は家に帰らず工房に一人籠って来週分だけとは言わず一ヶ月先の分まで作って冷凍庫にぎ隙間無く詰め込んでから休暇に入ってやろうと言うくらいの意地は持っているのである。逆境に立たされると却って燃えるのは昔からの性質である。
 
 
 週末が近付くにつれてそれぞれ同僚から「良い休暇を」と声を掛けられるようになっていった私は、結局土曜日になって普段より何時間も一人残って余分に働いた。最後まで解せず、その頃には工房に一人であったからとっくに落ち着いていたものの一人になる迄の仕事中の私のシェフへの態度には不満の色がありありと出てしまっていた。実に子供染みた悪癖である。こうした苦労を笑い飛ばしていたアレックスの精神が如何に強かったかを改めて思わされ、自分の未熟さを思い知らされた。
 
 それでも何とか仕事を片付けた私はいよいよ休暇に入った。近頃の労働を悪い時であったとするならば、少なくともこれから始まる一週間は鬱積ストレスの無いという点だけでも良い時、即ちベル・エポックになり得ると言えるわけである。ジャケットと革靴で武装した私は、日常を抜け出しパリへの冒険へと旅立った。



(※1)ブロートdas Brot:大型パンの総称。

※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。


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