*4 ハーベストムーン
私はパン職人である。まだ名も店も無いがパン職人である。世間を納得させる為では無く、ただ己を慰める為の自己我としてパン職人である。マイスター学校に通った時分、学級の内で最も劣等生の如く感ぜられた理由も全くこれに帰する。私を除く殆どの生徒が家業の跡取だの職場での昇進だのを掲げて勉学に励む中、取る跡も無ければ当時の職場も切り離して席に腰掛けていた私は、殆ど趣味の延長らしい目的で以て躍起になっていた。
世の中には立派なパン職人が山ほど在る。名立たるパン屋が海ほど犇く。比に較せば劣るは無論私であるが、そうかと言って私がパン職人である事実は不動である。彼等が私よりもずっと優れている事実もまた不動である。
パン職人とは今や私の自己我であるが肩書きとは異なる。世間の思い描くパン職人の姿を着せられているわけではなく、私自身がパン職人であろうと勉めるのである。世の流行に俊敏なパン職人も居よう。パン職人らしい姿であろうと腕を捲るパン職人も在ろう。それはそれで結構である。その内に私の様にパン職人らしからぬパン職人が在るもまた結構な筈である。
製パンマイスターを取得したから他人から見れば確固たる威厳性もあるらしいがそこに私は居ない。製パンマイスターを取得する過程で積んだ経験が私の血肉となったは事実であるが、製パンマイスターという肩書も名札も無いなら無いで一向に構わない。その名札が剥奪されても私は私であり、名も無きパン職人に変わりは無いのである。
抑々パン職人らしい姿という物が何だか判然っても居ない私は、イベント出店に向けた準備を進める傍ら、愈々林檎畑なぞに出向いて収穫の手伝いをした。世間的肩書きが非就労者である私は、イベントに向けて動いてこそいるが、それ以外の時間を大変持て余していたから代わりに使って貰った。
林檎を摘む。畑で生きた林檎に触れる事もそう言えば無いなと気が付いた。林檎を掴んでぐいと傾ける。すると小枝が折れるなり抜けるなりして林檎は木から離れる。そうして母体から捥がれ私の手に納まる林檎を見た時、ああこれが生命かと思った。籠の中にそっと置いて次の林檎を捥ぐ。そう言えば子供の頃に牧場物語というゲームに没頭した事があった。あの頃、画面の内とは言え季節の巡行する中で、育てた作物を出荷する、というサイクルに純粋な浪漫を感じて夢中になったのを、この時の林檎に思い重ねた。
休憩の時に仕事を先導していた農家の人から色々な話を聞いた。品種によって収穫時期が変わるだの、あの林檎は香りが立つからアップルパイに向いているが、あの林檎は生で食べる方が良いだの、知らぬ話が次々に出て来るから俄然好奇心が掻き立てられた。
新しい世界に触れると新しい興味が湧く。先日のイベントに参加した時、野菜を作って並べていたおばちゃん達の会話も大変興味深かった。今年はどれが育ち過ぎた、あれは駄目だったという会話は子供の頃から家庭でも余所でも聞いた事があった様に思うが、当時は屹度退屈に感じて殆ど耳を閉じていたに違いない。屹度子供の頭にはゲームの様に簡略化されて漸く丁度良いんだろうと思った。
大人になった私が近頃頻りに農業者の話を聞いた時、子供時代には複雑に思われていた話が良く解った。農業の何たるかの外枠くらいは理解し始めた。そうしてゲームの内では簡略的に整備されていたサイクルも、却って現実世界の複雑な条件の内に自分の手で以て回していく方が面白そうな気も起こった。林檎畑に好奇心が刺戟され、矢張り肌で感じて初めて物事は立体的に成るというものである。立体的になった体験からはまた可能性も拡がろう。微睡の彼方、未来を眺め、今度アップルパイでも焼いてみようと思った。
さて林檎畑で可能性を見付けたは良いが、―エデンの園の禁断の果実の如し―、それと引き換えとでも言う様に体調を崩した。丁度喉から痛み始めた。言われていた分の仕事はしたが、二日目などは林檎の木とティッシュとの往復で小鼻も散々であった。そしてまた家に戻ればサワー種の仕込みや販売ブースの装飾品、名刺作りをする必要もあった。個人で出店するんだから代役もまさか在るまい。ティッシュで擦られ過ぎた小鼻は何時しか襤褸になっていた。
木曜の午後にサワー種を仕込んだ。その日の体調が最も悪かったから準備はそれ限にして、丁度人から貰ってあった林檎や柿を昼食代わりに食って一旦布団に潜った。晩にも栄養のありそうな物を食って薬を飲んで、体調の回復を祈って眠った。熱もあった。
朝になると熱は下がっていた。所が嚏に変わって咳が出始めた。頭も重たくなった。困った。困ったがこの日はサンドイッチ用にライ麦のブロートを焼く必要があった。工房のある実家に着くと納豆を食って林檎を齧った。不断果物を進んで食べない私はこういう時になると林檎は医者いらずという格言を鵜呑みにして信頼し切るのが癖である。昔、大工の寮生活時代、大風邪を抉らせた私の元に年上同期の男が、卵と葱を乗せた即席饂飩とプリンを持って来て「風邪の時は温かくて栄養があって消化に良い物を食ったら治んねん」と言ったのを私は未だに異議無く実践している。
この時も積極的に栄養を体内へ掻き込んだが、なかなか体調は優れなかった。優れなかったがパンを焼かねばサンドイッチも作れず、作れねば売れない。気だけは健康者の積で工房へ入った私は、午前の内に飾りパンを仕上げ、午後にライ麦一〇〇%のパンと五〇%のパンとを一つずつ焼いた。何れも悪くない仕上がりになってほっとした。ほっとすると病はまた活気付くから厄介である。
その日の晩、また幾つかの装飾品の準備をすると、八時には布団に入った。深夜二時からプレッツェルを焼き始める為である。結局直ぐには眠れなかったが、二時になって目を覚ました私の体は今だ健康体に到達しきれていなかった。
私のデビュー戦とも言えるこのイベントにおいて、最初が肝心だと、売れ残るくらい用意していく積で百二十個のプレッツェルを焼くと計画していた私は、工房設備の規模上、六回に分けて作る必要があった。ドイツで働いていた工房の規模感と比べれば、何とも骨の折れる数であったが、体調こそ優れていれば何でもない量だと元来逆境に燃える私の心は強気であった。体調不良も立派な逆境ではあったが、資本の体の不具合では剥きになるにも限度があった。
結局朝の八時になって漸く全てのプレッツェルが焼き上がった。概ね満足のいく出来になったプレッツェルは、前回のイベントで出したプレッツェルよりも無事に改良が施されたと言えた。焼き上がったら袋に詰めてラベルを貼る。それと同時にサンドイッチも作らねばならなかった。母も積極的に手伝ってくれた御陰で何とか出店時間に現場へ駆け付ける事が出来た。
会場に着くと出店を誘ってくれたハトリさんや主催者の方への挨拶をしながらテントを立て店頭を飾った。テーブルに作って来たパンを並べる。事前に練って置いた構想通りの店構え、いざ実際に形にすると平面上よりも立派に見えた。
幼馴染、中学校の同級生、昔の知り合い、懐かしの先輩、前回のイベントでも買ってくれた方等を始め、想像以上に沢山の様々な人と顔を合わせられたこの日、売れ残る想定で用意したパンは結局二時間程で空になった。有難く嬉しい大誤算であった。そうしてまた「美味しかった」という声も聞ければ、売り切れた後になって来店してくれた人への申し訳無いという感情も新たに味わった。矢張り物事は肌で感じて初めて立体的に成るというものである。
斯くして想像以上に嬉しい第一歩が踏み出せたと言えた。改めてパン屋になりたいと思った。私はまだ名も店も無いただのパン職人である。然し名も店も無くても人を喜ばせ、人に喜ばされる事が出来る事を知れたのは、ゲームの中の仕組化された世界では味わえなかった点であろう。パンは自然からの贈り物である、とは古代エジプト人の考えである。農作物と似て、また非なるその微妙な淡いニュアンスを、私は烏滸がましながら意解している自負がある私は、製パンマイスターという社会的肩書きの有無に関わらず自然的にパン職人である。
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
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