*26 地に足を
友人との会話に花を咲かし、己の情熱に薪をくべた週末を経て幕を開けた今週、私は威勢よく仕事も何も荷も片付けていこうと揚々としていく積でいた。ところが感覚が不可思い。頭も明白に冴えない。私の匙加減ではどうにもいかない不断との差異を漠然と感じていた。感覚が不可思いと言うのは、平然であれば意識を向けられる筈の所に手すらも届かないと言った擬しい具合である。また頭が冴えないと言うのは、まさしく曇天ないし霧立ち込めるが如く、平然であれば難無く頭を巡らせられる筈の所を厚雲ないし濃霧で遮られていると言った歯痒い塩梅である。思考も濃霧も一頭の内に鬩ぎ合っているから、思考を際立たせようと力を入れれば自ずと霧もみるみる濃くなった。
そうした感覚の差異が、さして仕事や生活に支障を来さないのであれば態々こうして冒頭に置く事も無かったのであるが、水曜日迄の三日間、私は連日一つずつ仕事の忘れを犯したから取り上げざるを得なかった。そうしてその三種類の忘業のどれをとっても、矢張り自分自身俄かに信じ難く、私の不注意という大見出は避けられないにしてもその内訳の側にある感覚の差異を無しにする事は出来なかった。
恥を忍んでそれらの失態を文字に起こすと、一つは月曜日、ドウコンディショナープログラムの切替の忘れである。完全なる忘業であったから、次の日出勤するなりルーカスが近寄って来て「君、昨日切替を忘れたね」と言って来る迄、頭の隅にも心の隅にも心当たりの無かった私は、ルーカスに言われてから「そうだ、確かにし忘れてしまっていた」と肩を落とした。ルーカスの負担こそ増えたが幸い大事には至らずに済んで、私は自分の仕事に取り掛かった。
その火曜日、見習い生のマリオが熱中症らしい不調を訴えて来たから、楽になる迄休憩する様に促し、それから私より先に家へ帰した。成程、ひょっとすると私の感覚の不具合も暑さの因果かも知れない、と思う程に今週は急激に暑くなった。残った仕事を片付け自室に帰る。部屋も部屋で大変熱を持っていた。パンを発酵させるには申し分の無い環境である。その日夕方頃、職場のグループトークにシェフがメッセージを投げた。それを見た私は、肝を冷やした。翌日に焼かねばならない或る製品を薄く伸す作業を今の今まですっかり忘れていた。そうして思考を巡らせた挙句、急遽翌日一時間早く出勤して忘れた作業をする事にした。
果たして私は忘業を何とか取り返し、その日中に製品は間に合った。今度も大事には至らずに済み一安心であったのであるが、その水曜日の終盤に百五十個ほどの掌大のピッツァを一人一通り伸し、それを発酵室に入れたまますっかり忘れてしまっていた。気が付いて慌てて出した時にはもう随分発酵が進んでしまっていた。それでも過発酵という程でも無かったからそれを冷凍室に運び入れたのであるが、今週に限って冷凍室が不具合を起こし比較的温度が高かったのもあって、結局その日の晩には過発酵になっているのが見つかり作り直しになった。それでも幸い大事には至らなかった。
私の主観のみで言えばこれらの忘業に際して、不調と言う言葉を充てるが相応しかった。然し不調と言っても体調不良や気分の問題でも無いから他人を納得させるのも難しい類である。ただ私のみが感じている不調は世間的には都合の良い言訳であるから、私もそれに抗う積も無いのであるが、感覚的な不調でも私にとっては大変明白であった。然し大変明白であったからこそ、対処策も導きやすかった。
翌木曜日から私は手元に紙を用意し、そこに自分のすべき作業を全て書き出して、片付ける毎に線を引いて行った。いくら世間的に初歩的な策だとしてもこの時の私にとっては画期的である。いやいや君、社会人としてそんな事基本じゃあないか、と世間様に叱られたとしても、その基本を欠いた状態でこれまで難無く働いていたのは事実だから馬耳東風である。結局それをし始めてから頭の中の霧は薄まり雲は晴れ出した。とは言えこれを仕事中に用いたのが珍しいと言うだけで、自室に籠れば何でも書き出す癖のある私であった。
万が一これらの忘業が老いによるものだとすれば、老いの始まる瞬間はこうも明確なのかと俄かに信じ難い。
不調と言って体調不良の方であったのは熱中症を患ったであろうマリオであり、また水曜と土曜に病欠を取り、木曜金曜と出勤こそしたが早退していったトミーであった。病名はどちらも判然としなかったが、急激な気候の変化が影響していそうであった。それは冷凍室の不調にも同じ事が言えた。
夏場の工房はサウナと言う表現が決して大袈裟で無い程蒸し暑い。天井窓を含む窓と言う窓を開け放ったとしても熱は何処へも行かない。冬場はまだしも夏場の工房は灼熱地獄である。火曜のマリオは頻りに「休憩は何時取ろうか」と私に尋ねて来ていた。それで「もし暑くて堪えられないならすぐにでも取ったらいい」と言うと、案の定体調が悪いんだとそこでやっと言った。結局一時間近く休憩室で休んでいたマリオがまた工房に戻って来ると、「幾らか良くなった」とは言ったが、やっぱり顔色は鈍かった。炎天下の寺の屋根の上でも、真夏のオーブンの前でも働いた事のある私は熱中症についてそれなり理解のある積でいたから、無理せず早めに家に帰りなさいと言った。不図した時の表情が地獄の果てを見た様に曇っていたマリオにその都度「本当に大丈夫か」と執拗く聞いても、彼は頑として「大丈夫」と言っていたその心身とも華奢な割に強情な所が自分自身を見るようでもあった。
トミーは先週休まず働いた分の休暇を含めて火曜迄は通常通りの休みであったが、水曜に病欠を取り、翌木曜日に工房に立っていた彼の顔には生気が最早感ぜられなかった。生気の代わりに責任感をエネルギーに動いていた彼は「日曜にバルコニーで一日中作業をしていたのが効いたようだ」という様な事を言っていて、こちらも矢ッ張り熱中症の類であるように思われた。異常とも言える汗に、彼はタオルを首に巻いて仕事にあたっていた。
エアコンを使った熱中症対策の書かれた記事を度々目にするが、エアコンが一般的でないドイツでは前提が違う。マリオにも試しに家にエアコンか扇風機はあるかと聞くと、扇風機があると言った。数年前に夏のウィーンで老舗のカフェに入った時も、猛烈な熱の充満した店内で珈琲を飲んだ。そんな話を当時のドイツ人のマイスターに話すと、年々気温が上がっていてドイツもエアコンなしではこの先難しくなる、という事を言っていた。一般的ではない、と言うのは先例に挙げたカフェなどの飲食店の他、公共交通機関でも殆どエアコンは効いていないといった具合である。
そんな話を日本人にすると「ドイツの暑さは日本と違って湿々していないから大丈夫なんだろう」と言う所に結論が言って終わる事が多い。私も全く同意見であったが、心なしか今年は湿度が高い様に感ぜられた。これは工房の中のみならず、である。
私は元来日光が好きであるから、陽に照らされた景色を見、またその景色の中に身を置くと心地良かった。それでも矢ッ張り少しでも湿っとしたものを肌に感じると不快であった。ドイツでも湿度を感じたとは言え日本の蒸暑さとは道理が違うだろう。日本に戻る上で、ドイツの乾暑に慣れた体を日本の湿暑の中に放り込むのは大きな懸念点の一つである。
※この作品では一部実在しない表現/漢字を使用しています。
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