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ゲンバノミライ(仮) 第7話 復興担当の近藤君

「役所が言っていることも分かります。理由はもっともで、違うと反論するつもりはありません。でも、じゃあ手放すかというと、そうじゃないんです。申し訳ないのですが、何度いらしても、事業には参加しません」

超高層ビルにあるカフェのオープンテラスで、少し世間話をしてから、事業への参画を改めて投げかけた近藤和彦に返ってきたのは、何度も耳にした素っ気ない言葉だった。

災害が起きて、近藤が勤務する役所は、今まで経験したことのないような規模で復興計画を進めなければならなかった。海の近くに戻るのは難しいと判断した首長は、海側を住宅地から外して、内陸側に土地をかさ上げして安心して暮らせる基盤を造った上で、人口をシフトさせて、コンパクトに機能が集約した街に作り替える方向へと舵を切った。もちろん、被災者の意見を聞いた。全員ではないが、多くは海から離れた安全で便利な場所を求めていた。少なくとも被災直後に聞いた時点では。

そこで白羽の矢が立った場所が、国道沿線の区域だった。国道は被災地復興に向けた交通ネットワーク基盤と位置付けられた。以前は、古い民家が両側に張り付いていて道路も歩道狭かったため、交通安全上も改善が求められていた。土地区画整理事業と呼ぶ手法をベースに街づくりを進めて、4車線道路や広々とした歩道を設ける。街づくりエリアの中央には、復興住宅や市役所支所、体育館、図書館、医療施設、商業店舗などが入る複合ビルを建設する。

屋上は地域一帯を見渡せるテラスになり、緊急時には避難場所になる。この地域で市役所より大きな建物は今までなかった。まさに復興のシンボルにふさわしい。

近藤ら行政を悩ませていた問題の場所は、区域南端に位置する農地だった。
内陸側で建設が進められる復興用高速道路のインターチェンジの位置を考慮して、区域南端を沿うように直線的な接続道路を整備するというのが行政側の思惑だった。そのために、この農地を街づくり区域に組み入れようと計画した。
先祖代々農業をしてきた佐伯家の土地で、災害前は高齢の佐伯一郎が野菜を育てていた。だが、あの災害ですべてが流され、一郎夫婦は命を落とした。相続したのが一人息子の佐伯俊だった。

俊は、地元の高校を首席で卒業し、都会でも一番の大学にストレートで合格した街で知られたエリートだ。高校卒業後は、ずっと都会で暮らしていた。

小中学校で同級生だった総務部長の長田紀之は、「俊は、大学院まで進んで、大手金融機関で働いてから、外資系投資ファンドに転職して順風満帆の暮らしをしているらしいよ。頭は切れるが、人当たりはいいし、何事も合理的に判断する。きっと分かってくれるんじゃないかな」と言っていた。問題なく事業に参画してもらえるだろうと踏んでいた。

役所の担当陣が、そうした認識をより強くしたのは、紛糾した最初の地元説明会でのやり取りだった。

「私たちは海とともに生きてきたんです。そこから離れることはできる訳ないでしょう!」
「何言ってるんだ! 多くの犠牲をなんだと思っているんだ!」
「一体いつできるんですか? 早くしてほしいんです。私たちは今、困っているんです!」
「全部補償してくださいよ。我々は何もかも失ってしまったんだよ。分かってるんですか!」

行政側も、答えられる範囲で誠実に対応しようと努力していたが、決まっていないことや、自分たちだけで決められないことがあまりにも多く、両者の溝は容易には埋まりようがなかった。行政担当者ができるだけ冷静に振る舞う姿も反感を買い、「どうせ、あんたらは他人事だろ。今だって仕事があって給料も出ている。俺たちとは違うじゃないか!」と怒鳴られた。

会場には怒号が飛び交った。被災した住民らは、大事な人や資産、思い出の品々などを失い、苦境に立たされていた。不安や悲しみ、やり場のない憤りなどさまざまな思いが入り乱れることは、やむを得なかった。

予定時間を大幅にオーバーして、最後の質問に立ったのが、俊だった。
「最初に少し話がありましたが、この場所を選んだ理由を改めてもう少し詳しく説明していただけないでしょうか」

復興事業全般を担当する部長の友田幸太が、元々の地盤面が周りよりも少し高いため、かさ上げ量を抑えられることや、国道や復興用高速道路の計画との整合性、周辺に比べて権利者が少なく用地交渉の面でも有利であることなどを説明した。

「こうした点は、できるだけ早く復興事業を進める上で大事な要素となります。行政としても、早く被災者の皆様に安心していただける場所を用意したいのです。ご理解を何卒よろしくお願い申し上げます」と締めくくった。

俊は「ありがとうございました」とだけ言って座った。興奮した様子で言葉を発していたそれまでの質問者と明らかに違っていた。あの場の行政担当者は皆、俊が納得してくれたものと受け止めていた。

だが、違った。その後の個別協議で、俊は明確に反対の意思を示した。俊は、炊き出しなどのボランティアに積極的に参加していて、都会から何度もこの街に足を運んでいた。そのたびに近藤は会いに行き、土地区画整理事業への参画を頼んだが、まったく聞き入れてもらえなかった。

「先祖代々の土地は絶対に手放さねえ。二度と来るんじゃない!」とでも言われたら、強制執行なども考えていけるのだが、至って紳士的で、話し合いの時間は必ず取ってくれる。だが、「おっしゃっていることは重々理解できますが、土地は手放したくありません。事業には加わりません」の一点張りだった。

「復興事業がうまくいったら、土地を高く売るつもりなんだろう」
そんな噂話が飛び交っていた。

区切りの良いタイミングでの都市計画決定を目標にしていた中で、決断が迫られている状況があった。だから、この日、近藤は俊が住む都会への出張を指示され、最後の説得を試みていた。

二人がいる都会は、近藤がいる被災地とはまったく違う世界だった。

「都会ってすごいですよね。ここにはこんなに金も人も集まっているんですよ。なんなんでしょうね。
僕はね、親父がやりたいことがずっと分からなかったんです。頭も悪くなかったのに、農業一筋で人生を終えました。あの災害の後、ずっと考えているのですが、今もやっぱり分かりません。

でも、自分なりにいろいろ考えて、あの土地は手放さない方がいいって、そう思ったんです。そう決めたんです」

「いろいろって何ですか?何をしようと思っているのですか?」
「ごめんなさい。まだ、モヤモヤしていて、そこはなんとも」
「佐伯さんの土地は、復興にとって必要なんです。佐伯さんご自身のお考えがあるのは重々承知していますが、他の地権者の皆様も受け継いできた土地に思い入れがある中で、苦渋の決断をなさって、復興に支援してくださっているんです」
「そうですよね。
そう、思いですよね。
近藤さんにとって、あの街への思いってなんですか?」

そう聞かれ、近藤は答えに詰まった。
大学卒業が就職難の時期に重なった近藤は、都会に住んでいたが、地方公務員の道を選び、手当たり次第に受けた。その中で唯一引っかかったのが今の役所だった。縁もゆかりもなかった。正直、思い入れなど全く無く、景気が良くなったら転職して都会に戻ろうと考えていた。だが、景気はなかなか上向かないまま、あの災害の日を迎えた。
もともとは別部署だったが、被災後の混乱と圧倒的な人手不足の状況下で復興担当に回され、被災した地権者との調整を担うことになった。

あの街への思い。
こうして被災者と話すようになってから、徐々にあの街への思いのようなものが芽生え始めていた。だが、明確なものではなく、ましてや、あの街で生まれ育った相手に偉そうに言えるようなレベルではなかった。

「僕はね、合理的な理由ばかりを追い求めて仕事をしてきた気がするんです。
農業なんて苦労ばかりで大変で将来性もないと思って、あの街を捨てて都会に出ました。
でも、あの畑で親父が死んでね、真っさらになって初めて、故郷を思ったんです」

俊は、いつものペースでゆっくりと話していく。

「合理性じゃなく、思いなのかもって。初めて思ったんです。もちろん思いが正しいとは限らないんです。でも、思いのような気がするんです。

私も自分で整理が付いていないんです。親父の土地を売らないのは、僕のわがままです。正直、家族からも反対されています。

でも、僕は絶対にサインしません。わざわざご足労いただいたのに、本当に申し訳なく思います」

俊はそう言って去って行った。
近藤は、俊の言っていることが理解できなかった。

上司に説明することを考えると、胃が痛くなる。

「思いって、何だよ」

思い。その言葉を反芻しながら、ビルに囲まれた都会の空を眺めていた。


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